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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
138/321

ex.竜種

 一般的に、焼ける肉の臭いは体組織に含まれる化合物が原因であり、適切な処理をされている食肉でもなければ大体は臭うものである。

 理屈を理解していても、堪えるものは堪えるものだ。革製のガスマスク越しの悪臭に顔をしかめつつ、ドネット・コールマンは肩を回した。

 目の前の肉塊を外科用ナイフで切り取り、小瓶に放り込む。それから瓶にコルク栓をしてポーチに仕舞い込んだ。

 腰を上げて肉塊を見上げる。小屋ほどはあろうかという巨大なそれは引き裂かれて焼け焦げ、既に腐敗が始まっている。竜種(ドラゴン)の死骸、その一部だ。

 周囲には同程度の肉塊と転移門(ポータル)の残骸が無数に転がっていた。転移街(ポート)アズル外縁部、かつては転移門(ポータル)が存在していた場所だ。竜種と激突した石門は完全に崩壊しており、今や僅かに石門の基部を残しているのみである。

 程良い段差になっている基部に腰掛けてマスクを放り捨てる。紙巻き煙草を咥えて火を付けると、溜息と共に紫煙を吹き出した。

 

「……ったく」

「コールマンさん」

 

 瓦礫を避けながらやって来た仮面の女騎士が片手を挙げた。

 見慣れない騎士を横目で確認するなり、ドネットは口端を下げる。

 

「ああ、領主んとこの騎士か。たしか……」

「リコリスです。騎士と言っても雇われですし、もうすぐお暇する予定ですけど。それより領主様から報酬を預かっています。医療支援の分と」

「転移門の被害調査の分だな……聞いた額より少ないが」

 

 投げて寄越された金貨袋の重さに呆れ返る研究者に、仮面の騎士は肩をすくめた。

 

「今のアズルの台所事情では仕方がないかと。ところで、調査の塩梅はいかがですか。何か分かりましたか」

「あん? 誰が見ても見りゃ分かる通り、って感じだ。この転移門はもう使えんだろうな。修復するより新造した方が早い。調査も糞もない」

「あはは。いえいえ、見ても分からない人の方が多いですし……もしかしたら、と希望を持ちたいという気持ちも分からなくはないですからね。一応、形としては調査しないと」

 

 そんなもんかね、と流したドネットは頭を掻いて騎士の仮面を見た。

 装飾も何もない陶器のような質感の仮面。眼孔にあたるだろう箇所に開いた丸い穴だけが、辛うじて人間味を感じさせる。

 不気味と言って差し支えないその装身具の向こうからは、しかし、穏やかな少女の声が紡ぎ出された。

 

「でも私が聞きたいのはそちらではなく、魔獣の方でして」

「そっちは仕事じゃなくて趣味だ。領主からの依頼には含まれてないだろ」

「私も純粋な趣味……興味本位の質問ですよ。それなら、コールマンさんも楽しくお話できるでしょう?」

「へえ」

 

 腕組みをした女医は、片眉を上げて笑みを零す。

 この女騎士の態度は太々しかったが、言う通り面白くもある。

 大抵の人間はこの魔獣、竜種を「古い伝承の悪神」或いは「正体不明の怪物」などとしか認識しない。彼らにとって竜種は恐怖の対象でしかなく、興味をそそられるような存在ではないのだ。

 そんな存在についての話を聞きたがる人物は稀だ。恐らくはドネット以上の知識を持っているだろう門番の少年を除けば、あとは銀髪のお姫様くらいしか心当たりがない。

 再び紫煙を吐き出しながら、女医は首を回した。

 

「ま、塩梅といっても胴体と腕一本だけじゃ何とも言い難いところだが……あたしが思うに、だ。これは生物じゃない」

「というと?」

「生物として間違っている、としか言いようがない。全長が六十フィート以上の巨体に対して筋肉量が少な過ぎる。これじゃ本来は指一本動かせん計算になる。それで動いていたとなれば……まあ、魔力で筋力を補強していたとしか考えられんが……」

 

 ふーっと煙を吹き、結論を口にする。

 

「魔力の補助を前提にした身体構造だと? そんな生物は有り得んよ」

「なぜです?」

「魔力による機能補助は意図的に行うものだからだ」

 

 ドネットには事足りた説明である自信があったが、仮面の騎士は首を傾げた。

 仕方がないのでもう少し補足を行う。

 

「お前ら騎士だって、魔力を無意識に使っているわけじゃないだろ。例えば、人間は自然と足の筋肉を使って歩行する。生まれつき体の構造がそうなっているからだ。が、魔力を使って全力疾走しようとするなら、意識的に魔力を脚部に伝達させる必要がある。そうやって初めて魔力による身体機能の強化が成立する訳だ」

