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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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45.改変①

 次に目が覚めたのは知らない病室だった。

 どうやら毛布に包まって呑気に寝ていたらしい。俺が失態に首を縮めていると、律儀に付き添ってくれていたらしい騎士の少女が廊下からすっ飛んできた。

 どうも三重の早送り(ファストフォワード)の結果、俺の体は完全に壊れていたらしい。彼女曰く、俺は全身二十か所の骨折と外傷による発熱で気を失い、またもドネット医師の世話になって丸一日眠っていたのだそうだ。

 大仰に巻かれた包帯やら固定具(ギプス)やらを適当に解いてベッドから身を起こすと、病室の窓からアズルの街並みが見えた。

 

「怪我人は大勢出ましたが……死者はありません。ハリエット様も命に別状はないそうです。今は眠っていらっしゃるそうですが……」

「それはよかった。ありがとう……ええと……」

 

 そういえばこの子の名前を知らない。

 言い淀んでいると、どうやら察してくれたらしい。はっとしたような表情で居住まいを正すや、きちんと名乗ってくれた。

 

「モイラです。モイラ・ラングレン」

 

 ラングレン。聞き覚えがあるような、ないような。

 記憶を探っても明確に思い当る節がなかったので、引っかかるものを覚えながらも頷くに留める。

 

「そっか……ありがとう、モイラ」

 

 モイラ嬢の言葉を受け、俺は安堵と共に目を凝らした。

 惨劇の爪痕は、街を横断する火事の跡として生々しく残されている。しかし、縦横に走る街路には慌ただしく行き交う人々の姿が見えた。理不尽に絶望するでもなく、悲しみに暮れるでもなく、ただ、不幸に抗う人々の姿が。

 

「……よろしいのですか?」

 

 遠慮する俺を押し留め、解いた包帯を拾い集めながら、モイラ嬢はぽつりと言った。意味が分からず首を傾げる俺に、彼女は目を合わせないまま言葉を重ねる。

 

「街の人々は誰も……あなたの功績を知りません。あの魔獣のことも、大火災のことも……すべて騎士団が解決したと思っています。このままでは私たち水星天騎士団の……ひいては、その主であるミラベル様の功績になってしまいます」

「ああ、そうだなあ」

 

 適当に相槌を打ちながら考える。

 実際、消火活動で駆け回っていたのは水星天騎士団だ。

 間違っていない。

 

「いいんじゃないか? 殆ど事実だし」

「そんな、どこがですか……!」

 

 掠れた非難の言葉を口にしたモイラ嬢は、包帯を握り絞めながら言う。

 

「称えられるべきはあなたです、団長代理。あなたが居なければ私たちもここには居なかった。いったいどれだけの人が犠牲になっていたかも分からない。なのに……黙っているなんて……!」

 

 水星天騎士団と九天の騎士達に頼んでいた事がある。

 それは、何があっても――誰に対しても――俺の存在を口外しないという事だ。それは街の人間はおろか、領主や番兵団――この街に居るマリーやミラベルさえも含める。

 水星天騎士団はドーリアの襲撃情報を偶然入手し、独自の判断で動いた。

 ひとまずはそういう筋書きにしてもらっている。ガルーザ卿は得心のいかない様子だったが、ちゃんと守ってくれているようだ。

 

「そうでないと困る理由があるんだよ」

 

 無論、面倒を避ける意味合いもあるが、どちらかと言えば別の理由が大きい。

 まだやらなければならない事が残っている。俺の存在はその時まで隠しておかねばならないのだ。しかし、そんな都合を知る由もないモイラ嬢には単なる方便に聞こえたらしく、なおも納得いかない様子で顔を上げた。

 

「でも……でも、あなたに何の報酬もないなんておかしいです。せめて何か……誰かが知っていても……労ってもいいのではないかと思います」

 

 今回の件で初めて会話を交わしたこの騎士の少女は、どうにも俺を不憫に思っているらしかった。

 勿論、そんな風に考えてくれる必要は微塵もない。

 ないのだが、事情を知らない彼女に納得してもらうのは難しいだろう。

 丸一日眠っていたせいであまり時間の余裕もない。

 簡単に身支度を整えつつ少し考え、俺は言った。

 

「そうかなあ。じゃ、君は知ってるんだし、どうぞ俺を労ってくれ」

「は?」

「遠慮することないぞ。さあ労ってくれ。さあ」

 

 モイラ嬢は一瞬、ぱちぱちと瞬きをして硬直した。

 それからようやく言葉の意味を理解したらしく、狼狽を露わにする。具体的には、手の中の包帯を全部取り落としてしまった。

 どうぞどうぞ、と両手を広げてみせるが、栗色の髪の少女は戸惑った様子であたふたするばかりである。

 

「えぇ……? そんな、私ごときが……!? い、いえっ! 私などの話ではなくてですね……!? その、あの……」

 

 ついには語尾が蚊の鳴くような音量にまで下がり、もじもじと浅葱色のマントをいじり始めてしまう。

 その様子がどうにも可笑しく、俺は久方ぶりに心から笑った。

 

「冗談だよ。必要ないんだ、そういうのは」

 

 笑いながら、手近なキャビネットの上に畳み置かれている着替えを見る。

 モイラ嬢が用意してくれたのだろう。水星天騎士団の甲冑とマントが一式。あとそれらとは別に、竜種との戦いで焼けてしまったものと形状が似ている灰色の革コートがあった。

 少しだけ考えてから、コートを手に取る。

 いつまでも休んではいられない。まるで採寸して仕立てたかのようにサイズがぴったりのコートを羽織って剣帯を下げる俺を、モイラ嬢はどこか残念そうな表情で見ていた。

 

