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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
一章 門番と皇女
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12.往還者①

 日々の習慣と時間の感覚が一致しなくなる、というこの現象には、いつまで経っても慣れそうもない。

 俺はたっぷり八時間近く寝てから、今はテレビを見ながらコーヒーを啜っている。前日はまるまる二十四時間近く寝ていなかったので、そうこうしていても、なかなか脳は覚醒してくれない。

 気だるい。

 テレビの画面に目まぐるしく流れる朝のニュースは、どれもどうだって良い話ばかりだ。カフェインを胃に流し込んでみても、頭を回転させてくれるような材料にはなりそうもない。

 飯を食うべきだろうか、と思い当たり、キッチンに移動する。

 俺の感覚では半年近く戻っていなかった自室の冷蔵庫には、賞味期限内の食料品が多く残っていた。ハムや卵など、朝食にはおあつらえ向きの食材もある。俺は半年前の自分に感謝しながら、それらを適当にチョイスして取り出す。

 近くを走る電車の音を聞き、俺はひどく懐かしい気分になった。セントレアで聞こえていたのは、だいたい馬車の車輪が立てるけたたましい音くらいなものだ。

 どちらも騒音には違いないというのに、こうも感じ方が違うのは何故なのだろうか。

 

「東洋人?」

 

 人生と騒音の関係について深遠な考えを巡らせていると、困惑した様子の少女がキッチンの入り口から顔を覗かせた。

 三つ編みが解けているのと、眼鏡がないことを除けば、それは俺の良く知る少女の姿だった。

 顔色も見違えるほど良くなっている。

 俺は安堵して、それから、自分が安堵したことについて少々驚いた。

 

「ここは一体……それに、私の身体は」

「悪いけど説明は後だな。まずは朝飯食べようぜ」

 

 フライパンを片手に、俺はカタリナにほくそ笑む。

 

「そんなこと言ってる場合じゃ……はっ! 殿下! 殿下は今お一人なのでは!」

「ああ、そうだな。でもまあ、大丈夫だよ」

「何を馬鹿な! 大丈夫なわけがないでしょう! 私もあなたも居なければ殿下が危険――何ですかそれは」

 

 ぴろりーりー。

 IHヒーターの電子音に、カタリナは機敏に反応して身構えた。

 

「何って、コンロだけど」

「コンロ? それが? 変な音がしましたし火が出ていませんが」

「火じゃなくて弱い雷を利用して熱を起こす仕組みなんだよ。ほら、雷って物焼けるだろ」

 

 カタリナは恐る恐る近寄ってくると、ヒーターの上に乗ったフライパンを凝視する。

 仕方なく早々にハムを投入すると、意外と良い音をたてて焼けた。両面を焼き、卵を落としてハムエッグを仕立てていく。

 息を呑んで様子を伺っていたカタリナだったが、ようやく納得したように頷きながら顔を上げた。

 

「……なるほど。しかし、この面妖なコンロは一体どういう原理で魔法を使っているんですか。どうも魔素(マナ)が感じられません」

「残念ながら俺も詳しい仕組みは分かってない。ただ、少なくとも魔法は使ってないな」

「魔法を使っていない? それはおかしいでしょう。魔法もなしに、どうやって弱い雷を起こしているんですか」

「ええと、それはだな。どこかに発電所っていう設備があって、そこで……後にしてくれ」

 

 手早く二人前のハムエッグを用意して食卓に並べる。

 腑に落ちない顔のまま席に着いたカタリナだったが、腹は減っていたのだろう。

 ハムエッグをフォーク一本で器用に食べ始める。

 

「それで一体、ここはどこなんですか」

「日本」

「……ニホン?」

「俺の生まれ故郷だよ。具体的には俺の部屋」

 

 俺の体感ではもう遥か昔の話。

 僅か2LDKの、この狭いマンションの一室が本来の俺の居場所だ。

 

「ここはウッドランドじゃない。国どころか世界が違う。分かりやすく言うと、天国とか地獄かな。どっちかは人による」

「ふん、何を馬鹿なことを。死人が物を食べますか」

「物の例えだよ」

 

 俺は大口を開けてハムエッグを一口で食べる。

 

「しかし……よりによって異世界ですか。もし仮にその言葉が真実だとして、何か証拠はありますか」

「窓から外でも見れば良いんじゃねえかな」

 

 もっちゃもっちゃと租借しながら、適当に答えた。

 神妙な顔をしたカタリナは、またも恐る恐るといった様子で窓に近寄り、カーテンを開ける。

 そして、すぐに閉めた。

 

「ここは一体どこの城塞ですか!」

「いや、普通の住宅街だ……」

 

 俺の部屋から見える景色といえば、隣の雑居ビルの壁だとか、遠くの街並くらいなものだが、それでも十分な衝撃だったらしい。

 コンクリートのビルは、言われてみれば確かに、砦に見えないでもない。給水塔などは下手したら不気味なモニュメントにしか見えないだろうし、電柱や電線に至ってはまるで意味が分からないオブジェだろう。

 こめかみを押さえながら食卓に戻ったカタリナは、ハムエッグに視線を落として眉をひそめる。

 

