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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
120/321

34.アズル防衛戦⑥

 どうも俺には人を扇動する才能もないらしい。

 話を終え、特に自己分析の必要もなくそう締め括って、俺は伝声術の光球を指で弾いて遠くへ押しやった。

 音も無く弾けて消えるブルーの光を横目に、燃える街の中で歩みを進める。街路には混乱した街の住民達、そして避難誘導を勤める衛兵隊が行き交っている。街は混乱の極みにあった。

 口や頭を動かす段階はもう過ぎ去っている。

 騎士達にも臨機応変に対応してもらう他ない。

 竜種(ドラゴン)が地域一帯の魔素(マナ)を吸い尽くした関係で、今のアズルで大規模な魔術行使は困難だ。片端から魔術で消火していくという、シンプルな力技は通用しない。火に対して物理的に対応しなくてはならない。水星天騎士団の面々には大変な役割を押し付けてしまった。

 

 ここから先、俺は表立って指揮を執ることが出来ない。

 俺自身は竜種の対応をすることになっているからだ。実際に対応するのは「現在の俺」であるので建前に過ぎないのだが、まさか同一人物が二人存在している事実まで明らかにするわけにもいかない。

 俺自身、謎の反応に対応しなくてはならない。いずれにせよ手は一杯だ。

 

「ドネット先生、例の反応は追えてるか?」

『南西方向、坊やの位置からおおよそ二ブロック先だ。徒歩で北に移動中』

「了解」

 

 木蓮(マグノリア)の目的はあくまで皇女の暗殺だ。

 アズルで何が起ころうがそれは変わらないように思える。むしろ、ドーリアの襲撃が起こしたこの混乱を好機と捉える可能性は高い。

 しかし、この街に居るはずのマリーとミラベルの皇女二人に対しては、それぞれ九天を護衛に向かわせてある。指揮を引き継いだカタリナにもサリッサとウィルフレッドが付いている。

 仮に、この先に待つ相手が俺を引き離す為の陽動――木蓮ではなかったとしても、即座に彼女達へ危険が迫ることはないはずだ。

 

「こっちのフォローはもういい。何かあったら知らせてくれ」

『……あの竜種と戦うのかい』

「難しい質問だ。そうとも言えるしそうじゃないとも言える」

『そうかね。まあ、深くは追求しないでおくさ。それはそれとして……あんたが何者であれ、人間なんて簡単におっ死んじまうもんだ。せいぜい気を付けな』

「ああ」

 

 最後の伝声球が掻き消え、俺は足を速めて石畳を蹴った。魔力の補助を使って十メートル以上跳躍し、燃える民家の屋根に飛び乗る。

 そこからはもう、様々なことを頭から締め出して集中した。乏しい魔力を全身に行き渡らせ、戦闘行動を開始する。

 火の粉が舞う緋色の夜空にもう一度跳びながら、俺は魔力感知を試みた。

 

 確かにひとつ、少し先の街路上に魔力を感じる。

 

 同時に覚えた微かな違和感は誤差として無視し、着地した瓦屋根を踏み締めてまた跳ぶ。剣技で先制するか、隠形で接近急襲するか。戦術を検討しつつ、建物から建物へと飛び移った俺は、次に起きた出来事に少々面を食らった。

 確かに感じていた魔力の気配が、突如消えたのだ。

 気取られたか。

 先制攻撃の目は潰えていないが、こちらの優位から五分の状況に移りつつある。木蓮のような達人を相手にするには僅かでも有利な条件を揃えなければならない――考えながら目を凝らして街路を見下ろすが、やはり何者の姿も見当たらない。

 もしも隠形――魔力を抑えて感知の目を誤魔化す技法を使ったのであれば、当然、魔力の恩恵も放棄しているということになる。魔力補助を用いている俺よりも速く移動できる筈がない。

 或いは、何らかの魔術による撹乱――であれば、状況が五分から不利へ変わっている。逆に先制攻撃を受ける可能性が格段に上がったと考えるべきだ。

 俺は既に愛剣を抜き、右手で構えていた。

 屋根の上で呼吸を整え、魔力ではなく五感を使って敵の気配を探る。大規模な火災という混乱の中であっても、研ぎ澄ませた感覚は十全に機能する。

 だが果たして、その必要があったのかは疑問だ。

 その人物は街路を挟んだ向こう、燃え盛る民家の屋根に堂々と立っていたからだ。数瞬前には確かに存在しなかったにもかかわらず、騎士が持つ生来の特性としての魔力障壁で熱を遮断しながらも、炎熱の気流で長い髪を靡かせていた。

