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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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47.二人①

 モイラの言う通り、転移街(ポート)アズルの人々はドーリアの襲撃による惨害から街を守った水星天騎士団、そして街の立て直しに尽力する木星天騎士団を大いに歓迎しているようだった。

 ただでさえ騎士という階級は畏怖と尊崇を受けている身分である。そんな彼らが自分たちに降りかかる災禍を退けたとなれば、市民の心を掴むのは当然だ。それが皇女が率いる九大騎士団となれば尚更で、蘇った竜種(ドラゴン)の姿を見た人間が多かったのも一因だろうか。

 皇女の騎士達がこの世のものとも思えぬような魔獣へ果敢に挑み、これを見事に退治してみせた――という内容の"新たな英雄譚"が人々の間に広がっている。

 辺境とはいえ交易の要衝だったアズルには皇国各地から商人が集まっていたはずで、噂はいずれ皇国中に広まるに違いない。

 

 伝承だの歴史だのといった記録は、こんな風に少しずつ歪められて真実と異なっていってしまうのかもしれない。と、真実を知る一人であるところの俺は他人事のように考えながら、落ち着きを取り戻し始めたアズルの街を歩いている。

 

 捕らえられたドーリアの傭兵騎士たちへの尋問、木星天の騎士団長エリオットの行方――まだ課題も問題も山積しているのが現状だ。

 しかし、今のところ俺にできることはないらしい。

 いや、取り上げられてしまったと言った方が正確だろうか。

 水星天騎士団、そして何故か九天(ナインズ)が積極的に動いていて、手を出そうとしても追い払われてしまうのだ。その度に色んな人物が「もう休め」だの「もう帰れ」だのと示し合わせたかのように言うだけで、情報ひとつ回そうとしないのである。

 こんなことなら団長代理の座に居座り続けておくべきだったかもしれない。

 

 ふと上を見上げれば、雲ひとつない、抜けるような快晴の空だった。

 冷たく澄んだ空気に近冬の気配を感じ、防寒具(マフラー)の購入を検討する。まだ早いか、などとひとりごちて軟弱な思考をひとまず切り上げ、目的地に向けて歩みを進めた。

 

 最大の不幸に見舞われたのは、焼失した人家に住んでいた数百数千という人々だろう。家財を一切失って焼け出された彼らの今後は領主に委ねられた。

 民衆の支持を集める皇女とその騎士団とは対照的に、危機対応において何の役割も担わなかったアズル領主は非難を集めている。その挽回に必死な行政府は思いのほか動きが早く、事件翌日には廃業した店舗や空き家などを焼け出された人々へ無償で解放し、当面の生活の保障を行ったという。

 大陸中央への転移門(ポータル)という大動脈を失ってしまったこの街の財政では、どのみち長くは持たないような気はするが、この迅速な対応で救われた人々がいるのも間違いがない。

 

 その影響は、俺達がアズルでの作戦拠点とした廃業寸前の酒場にも及んでいた。いや、今では廃業の気配など微塵も感じられない。入口のスイングドアを通り抜ける前から活況が分かるほど賑わっている。

 転移門(ポータル)が破壊され足止めを食らっている商人や旅人のおかげで、街の人口が一時的に増加しているというのもあるだろう。が、やはり行政府が空き家を解放した影響が大きい。

 大通りから離れた区画にあったこの酒場の周囲には特に空き家が多かった――つまり、焼け出された人々がやってきたのだ。

 

 ほぼ満席のホールでは、そばかすが印象的な店員の少女が青い顔で必死に働いていた。前回は姿すら見せなかった店主らしき男性も手伝い、大慌てで酒や料理を運んでいる。まあ、嬉しい悲鳴というやつだろう。

 店員の少女がこちらに気付き、満面の笑顔を浮かべた。ひらひらと手を振って固辞の意だけを伝え、そのままホールを抜けて二階へ移動する。

 

 決して広いとは言えない程度のスペースしかない二階の廊下には、ホールとは異なる意味合いで人が集まっていた。

 短い列を為している人々は、大なり小なり何らかの怪我を負っている。火傷などの外傷、重傷とまではいかないが生活に支障が出る程度の負傷だ。

 その負傷者達への応対を行っているらしい少年と少女は知った顔だった。二人――フェオドールとコレットは、俺の顔を見るなり驚いた様子で駆け寄ってくる。

 

「おい、あんた……大丈夫だったのか。あの化け物と一緒にランセリアに飛ばされたって聞いたが」

 

 フェオドール少年は開口一番にそう言うと、俺の体を眺めて怪我の程度を確認し始めた。いかにも軍人らしい彼の反応とは対照的に、コレットは不安げな表情で俺の顔を見上げている。

 体感的には暫くぶりに対面した少年少女の無事を確認した俺は、彼らの肩を叩いて笑ってみせた。

 

