40.果て②
天井に八、左右の壁面に二つずつ、突き当りの壁とステンドグラスに七。
大小様々な魔法陣をカウントし終えた俺は、高く掲げた愛剣をそのうちのひとつ――突き当りの壁を目掛けて突き出した。
剣技の変則発動、混合剣技。金属同士の擦過音にも似た特有のノイズを発しながら、黒い魔素の刃が伸びる。
半ば爆裂するかのような勢いで壁にまで到達した魔素の刃を振るい、浮かび上がった七つの魔法陣を全て砕く。混合剣技の威力はそこで留まらず壁面をも完全に破壊して外界へ達した。だが、形振りを構ってはいられない。
解けた混合剣技の黒い魔素が散る中、猛然と踏み込んできた木蓮が短剣を繰り出しつつ魔術を起動する。
「風長刀ッ!」
振るわれる二本の短剣が描く軌跡が二条、壁の魔法陣から生まれる魔力の気配が左右で二つ。よしんば短剣の攻撃を受け切ったとしても、破壊魔法の直撃を食らう。直感でそう判断し、俺は恐るべき三方位四連の攻勢から逃れるべくバックステップを試みた。
その瞬間、木蓮の両手から二本の短剣が離れた。
斬撃ではない。投剣だ。
「クソッ!」
飛来する双剣の軌道を読んだ俺は、思わず悪態を口にした。
短剣の一本は俺を目掛けて放たれ、もう一本は俺の足元の床を狙って放たれている。その意図を察したからだ。
影縫い。影を媒介にした変則的な拘束系の魔法だ。拘束系魔術の中でも上位に位置し、対象の影に術式を込めた刃物等を突き立てる事で発動する。直撃すれば全身の自由を奪う威力がある。
投剣を迎撃せざるを得ない。
跳び下がるために膝を折った姿勢のまま、俺は剣技の変則発動、早送りで加速した。
左手で腰の剣帯から鞘を抜き、右手の剣と合わせて擬似的に二刀流の剣技を繰り出す。二本の投剣それぞれを左右の得物で弾き飛ばし――直後、左右から振り落ちてきた不可視の破壊魔法に向け、そのまま得物を叩き付ける。
風長刀。垂直方向の衝撃波で対象を破壊する、風属性中位の破壊魔法。その破壊力は、低級の槍、弾系魔術とは一線を画する。
叩き付けた左右の得物に異様な手応えが生まれ、軋んだ。
が、それも一瞬のことだった。
右の愛剣こそ風長刀の衝撃波を斬り散らしたものの、左手の鞘は粉々に砕け散り、防ぎきれなかった衝撃波が俺の肩をもぎ取るかのような勢いで砕いた。更には余波が側頭部を叩き、視界が一瞬暗転する。
――――強い。
風の中を猛然と追い打ちにかかる木蓮の姿を視界の中心に収め、俺は激痛に歯を食いしばりながら戦慄していた。
生前の彼女が各時代において最高峰の騎士である九天の一人であったことからも、その実力は疑いようもない。
いや、それだけではない。騎士としての彼女は、裏の顔である異端者としての能力は隠していた筈なのだ。その上で九天の一人であったのなら、その技倆は更に一段上を行くだろう。
そして、恐らくは外典福音としての能力が拍車をかけている。
礼拝堂内に浮かぶ魔法陣全てが、それぞれ別種の魔法であることは読み取れていた。起動寸前の魔術を予め設置するという芸当は魔術師にとっては不可能ではないのだが、設置した箇所に魔力の痕跡が残る。それなら、礼拝堂に足を踏み入れた時点で気付けていただろう。
つまり彼女は、碌な詠唱をしていないにもかかわらず多数の魔術を同時に行使していることになる。
それは、人の身ではどれだけ修練を重ねても到達し得ない次元の業だ。《魔法の福音》を持っていたマリアの権能、奇跡の模倣者以外には有り得ないと思っていたが、一個人でありながら複数人分の霊体を持つ外典福音なら不可能ではないのだろう。
勝ち筋が見えない。
千年前、同種の能力を持っていたマリアに対して、俺はただの一度たりとも勝ち星を上げることができなかった。往還者の中でも随一の攻撃力を持つ剣の福音はおろか、時間を操るという絶対の権能である時の福音さえも含めた上で、マリアは最強の往還者だったのだ。
いや、違う。
脳裏にちらつく少女の影を追い払い、俺は目を開く。