 木蓮ではない。

 濃い青の衣装に白い外套(マント)。緋色の中でもなお鮮やかな金の髪。

 知る人物を想起させるその姿に動揺しつつも、俺は、その人物の顔を覆う白い仮面に目を奪われた。

 途端、何か、思考にノイズが走るような感覚があった。まとりまりかけた考えが散逸してしまう、奇妙な何かだ。忘却(オブリビオン)誘眠(ヒュプノシス)のような干渉系の魔術に似た感覚。

 直接的な害意があるようには思えないが、何らかの魔術的な認識妨害を受けているのは間違いなかった。

 

「誰だ?」

 

 剣先を向けつつ、相手まで届かないと分かっていて声を発した。

 正体の分からない仮面の騎士は唇を読んだか、掌をこちらに向けて示す。恐らくは戦意がない、という意思表示なのだろう。

 一見したところ木星天の騎士でもなければドーリアの傭兵騎士でもない。無関係な騎士がたまたま街に居た、と解釈すべきなのだろうか。

 だとすれば今、関わっている暇はない。

 仮面の女騎士は腕を振るい、魔術のような動作で無数の水球を生み出した。どうも消火活動をやってくれるらしく、だとすればやはり看過すべき人物であるに違いない。半端に関わって状況を説明する時間も惜しい。

 俺は一礼だけをし、僅かに頷いた女騎士から視線を外した。

 

 唯一のそれらしい反応が人違いであった以上、木蓮や木星天騎士団はまだアズルに来ていない、と考えていいかもしれない。

 脳内に地図を広げる。

 木星天騎士団が展開している西の峡谷からアズルの街を結ぶ最短ルートには、毒蛇(ヴァイパー)の手によって彼自身を含めたいくつかの罠が仕掛けてある。もしも騎士団が大規模な行動を起こせば連絡が入っているだろう。

 木星天はまだ動くつもりが無いのか――とまで考えた時、視界の隅で女騎士が腕を振り落とした。

 靄の如き青い魔素が飛び散り、生み出された水球が箒星のように宙を奔る。着弾した建物の火が吹き飛ばされるように消えていった。

 見る限りそれは水弾(ウォーターボルト)という初歩の魔術だ。一般的には魔素を水の弾丸に変換して飛ばすという単純な工程の術だが、彼女のそれは着弾時に爆発する工程が増やされていると見える。

 アレンジ以外の部分に無駄(ロス)が全くないあたりも、彼女の技巧が窺える。火の消えた建物の上に立つ女騎士をどう賞賛すべきか言葉を探していると、彼女は人差し指を白い仮面の口の辺りに当てた。

 賛辞は不要であるらしい。苦笑しつつ手を振ると、青い光球が飛んできた。

 伝声術だ。

 

『火の手がかなり広範囲に渡っています。いずこの騎士団の方のお見受けしましたが、そちらでは十分に対応できていますか?』

 

 女性というには若い、少女の落ち着いた声が届いた。

 少しだけ考え、必要最低限の情報をシェアする。

 

「手が足りないには違いないが、何とか対応にあたってる。こっちの人員にはまず延焼を食い止めてもらってる。その後に消火を行う手筈だ」

『承知しました。私はこのまま火を消して回りますので、ご同輩に話を通しておいてください。事情は知りませんが、先程のように疑われては堪りません』

「了解……ああ、いや。待った」

 

 癖でドネットを呼ぼうとしたものの、彼女が付けてくれていた術の光球は既に消えてしまっていた。彼女の負担を考えて切り上げさせたのだが、どうにも判断を早まったかもしれない。

 

「すぐには連絡が取れない。悪いが一緒に行動してくれないか」

『ええ、構いませんが……あなたも魔法を?』

「残念ながら、そういう便利なのは持ち合わせがない」

 