「確かに」

「もし魔力による身体機能の強化なしに身動きもできない生物が居たとするなら、そいつは呼吸をするにもいちいち意識的に魔力を使っていることになるじゃないか。馬鹿馬鹿しい。寝ている時はどうする。知性の発達していない幼年期はどうやってそれを知覚した。そんな生物は生態が成立しない。だから有り得ないのさ」

 

 少なくとも、有機的な生命体である限りは。

 などと付け足して、ドネットは靴裏で煙草を揉み消した。吸殻を白衣のポケットに突っ込むと、感心したかのように小さな拍手をしている仮面の騎士を見た。

 

「あんたの見解が聞きたいもんだがね」

「私のですか?」

「あたしが一方的に話してても面白味に欠くだろ。何かないのか。感想とか」

「いえ、私は学のある人間ではないので……見解というほどのことは……そうですね」

 

 仮面の少女は顎に指を充てると、おもむろに諸手を上げて何かを表現した。

 背の高い、何か。

 

「首の長い動物はなぜ首が長いのでしょうか」

「……は?」

「馬とか、キリンとか」

 

 キリンなどという名称の動物は博識である筈のドネットの知識にも存在しなかったが――認めるのが癪なので触れないでおいた――草食動物の首が長い理由くらいは理解している。

 

「そりゃ長い首が草食に適しているからだろ」

「ですね」

 

 リコリスは頷き、巨大な肉塊を見上げた。

 

「……これは知人の受け売りですが、物事には必ず理由が存在するのだそうです。首の長い動物には首の長い理由があり、首の短い動物には首の短い理由がある。では、魔力による身体強化を前提とした生物がそうなっている理由は何でしょうか」

「それも何かに適していると?」

「いえ、あくまで考え方の話です。魔素(マナ)を前提とした生物と魔素(マナ)を前提としていない生物が存在する理由が、何か、どこかにある……ということなのではないかなと」

「ふむ……なるほどねえ」

 

 仮面の少女の言葉は曖昧に終始した。

 しかし、正しい考え方ではある。「何故」を追求するのが研究者というものだ。有り得ないと切って捨てるのは簡単だったが――実際に有り得ているのであれば、そこには解き明かすべき真実がある。

 これは是が非でも生きている個体を押さえたいところだ。白衣の女は笑う。

 一方、仮面の騎士はくるくると人差し指を回していた。それは何を表しているのか、問いかけるよりも早く仮面が言葉を発した。

 

「そもそも魔素(マナ)とは何なのでしょう」

「……それは」

 

 答えようとしたドネットは言葉に詰まり、押し黙る。

 

「実体のない粒。可視光を放ち、知性体の意志を汲んで作用する、魔力の根源(アルケー)基礎単位(アトモス)にして究極的要素(リゾーマタ)。魔術的に表現するならそんなところですか。でも」

 

 その答えでは不十分だ。

 同様に答えようとしたドネットも、それ以上の知識はない。

 考古学的に見ても、現界(セフィロト)に魔素という概念が生まれた時期は未だはっきりと解明されていない。人間はそれほど古くから魔素と共にあった。

 当然である。総ての生命が霊体(アストラル)として身に宿しているのだから。

 しかし、なぜ人の意志に反応して作用するのか。どのような起源を持つものなのか。それが一体何なのか。答えを誰も知らない。

 解き明かせれば魔法史に名が残るだろう。

 

「本当のところは誰も分からない。利用法を発達させてはいても、人間は魔素の根本的な部分を理解していない。もしかするとこの魔獣のことも……そこに解き明かす切っ掛けがあるのかもしれませんね。何となく、私にはそう思えます」

 

 語り終えると、仮面の少女は踵を返した。

 思わず聞き入っていた女医はふと顔を上げ、その背中に言葉を放つ。

 

「……お前、面白いな。領主んとこ辞めたら一緒に研究やらないか」

「惹かれますね。でも私、お勉強は好きじゃないので。お話を聞けて良かったです、コールマンさん。またどこかで」

 

 そのままスタスタと去っていく女騎士を見送った女医は、くつくつと肩を揺らして笑った。

 

「勉強が嫌い、ね。本当に面白い奴だ」

 

 実際にまた会う機会があるかはさておき、最近は奇縁に事欠かない日々を過ごしている。主に門番の少年と関わり始めてからだが、あの仮面をもう一度見る事も、もしかしたらあるかもしれない。

 少なくとも、彼の道行きに首を突っ込み続ける限りは、研究の材料に困る事も刺激が不足する事もないだろう。ドネット・コールマンは再び煙草を咥えて火を付けるや、ぼんやりと思案に暮れながら紫煙を吐いた。

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