マリアはもう居ない。木蓮は彼女とは違う。その力には原理があり、そうである以上は限界が存在する。
負けられる戦いでもない。
戦うことで何かを証明しようとしている木蓮の為に。
今も絶望の淵に居るだろうハリエットの為に。
何よりも。
俺と同じ思いで戦い、傷付いただろうカタリナの為に。
負けられるわけがない。
魔法を受けた肩口が切れたのか。
視界の左隅で、思い出したように鮮血が散った。
その向こうで、黒衣の暗殺者の手刀が閃く。
彼女の完全なる見切り、白羽取りは記憶に新しい。
仮に俺が現象攻撃で剣を繰り出したとしても、また太刀筋を見切られて止められるに違いない。この状況で再び愛剣を破壊されるようなことになれば、今度こそ敗北は必至だ。
一刀では足りない。
ならば。
息を吸い、丹田へと流し込む。
痛覚を殺し、思考を回す。
僅かに見える勝算を現実のものとするべく。
そして俺は――――足元に転がっていた片手剣を爪先で蹴り上げた。
木蓮が話の最中に投げて寄越した、ドーリア製の片手剣を。
同時に、踏み込んでくる木蓮を迎え撃つべく思い切り床を蹴飛ばした。浮いた片手剣を踏み込みながら左手に収め、右の愛剣と併せて苛烈な二連の剣技を繰り出す。
極限の集中で鈍化した時間の中、俺は木蓮が瞠目するのを確かに見た。
左右のどちらかを見切って白羽取りを行ったとしても、もう一刀が彼女を砕く。しかし、手刀での受け太刀も許されない。俺の現象攻撃は彼女の戦技、魔手の防御を容易く両断するからだ。
実際には、俺の切断の現象攻撃は二刀の両方で発動することはできない。だが木蓮にはそこまでを看過する材料がない。彼女の目には、二刀の両方が致命の一撃に写っている。
回避以外の選択肢はない。ない筈だ。
「チィッ!」
だが、驚くべきことに、舌打ちをしながらも黒衣の暗殺者は手刀を振り切った。直前に攻撃の軌道を変え、二刀の刃ではなく、刀身の腹を打って剣技の矛先を跳ね上げたのだ。
生半な温い剣撃ではない。権能、剣技によって再現される最高練度の剣を、二刀同時にだ。
そんなものは、もはや神業という言葉ですらまだ足りない。絶技だ。
「シィィッ!」
二刀を切り抜け、僅かに引き絞られた暗殺者の右手が解き放たれる。
空気を押し潰すような重い衝撃音すら伴い、凶悪なまでに鋭い貫手が俺の胴を目掛けて伸びた。剣を跳ね上げられて体勢を崩した俺は、またも剣技の変則発動を強いられた。
上書き。無防備な体勢を瞬時に上書きし、貫手の前に防御の剣を滑り込ませる。直後、激突した剣と貫手が互いに帯びた魔素を散らし、緋色の火花を咲かせた。
だが、それでもなお、暗殺者の一撃は止まらない。
秘められていた膨大な威力は、受けた長剣ごと俺を後方に吹き飛ばした。
凄まじい勢いで視界が流れる中、俺は左手の片手剣を投じる。
魔力を込めた投擲の剣技だ。音速を超え、一条の銀光と化した剣は天井画と魔法陣とが描かれた天井に突き刺さる。その瞬間、内部に装填された膨大な魔素が行き場を失い、炸裂した。
ついぞ発動することのなかった天井側の魔法陣が掻き消え、崩壊した内装の破片が降り注いだ。その最中、長椅子の列を破壊しながら転がった俺は、ともすれば潰えそうになる戦意を奮い立たせながら再び立ち上がって愛剣を構える。
長椅子の列の向こう。未だ赤い身廊に立って残心していた木蓮は、突き出した右手を叩き下ろす。
魔術の発動動作か――そう悟った瞬間、未だ残っていた壁面の魔法陣が赤く輝き、長大な炎の舌を伸ばした。
遂に名すら呼ばず魔術を発動せしめた暗殺者は、有機的な動きで這い進む炎と共に疾駆する。
長椅子の群れを蹴散らしながら、真っ直ぐに向かってくる。
後退は有り得ない。
ここで背を向ければ、恐らくは木蓮の手中にあるカタリナがどうなるかは想像に難くない。
木蓮が投げ、俺が弾いた短剣の一本が傍らの長椅子に刺さっていた。それを左手で引き抜き、再び二刀で構えて走る。
放たれた二条の剣閃と双手が交錯し、火花を散らす。