 遠目に仮面の騎士が頭を振るのが見えた。

 小さな溜息が聞こえた気がしたのも、恐らく気のせいではあるまい。

 

『では指示を』

「片っ端から火を消してくれ、っていうのは無理だよな」

『当たり前です』

 

 無理と分かっていて聞いてみるも、答えは予想通りのものだった。

 大気中に多くの魔素が存在する平時であれば兎も角、大気中どころか地脈の魔素すら枯渇させられている現状において、人間が行使できる魔術には限度がある。

 もしも霊体(アストラル)で保有している魔素を使い切ってしまえば、それまでだ。自然回復は見込めず、それは即ち術者の死を意味する。

 

「この周辺だけでいい。俺は延焼を防ぎながら後を追う。自由にやってくれ」

 

 それでだって十分に無茶な注文ではあるのだが、仮面の騎士は何も言わずに水球を生み出した。腕前を見込んだとおり、彼女には可能であるらしい。

 もし木星天騎士団が動いていないのであれば、俺も陰ながら消火活動に加わることができる。俺は愛剣を担ぎ直し、燃え広がる危険のある建物を探して視線を彷徨わせた。

 

「そう甘くも無いだろうが」

 

 

 

 ***

 

 

 

 カタリナ・ルースにとって、戦火を目の当たりにするのは初めての経験ではない。彼女がまだ父から騎士としての教育を受けていた頃、七年戦争で行われた戦闘に随行した経験があったからだ。

 それは戦争全体の規模からすれば実にささやかな戦いで、実戦経験と呼ぶのは憚られるような内容ではあったのだが、経験のひとつであるには違いない。

 ただ、それらの実戦が「街が炎に両断される」などという光景とは程遠かったのも事実である。同種の被害を受けたというロスペール城砦を除けば、戦争で数多繰り広げられているだろう光景よりも苛烈な惨状であることに疑いの余地はない。

 未来からの干渉。アキトによる事前の避難誘導がなければ、いったいどれだけの死者が出ていたことだろう。

 それでも、負傷者の発生までは避けられなかった。

 吹き飛んでしまった巨大な転移門(ポータル)の破片による被害。

 被害予想範囲の細かな誤差。

 延焼区域の発生。

 先程から矢継ぎ早に報告が入っている。アキトも自らが立てた計画(プラン)が完璧であるとは考えておらず、仮に何の問題も無く遂行されたとしても、人的被害をゼロに抑えることは出来ないと覚悟していた節がある。カタリナも立案の段階でそれは察していた。

 騎士達は今、消火活動の傍らで救助活動をも行っている。ようやく事態を把握した行政側、アズルの衛兵隊なども助勢に加わりつつあるが、状況は混沌としていて予断を許さない。

 

「歯痒いですわね」

 

 カタリナは呟き、鐘楼から燃える街を見下ろした。

 事態が動き出してしまえば、もはや彼女に出来ることは限られていた。

 騎士達が確保した要救助者に避難所を割り振る。人手の足りない班へ比較的余裕のある者を回す。報告された情報を丁寧に整理し、妥当な判断を下す。

 そういった、誰にでも出来ること(・・・・・・・・・)でしか全体に貢献することができない。

 

 夜空を見上げた。

 そこには先程まで、アキトが居た。

 厳密には過去(・・)の彼だ。

 彼は皇女ミラベルと共に竜種(ドラゴン)の第二撃から街を守り切った。如何なる手段を用いてか空を駆け上がった彼は、見事に極大の火線を切り払って見せたのだった。

 話には聞いていたものの、実際に目にするとやはり呆気に取られる他ない。

 それに比べると、自分はどうだ――などと考えてしまう。

 

「気持ちは分かるけど、向き不向きってものがあるでしょ」

 

 傍らに控える、槍を携えた黒髪の少女が言った。

 

「アイツは、ああやって自分が矢面に立つのが当たり前だと思ってる。実際、あんなのは他の誰かに出来ることじゃないんでしょうよ。ムカつくことにね」

「サリッサ」

「でも万能じゃない。だからあたし達がここに居る。アイツには出来ないことをするために」

 