「……」

 

 彼女の落胆には気付いているのだが、結論は変わらない。

 あちこちが軋む体に鞭打って歩き出す。

 

「着替えありがとう。助かったよ」

 

 すれ違いざまにモイラ嬢へ礼を述べ、病室を後にしようとした。

 

「……あのっ!」

 

 思いのほか大きな声がかかり、足を止める。

 振り返ると、栗色の髪の騎士は敬礼していた。

 

「ご一緒できて光栄でした、団長代理。またあなたの下で働ける日をお待ちしています。それは私だけじゃなくて……皆、同じ気持ちだと思います」

 

 答えず、軽く手を挙げるに留めて病室を出る。

 ドアの向こうでは、サリッサが廊下の壁にもたれて立っていた。

 俺の姿を見止めるや否や、片目を閉じて口元を緩める。

 

「あんた、最近いつもボロボロね」

「ま、自業自得ってやつだな。それより早いとこ移動しよう。時間がない」

 

 

 

 ***

 

 

 

 転移街(ポート)アズルの街中を歩いていると、何度か水星天の騎士達と出くわした。どうやら彼らは街の復興を手伝っているらしかったが、皆が揃って俺を見るなり敬礼をするのでどうにも面映ゆい。

 その度に返礼をするのも衆目を集めるので、しまいには小走りで逃げることにした。そんな俺をサリッサは指差してケラケラ笑った。

 

 姿があったのは水星天の騎士だけではなかった。見覚えのある甲冑の騎士達が焼け跡の瓦礫を片付けている様子を見掛け、念のためサリッサに確認する。

 

「あいつらは確か……」

「木星天騎士団ね。竜種(ドラゴン)にアズルの転移門(ポータル)が破壊された後、急に武装解除して投降してきたのよ。残らず全員。総勢、百十五名」

 

 白槍を担いで歩くサリッサが呆れ顔で言った。

 

「あの夜、木蓮(マグノリア)から撤退しろって命令を受けてたみたいよ。それでアズルの転移門を目指して移動してたらしいわ。んで、帰れなくなっちゃったから、せめて何か手伝いたいんだってさ」

「……そうか」

「水星天の副団長とか毒蛇(ヴァイパー)は罠かも知れないって受け入れに反対したんだけど、店長が説得してね。あの通りってわけ」

 

 無理もない。投降してきた敵だからといって、この非常時に百名超の騎士を全員拘束などしていられない。時間と労力の無駄だ。ならいっそ好きにさせておけばいい、という理屈は間違ってはいない。

 街の復旧作業に従事する彼らの懸命な様子を見るにも、保身や何らかの計略などではなく、善意からの行動なのだろうと窺えた。木星天騎士団の結構な割合が貧民街(ゲットー)と所縁ある者達であることも無関係でないに違いない。

 

「いい判断だな」

 

 今もどこかで奮闘しているだろうカタリナに、素直に賛辞を述べる。

 木星天騎士団の処遇も含めて、彼女ならこの先もうまくやっていけるだろう。

 そう確信できた。

 

「ふぅん。やっぱ信頼してるのね。店長のこと」

「ああ。少なくとも、俺よりは人の上に立つ才能があるからな」

 

 快晴の下、俺達は笑い合って歩みを進める。

 目的地はアズルの衛兵隊屯所だ。

 

 竜種(ドラゴン)の襲撃で焼かれる運命にあったアズルの人々を助ける事に成功した今、何の憂いもなく最後の仕事に向き合うことができる。

 いや、できる筈だった。しかし、屯所に近付くにつれて俺の足取りは重みを増していく。病室での目覚めから時間が経ち、あの夜の記憶が明瞭になるにつれて。

 

 モイラは間違っている。

 真に称えられるべきは俺ではない。

 己の消滅と引き換えに炎を鎮めた木蓮(マグノリア)こそが、そうだ。

 

「タカナシ」

 

 沈みかけた思考に、自分のものではない温かさが差し込んだ。傍らの黒髪の少女が俺の手を取り、赤い瞳で顔を見上げていた。

 

「あんまり役に立てなくて……ごめん。もしあたしもその場に居れば……一緒に戦えたのに」

 

 思いもよらない謝罪の言葉を投げかけられ、思考を中断する。

 サリッサが責任を感じる必要はない。なので、俺はそれ以上考える事はせず、手近な位置にまで下がってしまった彼女の頭を撫でた。

 

「馬鹿だな。気にしなくていいんだよ、そんなこと」

 

 そうしてしまってから、さすがに子供扱いが過ぎたのでは――と思い当たったのだが、当のサリッサは驚いたような、恥ずかしそうな顔をするだけで、特に何も言わなかった。

 考えてみれば、退行する前の彼女だって俺と同年代、十代半ばを過ぎたかどうか、といった年頃で、大人とは言い難い年齢だ。現界(セフィロト)の基準で言えば十分に一人前なのだろうが、異邦人である俺の感覚で言えばまだ子供になる。

 遥か昔の事なので全く記憶にないのだが、まだ妹が居た頃、もしかすると俺は妹に対してもこんな風に対応していたかもしれない。

 

 後悔や反省は後だ。

 助けなければならない人達がまだ残っている。

 

 苦い思いを残しつつも、最後の仕事を行うべく思考を切り替える。

 衛兵隊屯所の前で身を引き締めた俺は、サリッサの手を引きながら建物へと足を踏み入れた。

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