「ああ、戻ってきた。ふたりとも無事で良かったよ」

「戻ったって……一日でランセリアから? 嘘だろ?」

「どうだろうな。あー、いや、そんなことより……あー……」

 

 体だけ傾け、並ぶ怪我人の列の先、突き当りの部屋を覗き込む。

 角度の問題で中の様子までは分からず、もどかしさに顔をしかめているとフェオドール少年が勢いよく俺の背を叩いた。

 

「痛いぞ」

「姫様が気になるんならさっさと行けって。そこ立たれると邪魔なんだよ」

 

 再度叩かれ、そのまま廊下の奥まで追いやられる。

 前のめりながら部屋に転がり込んだ俺は、恐る恐るといった体で顔を上げた。上げたのだが、そこにあった光景は予想していたものとは少々違っていた。

 じたばたと暴れる白黒の小動物を抱えた侍女。そして、真剣な面持ちで小動物の毛を掻き分けている小さな皇女の姿がある。

 仔猫だ。毛に赤みが混じっているあたり、どこか怪我をしているのだろうと見て取れた。猫が暴れるのでなかなか傷の場所が特定できない、といったところか。

 

「こっ……こら、動くでない! ええい……カタリナ、もっとしっかり押さえておいてくれ! こやつ、これでは手当ても何もあったものではない!」

「も、申し訳ありません殿下、わたくし猫は初めてで……わぷっ」

 

 戸惑うカタリナの顔を、ガチギレ気味の猫君の肉球がぺしぺしと乱打した。頑張って彼の腹をまさぐるマリーも後脚でげしげしと頬を蹴られている。

 見ちゃいられない。

 眼鏡のずれたカタリナから暴れ猫を取り上げ、抱きかかえてホールドする。それから強めにわしわしと耳の辺りを撫でると、お猫様は幾分か機嫌を直したらしく動きが緩慢になった。呆気にとられる都会育ちの少女達を、フゴフゴ鳴り始めた猫を引き続き撫でつつ窘める。

 割と強めに撫でるのがコツだ。

 

「マリー、猫科の動物と目を合わせちゃ駄目だ。人間にとっては誠意でも、こいつらにとっては喧嘩の合図なんだそうだ」

「……タカナシ殿! よくぞ無事で!」

 

 少し遅れ、マリーが大輪の花のような笑顔を浮かべた。

 その、こぼれるような朗らかな笑みに一瞬、忘我する。

 

「あー……うん。ただいま、マリー」

 

 いや、彼女達の無事は確信していたし、ミラベルからも聞いていた。今さら安心したというわけでもあるまい。などと、猫を撫でながら自己批判する。

 ぼんやりしていると、隣のカタリナが眼鏡をかけ直しつつ、穏やかに問い掛けてきた。

 

「アキト、もう起きて平気なのですか」

「ああ、おかげさまで」

「そう。でも無理はしないでくださいましね」

 

 彼女の()を以てすれば俺の体調など軽く見抜けようものだが、カタリナは能力を行使せず、静かに佇んでいるだけだ。

 木蓮(マグノリア)との一件もあり、彼女とどう接していいかまた分からなくなってしまった。撫で過ぎて腕の中でのびのびし始めた猫に視線を落とし、俺は溜息を吐く。

 

「どうしたもんか」

「うむ。さしあたって、そのまま猫殿を捕まえていてくれまいか」

 

 一転して真剣な顔に戻ったマリーが、猫の腹を再びまさぐり始めた。

 手を動かしながらささやく。

 

「わたしも……事のあらましはカタリナから聞いている。なんと言えばよいか……大変だったと聞いている。ふたりとも、今は休息をとるべきだ」

 

 俺は少し驚いてマリーの顔を見た。

 時間移動の件を信じたのだろうか、と疑問を覚えるが、よくよく考えてみれば彼女は時の福音たる皇帝(カレル)の娘だ。父親の異常を相応に目の当たりにしてきただろうし、奴に比べれば大体の出来事は正常の範囲に収まるのだろう。

 そう納得するしかない。

 

「かく言う殿下こそ、働き詰めと聞いてますがね」

「む」

 

 深くは考えるのは止め、わざとらしく畏まった口調で咎めると、たちまちマリーは眉を寄せて頬を膨らませた。

 ミラベルに聞いたところによると、マリーはずっと治癒術で怪我人の手当てを行っていたらしい。身分を明かされたらしいフェオドールとコレットも手伝ってはいるようだが、素養を持たない彼らには治癒術が使えない。となれば、マリーはひとり不眠不休の作業を続けていたはずだ。

 いくら彼女の魔力が桁外れでも、そろそろ体力の方が限界を迎える。

 

「後は俺が引き継ぐよ。君こそ少し休んでくるといい」

「タカナシ殿が?」

「ああ。こう見えて治癒術だけはなんとかまともに使えるレベルなんだぜ。昔、ちょっと失血死しかけた事があってさ。応急処置くらいは自分でできるように修業したんだ」

 