 童女と言っても差し支えない年齢にまで退行したサリッサに言われると、カタリナは口を噤むしかなかった。少しでもアキトの力になりたい、と考えているのは彼女も同様である。むしろ、彼とサリッサが行動を共にしている経緯を聞けば、それ以上の感情があるということは容易に想像できる。

 不老という、往還者の特性は決して神の祝福などではない。サリッサの場合は肉体的な成長の余地までも完全に失っている。人としての未来を失くしたと言っても過言ではない。たとえそれが止む得ずの選択だとしても、彼女が代償の大きさを自覚した上で実行したのは、少なからずアキトが関わっているからだ。

 有り体に言ってしまえば、それは愛だ。彼女のそれは、カタリナの曖昧な気持ちよりもずっと強いに違いない。

 鐘楼の鐘突き台に立つもう一人、ウィルフレッドの心中も穏やかではないのでは、と彼を見たカタリナだったが、彼はサリッサの言葉に特別な反応は見せていない。当初から変わらず、険しい表情で燃える街を見ている。

 その視線に気付いた彼は、一拍の間を置いて口を開いた。

 

「そうですね。僕らが無闇に逸っても仕方ないですよ。まずは僕らのやるべきこと、出来ることをしましょう。それ以上は、この苦境を乗り切った後で考えればいいと思います」

 

 余計なことは考えてもいないらしい。どうやら腹も決まっているようで、ウィルフレッドは淡々と言ってのけた。普段の柔弱な態度も鳴りを潜めている。

 

「……ですわね。わたくし達は火消しに勤しむとしましょう」

 

 まったく彼らの言うとおりだ。

 カタリナは自省し、指揮に専念することにした。

 第二段階(フェーズ2)も折り返しを過ぎている。延焼を食い止める作業は順調で、街が丸ごと焼けてしまうような最悪の事態は避けられている。

 しかし、引き続いて消火作業を進めなければならない。水星天騎士団にも魔術の使い手は少なくないものの、付近一帯の魔素不足は深刻だ。やはり魔術ではなく物理的な手段を主にせざるを得ない。

 幸いこの街、転移街(ポート)アズルには水道網が敷かれている。井戸なども併せれば、使える水源の数は十分と言えた。

 後はもう、単純な力仕事である。水を汲み上げて火を消すのだ。原始的ながら、他に方法はない。その為の水桶や樽なども、日中のうちに街のあちこちに配置してあった。

 

『いえ。残念ながら、火消しばかりを考えていられる状況でもありません』

毒蛇(ヴァイパー)?」

 

 どこか陰鬱そうな男の声が響き、三人は光球のひとつに視線を集めた。声の主は木星天騎士団が陣取る峡谷を監視していた騎士だ。

 

『彼奴らめが動きました。陣を畳み、総出でアズルに移動しております』

「なっ……このタイミングでですか!? よりによって!?」

 

 ウィルフレッドが呻くように問い返す。

 反面、カタリナとサリッサは平静だった。

 

「このタイミングだからでしょう。不思議ではありません」

「混乱に乗じて仕掛ける、って腹積もりなのかしら」

「さあ、どうでしょうね。アレを見て義憤で立ち上がってくれた、という可能性がないでもないとも思いたいですが……さすがに望み薄ですか」

 

 遠方に佇む不気味な竜種の影を指して言ってから、カタリナは息を吐いた。

 これも予想の範疇だ。

 出来ればそうなって欲しくはない、という部類の予測ではあったものの。

 しかし、対応を全く考えていなかったわけでもない。

 だからこそアキトは毒蛇を木星天騎士団の監視に充てていた。

 

「毒蛇、あなた単独でどれだけの時間が稼げますか」

『半刻が限度でしょう』

「では、そのようにお願いします。無理はしなくて結構」

『御意』

 

 カタリナは端的な指示を行い、別の人物に繋がっている伝声球を手繰り寄せた。目を剥いたウィルフレッドが何かを言うより早く、彼女は光球に向かって声をかける。

 

「コールマンさん」

『ああ、聞こえてたよ。坊やに繋げばいいんだろ。ちょっと待ってな』

「お願いします」

 

 応答した女医の声には余裕が無い。彼女は現在、街の診療所で負傷者の手当てを行いつつ、平行して全員分の伝声術の制御を継続している。その負荷は計り知れない。手間取るのは当然だ。

 