「つまり、これも見た目は慣れ親しんだ玉子でありながら……その実、異世界の食べ物ということになりますよね」

「鶏と豚にあっちもこっちもないから黙って食え」

異界クリフォトの食物を口にすると、二度と現世には戻れないと聞いた事があります……」

 

 黄泉比良坂かよ。

 

「別に大丈夫だよ。俺もいつもめっちゃ食ってるし、そこの寝室の奥にある扉から問題なくいつでもセントレアに戻れる」

「寝室? ああ、私が寝ていた部屋ですか」

 

 寝室のクローゼットとセントレアにある詰め所の地下室が繋がっている。

 改めて考えると、まるで何かの冗談のような話だが、厳然たる事実だ。

 

「いつでも戻れるが、今は駄目だ。最低でも二日はここに居てもらう」

「何故です。二日も空けてしまっては、殿下が……」

「いや、こっちで何日過ごそうがセントレアでは一秒も経たない。だから殿下は大丈夫だ」

 

 逆にセントレアで何日――何年過ごそうが、こちらでは一秒も経過しない。

 そこまでは口にしなかった。もう既にややこしいというのに、これ以上ややこしい説明をするのは避けたかったというのもある。

 だがそれ以上に、この事実は大いなる矛盾を孕んでいる。

 俺自身、それに対しては未だに納得のいく答えを見つけ出せていない。

 

「異世界では時間の流れ方も異なるということですか。本当に、まるでおとぎ話ですね」

「俺からすれば、お前らもよっぽどおとぎ話なんだけどな」

「というと?」

「もう気付いてるかもしれないが、この世界には魔法がない。だから精霊も居ない」

 

 精霊が居ないということは、精霊憑きであるカタリナもこちらの世界では体内に精霊を溜め込むことはない。

 悪化さえしなければ、あとは霊体アストラルから精霊が緩やかに排出されるのを待てばいい。

 二、三日で快方に向かう筈だ。

 

「魔法がない世界……私には想像もできませんが……つまりあなたは、私を助ける為にわざわざ異世界に連れてきたんですか?」

「そりゃ、他に手がなかったし……借りは返さないといけないからな」

「……借りだなんて」

「俺が勝手にそう思ってるだけってのも分かっちゃいるけどさ。それに俺だって、出来れば皇女殿下の泣き顔なんて見たくない」

 

 苦笑いを浮かべる俺。不意にカタリナの目に悪戯っぽい光が宿る。

 

「へえ。あなた、いつもは殿下なんてどうでも良いんだぜ!みたいな態度をしているくせに」

「な、なんてことを言うんだ。俺ほどの忠義の人はそうはいないぜ?」

「はいはい。素直じゃないですわね」

「本気で言ってんのにな」

「そうですわねー」

 

 後ろで腕を組み、からかうように笑うカタリナの、いつのまにか戻っていた変な言葉遣いに、

 俺はただ、頭を掻くしかない。

 

 

 ■

 

 

 カタリナの小さな口から感嘆の溜息が漏れた。

 アクリル系の人工大理石で作られた浴槽に、透き通るような薄緑色の湯がなみなみと張られている。

 

「この短時間で、これほど大量のお湯が用意できるなんて……一体どういう仕組みなんでしょう」

「セントレアじゃこうは行かないよな。薪で炊くか魔法で炊くかだし、共同浴場だもんなあ」

「にわかには信じがたいですわね。そもそも庶民の邸宅にこんな浴場が備わっているだなんて、外の景色よりもよほど衝撃です」

 

 驚きポイントが意外だ。

 シャワーとかお湯を文字通り湯水の如く使いまくるのだから、ウッドランド人の目にはきっととんでもない贅沢に映るだろう。驚きのあまり失神するんじゃないだろうか。

 などという、くだらない考えを頭の隅に追いやり、俺はバスタオルを差し出す。

 

「入っていいぞ」

「は?」

「この風呂、入っていいぞ」

 

 雷に打たれたように硬直するカタリナに、再度バスタオルを差し出す。

 

「ま、まさかこんな立派なお風呂を、わ、わたくしが使うんですか」

「この国じゃみんな毎日そんなお風呂に入ってるんだ。気兼ねするほどのことじゃない」

「……異世界、恐ろしいところですわ」

 

 バスタオルを両手に乗せたまま硬直するカタリナを脱衣所に取り残し、リビングに戻ってコーヒーを啜る。

 気だるい。

 テレビに流れるのは、相変わらず、至極どうだっていい情報ばかりだ。

 現世に戻ったところで、現世でやることなんて何もないし関心なんてあろうはずもない。

 何年かに一度、たまに思い出したようにふらりと戻っては、現世の食料や本を持ってまた異世界に帰る。そんなことを、もう数え切れないほど繰り返している。

 俺の魂はあの異世界に取り残されたまま、きっともうここには戻らない。

 或いは、どこにでもいる学生だった高梨明人(たかなしあきと)という個人は、あの世界に転移した瞬間に死んでしまったのだろうか?

 

「それもどうだっていいことさ」

 

 風呂場の方から聞こえる水音をかき消すようにひとりごちて、俺はコーヒーを飲み干した。

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