遅れて訪れた魔術の炎が渦巻き、教会の伽藍を紅蓮が満たした。
***
ウィルフレッドは苦笑していた。
転移街アズル街門にまで到達した木星天騎士団百余名が呆然と立ち尽くす様が、ある意味壮観ですらあったからだ。
街に至るまでの道中で九天の騎士、毒蛇の妨害工作や罠に散々苦しめられた彼らを待ち受けていたのは、地面から迫り出した岩盤によって完全に塞がれた街門だった。
城こそなくとも、アズルの街の外周には石積みの都市壁がある。街門を通らずに迂回するとしても、そう簡単に街に入れないのは明らかだ。
街門の上に設置された櫓から彼らを見下ろしていたウィルフレッドは向き直り、得意げな笑みを浮かべている巨漢の顔を見上げた。
「さすがヴォルフガングさん。お見事です」
「ハッハッハ! 造作も無いことだ! 見たか、奴らの間抜けな顔を!」
半裸の巨漢は仁王立ちをして笑う。
が、さすがに言葉通りに造作も無かった訳でもない。ヴォルフガングが昼間のうちに街門周辺に岩盤を生成する魔術を仕込んでいたのはウィルフレッドも知っていた。でなければ、この短時間に街を封鎖するのは不可能だったはずだ。この結果は指揮官の采配による部分が大きい。
のだが、この巨漢の言動にはどこか憎めないものがあるのだった。ウィルフレッドはやはり苦く笑いながら、櫓に立つ残りの二人の同僚を見た。
その片割れ、どこか陰のある男が腕組みをしたまま呟く。
「妙だな」
何を指しての発言か分からず、ウィルフレッドは首を捻る。
「妙、ですか。いったい何がですか、毒蛇さん」
「……彼奴らめのうろたえようが、だ。見ろ、街門を突破しようとする動きどころか、他を当たろうとする様子さえない」
言われてウィルフレッドはもう一度、櫓から敵の騎士達を見下ろした。
少なくない人数が毒蛇の毒霧を食らったらしく憔悴した様子だったが、体力の残っていそうな者でさえ足を止めてしまっている。
そもそも、木星天騎士団は騎兵の割合が多い。他の街門からアズルに入ることもできるだろう。だからこそ、その動きを遅らせる為に機動力に優れたウィルフレッドとサリッサが投入されたのだ。
その騎兵すらも岩盤を前にして棒立ちになってしまっている。
「たしかに変ね。まるで……戦いに来たわけじゃないみたい」
戸惑ったように言うのは、白い槍を担いだサリッサだ。口をへの字に曲げて敵を睥睨している様子からするに、彼女にも解せないようだった。
彼女らに分からないのであれば、まさか自分に分かろう筈もない。ウィルフレッドは少しだけ思案してから、楽天的な考えをそのまま口にすることにした。
「いっそ事情を聞いてみる……っていうのはナシですかね。やっぱり」
「阿呆。敵だぞ、あれらは」
「もしかするとああいう演技をしてるだけで、何かの罠かもしれないし。下手に動かない方がいいと思うわ」
「……だよね」
やはり同僚達には一蹴されてしまい、金髪の青年は端整な顔立ちを歪めて頭を掻いた。もっと相手を信用していいのでは、などと考えてしまうのは、やはり自分が若輩だからなのだろうか。
カタリナや門番の少年に指示を仰ごうにも、伝声術は少し前から解除されてしまっていた。そうなってしまっては連絡をとる手段がなく、この場に居る現場気質な九天だけでは判断が難しい。
いや、ひとつ方法はあった。
「なら僕、ちょっとカタリナさんのところに戻って報告してきますよ」
その場の全員が間抜けな顔をした。
ウィルフレッドだけが有する稀有な才能、転移魔術の存在に思い至ったからだ。瞬時に空間を渡る、無二に等しい次元の特殊技能。彼一人であれば、街門から鐘楼までの距離など無に等しい。
言うが早く、ウィルフレッドは転移魔術を起動するべく僅かに意識を集中した。語る時間を惜しんだのは、何か言い知れない予感めいたものがあったからだ。
今、行かなければならないような気がしたからだ。
無意識に背中の大剣を抜いた金髪の青年は、次の瞬間には櫓から消えていた。