「彼一人で敵を足止めするんですか!?」

「無茶でも何でもやんないと困るでしょうが。別に正面から戦えって話じゃないしね。そういうのは毒蛇の得意分野なんだし、大丈夫よ」

 

 抗弁するウィルフレッドをサリッサが宥める。

 現状では議論の余地がない。そう判断してカタリナも言葉を重ねる。

 

「彼もプロです。出来ないことは言わないでしょう。稼いだ時間で街を封鎖し、木星天騎士団の介入を遅らせます。ヴォルフガングさん、よろしい?」

『勿論ですとも! お任せください!』

 

 別の光球から頼もしい返事を返ってくる。

 彼、ヴォルフガングの得意とする地属性の魔術は陣地形成に向いている。街の外縁部を石壁で覆うのだ。半刻でそれを行うのは通常不可能だが、準備が事前に済んでいるとなれば話は別になる。ヴォルフガング自身も並の術師ではない。

 

「木星天騎士団が防壁を破壊、或いは迂回するとして考えても……凌げるのは一時間程度でしょうね」

 

 計算を終え、カタリナは爪を噛む。

 一時間では消火活動の完遂は不可能だ。その目算でさえ、木蓮(マグノリア)という特筆すべき敵戦力を無視した上での希望的観測でしかない。

 火災への対応はここで打ち切り、街のどこかに居る皇女二人を探し出して保護、速やかに撤退するのが正しい判断かもしれない。

 そもそも、街自体までを守る必要はない。住民の命を救った時点で最悪の事態は避けられている。それで良しとすべきなのか――

 

 否だ。

 

 カタリナには、話し合うまでも無くアキトの返答が予想できた。

 彼は何かを天秤に掛けるような真似をしたがらないに違いない。拾える可能性が僅かにでもあるのなら、たとえ体を張ってでも拾おうとするだろう。

 彼のひたむきなその姿勢は、カタリナ自身の答えでもある。

 しかし、余剰の人員はもうない。皇女達の捜索、護衛に出しているアウロラとバルトーは迎撃に充てるわけにはいかない。水星天騎士団は消火活動で手一杯だ。

 であれば。

 

「サリッサ、ウィルフレッド。ヴォルフガングさんを支援してください」

 

 言われたサリッサは僅かに思案し、戸惑いながら答えた。

 

「えっと、それはいいけど……指揮官が一人になっちゃって大丈夫なの?」

「構いませんよ。元々の采配に問題があります。わたくしに護衛は必要ありません。敵の狙いは皇女殿下がたです」

 

 二人はアキトの指示でカタリナ同行している。

 それは、彼が出した指示で唯一納得できない点だった。いくら指揮を引き継いだといっても、敵から見れば戦略的に価値の無い自分に貴重な戦力である二人を護衛に付けるのは、さすがに用心の度が過ぎている。

 問い質しても煙に巻かれ、カタリナは渋々納得したのだが――もうそんな余裕がある状況ではない。そもそも、カタリナには強力な権能がある。身を守れる程度には腕に覚えもあった。

 

「ん……了解。でも気を付けてね」

「ええ。あなた達も無理はしないで下さい」

 

 同じく往還者であるサリッサには、その旨が伝わった。彼女は静かに頷き、鐘楼から去っていく。ウィルフレッドも慌ててその後を追うが、彼は階段の手前で立ち止まると、ゆっくり振り返った。

 

「どうしました?」

「もしハリエットが……木蓮(マグノリア)が別の場所で見付かったら、その時は僕に教えてもらえますか」

 

 青年はカタリナの目を見て言った。

 パン屋として働いていないウィルフレッドは、他の九天の騎士とは違ってカタリナと縁が薄い。ただ、ハリエットと多少親しかったらしい、という事実だけはカタリナも理解はしている。

 ただ、その事実にはメリットがない。戦いに私情を挟むのは褒められたことではない。駆け出し戦術家としてのカタリナはそう判断する。

 しかし、人としての彼女は異なる結論を出した。

 

「可能であればお知らせします。状況が状況ですので保証はできませんが」

「十分です。ありがとうございます」

 