 といっても傷に薄皮を張ったり腫れを引かせる程度の効果なのだが、もう急を要するような怪我人はいないはずだ。外科処置も併せればそれで十分だろう。

 

「……そうか。戦場に慣れているのだったな」

 

 ようやく猫の腹から小さな傷を探り当てたマリーは悲しげに呟くや、薄い青の光を纏った指先で傷をなぞった。うっとりとした表情の本人、いや本猫が気付く間もなく、それで傷は塞がっている。

 見事な手際だ。魔法の才能がない俺ではこうはいかない。

 

「では……少しお言葉に甘えるとする……少しだけ……少しだけだぞ」

 

 腕前を披露した少女は、しかし、既に限界を迎えていたようだ。

 ふらふらと部屋に備え付けのベッドへ向かったかと思いきや、ボフッとうつ伏せに倒れ込んでしまった。

 皇女殿下はベッドに入ると五秒で寝る。ベッドに対して斜め四十五度という奇妙な角度で寝息を立て始めた少女に、俺とカタリナは顔を見合わせて苦笑した。

 

 他に場所がないので、この部屋で怪我人を診るしかないのだが――

 まあ、いいか。

 

「わたくしがお仕えし始めてから……ずっとこの調子で無茶ばかり。本当に困ったお方ですわ。もう少しご自分を大事になさって欲しいのですけれど」

 

 横たわる皇女に毛布を掛けつつ、カタリナが独特の口調でぼやいた。

 言いつつも、困っている様子はない。

 むしろ、横顔は嬉しそうにすら見えた。

 

「お前がそういう口調で話すのは、侍女として振る舞ってるときなんだな」

「あら、今更ですわね」

「今更ながら分かるようになってきたんだよ。俺も多少は成長してるってこと……なんだろうか」

 

 不老の往還者が成長をする。

 できるものなのだろうか。違和感を覚える。

 

「……成長の定義によるか」

「考え方次第でしょう」

 

 カタリナは一笑すると、ベッドに腰掛けて眼鏡を俺に向けた。

 

「少なくとも、人を形作るのは記憶……記憶は経験の積み重ねです。たとえあなたの体が永遠にその年齢のままであっても、経験した出来事を忘れないで……積み重ねていければ、ある種の成長をしていけるのだと私は思いますよ。きっと……彼女のことも」

 

 肉体的に変化することができない俺達にとって、カタリナの言う"積み重ね"はとても大事なことなのだと思えた。

 誰を指しての言葉なのかは問うまでもない。

 

「ああ」

 

 彼女を打ち倒した俺だけは、絶対に忘れてはならないのだろう。

 最後まで本名を名乗らなかった、あの女騎士のことを。

 

「……さて、もうひと仕事残ってますわよ。あなた、本当に治癒術だけは得意でして? 全然そんな印象がないのですけれど」

 

 打って変わって明るく言うカタリナの口調は、またおかしな侍女に戻っている。その点だけ見ても、彼女が姉妹であるという事実をマリーやミラベルに明かすことは、恐らくないのだろうと思えた。

 その人を食ったような表情に多少の無理が隠れてはいても、それがカタリナの選んだやり方なのであれば、俺に言葉はない。

 リラックスし過ぎて遂に液体のように垂れてしまった猫を頭に載せ、俺は努力してニヤケ顔を作った。

 

「おいおい、得意だとは言ってないぞ。あくまで比較的マシってだけだ。俺に使える治癒術なんて初歩の初歩くらいなもんだしな」

「えぇ……それだけ長生きをしているのに魔術があまり使えないというのは逆に凄いことですわね。もはや何かの呪いなのでは?」

 

 酷い言われようだが仕方がない。

 初歩の治癒術は魔素(マナ)を扱う素養さえあれば誰でも習得できるものだ。逆に言えば、修練してそれしかできないのであれば才能が致命的に欠如しているということなのだ。

 そんな自分の魔法適性については遠い昔に納得して諦めている。

 

「よければ手ほどきして差し上げましょうか」

「ふっ……あまり俺を甘く見るなよ。時間の無駄になるって断言できるぜ」

 

 などと前髪をかき上げながら言ってみるのだが、頭の上で猫がちゃむちゃむ言っているので様にはなるまい。別に恰好のいいことを言っているわけでもない。

 吹き出して笑うカタリナの笑顔に、不思議と充足を感じて俺も笑う。

 

「うし。しっかり終わらせて、早く家に帰ろう」

「ええ」

 

 彼女は俺の何になれなくてもいいと言ったが、俺にとってのカタリナはとっくの昔に友人で、仲間で――もしかすると、それ以上の存在なのだろう。こうして二人でからかい合ったり、マリーの面倒を見たりしていると余計にそう思う。

 俺は、今も心のどこかで誰かを待ち続けているのに。

 

 

 これも矛盾(パラドックス)なのだろうか。

 未だ答えは出ない。

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