 安堵した様子で去っていくウィルフレッドを見送り、カタリナは再び大きく息を吐いた。

 そもそも現状自体、全員が私情を総意として行動しているようなものなのだ。私情を否定してしまっては全員の立つ瀬が無い。

 

「さて」

 

 ひとり、気持ちを切り替えるように頬を叩く。

 アキトに状況を報告し、彼にも動いてもらわなければならない。

 木星天騎士団と派手に一戦を交えるわけにはいかない。この状況を上手く切り抜けるには彼の力が不可欠だ。

 

 しかし、

 

「コールマンさん?」

 

 女医から応答が返ってくる様子は一向になく、カタリナは鐘楼の上から彼女が居る診療所の方向を見た。

 被害区域はまだ煌々と燃える炎が広がっているものの、負傷者を運ぶ施設には延焼の危険性が低い場所ばかりを選んでいる。ドネットの居る診療所も例外ではなく、火の手が迫っているなどという事はない。

 

 代わりに何かが見えた。

 夜闇の中、持ち上がる影がある。

 診療所の建物を破壊し、瓦礫と化したそれを巻き上げる何か、大きなもの。

 次の瞬間、カタリナの周囲に展開されていた伝声術の光球が一斉に弾けて消滅した。その現象が、何よりも事態を物語っている。

 術者の身に何かがあった、という事態を。

 

「コールマン先生!?」

 

 大きな影は完全に立ち上がっていた。

 土と街路の畳み石で構築された人型。子供が泥を捏ね回して作り上げたかのようないびつな造形をしたそれは、両の腕を夜空に目掛けて振り上げる。

 

 ――石人形(ゴーレム)

 

 セントレアの森で遭遇した石人形よりも遥かに大きなそれは、振り上げた腕を診療所の残骸目掛けて何度も打ち下ろした。その度に地響きのような轟音が耳に届き、声もなく戦慄していたカタリナは、更に息を詰まらせた。

 

 あんなものに叩き潰されては――中の人間は。

 愕然と膝を折りそうになりながらも、カタリナは思考を止めなかった。

 

「……診療所自体を襲う意味はない。やはり……伝声術の術者を叩いて指揮系統を潰したと見るべき……? だとしたら敵は……もう街の中に……!」

 

 一瞬、最悪の想像が彼女の脳裏を過ぎる。

 皇女達が敵に見付かり、襲われているのではないかという想像だ。

 しかし、カタリナはすぐにその最悪のイメージを打ち消した。事がそこにまで及んでいるのなら、わざわざこちらの指揮系統を乱す理由が無いからだ。

 猶予はある。

 自らの推測を信じ、カタリナは鐘突き台から身を乗り出す。

 夜闇と炎が見える。騒乱の最中にある夜の街を肉眼で見回したところで、敵の姿を都合よく発見できるはずもない。人間には不可能だ。

 

 けれど自分は、もう人からは外れかけている。

 普段は強く抑制している内なるもの。

 両の瞳と頭の中に巣食う「それ」に働きかけ、権能を行使する。

 

 石人形(ゴーレム)。魔素の空白地帯にあって、魔術で編まれた巨大な使い魔(ファミリア)は魔力の痕跡を残し過ぎている。薄い緑に光る帯のような痕跡が、権能によって肉体の視力(スペック)を無視したカタリナには見える。

 

 帯の先に居る、術者の影さえも。

 

 即座に、背負っていた器械弓を構えた。

 鐘楼から術者までの距離は、およそ一マイル。常識的に考えれば弓の射程ではない。長射程の高位魔術でもおよそ届き得ない距離だ。

 しかし、カタリナの持つ叡智の福音、彼女が知恵(ソフィア)と名付けた力は全ての解答を識っている。例外は無い。それがたとえ、当人が体質上の禁忌としている手段であっても。

 

 アレンジした初歩の風属性魔法を詠唱し、つがえた矢に纏わせる。威力を補強、風の影響を極力取り除く。

 そして、最適な射角に合わせて夜空へ向けて限界まで引き絞った。

 

「当たれ……ッ!」

 

 祈るような言葉と共に放たれた矢は、風を生んだ。暴れた空気が、射手の髪を激しくなびかせるほどに。

 山なりの軌道を描いた矢は夜空を裂き、届かない筈の距離を駆け抜けて爆ぜた。

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