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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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29.貴族②

 九天の騎士達の中で、俺は彼のことを特に何も知らない。

 印象に残り難い人物だ。

 かつて彼らがミラベルの命令によってマリーを狙っていた時期、一番最初にやってきたそのバルトーという青年は、巨大な白銀の騎乗槍(ランス)を得物とする熟練の騎士だ。朴訥そうな見た目をしていて、常に誰かの傍で控えている。だが彼が何者かの腰ぎんちゃくかと言えば、そうではない。

 彼は何事に際しても客観視をする種類の人間らしい。あらゆる状況において自分を当事者として置かない、とでも言うべきだろうか。主体となる流れの中で、自分に出来ることだけをする。そこに彼の決定意思はあまり含まれない。なぜなら、

 

「タカナシ君。私はね、世の中は金が全てだと思っています。人は金で平然と裏切りますが、金は人を裏切りません。どこでも使えます。そして、人は金を裏切ることができないでしょう。金を無くして生きられる人間など居ないのだから。つまり金こそが人の上位存在、いわゆる神なのです」

 

 騎士達がアズルに向けて出発する前、彼は俺を呼び止めてそんな話を始めた。

 第一声がそれなのだから、彼は本当にそう思っている種類の人間なのかもしれない。

 できれば冗談の類だと思いたい。こんな騎士は嫌だ。

 だが、彼の目はすこぶる真剣だった。

 心の底からドン引きする俺に、彼は淡々と続ける。

 

「私は金だけを崇拝しています。金に仕えて金にだけ奉仕をする。ですから、私は絶対にお嬢や君達を裏切りません。信用してもらって結構です」

 

 できるわきゃねえだろうが。

 内心では一蹴するが、バルトーがあまりにも真顔で言うので少し付き合う。

 

「ミラベルはともかく、俺達は金なんて持ってないぞ」

 

 俺に至っては殆ど素寒貧だ。

 無駄に胸を張る俺に、バルトーは「分かっていないな」というような顔をして肩をすくめた。

 

「君は、現在のルース・ベーカリーの売り上げ額を知っていますか? 大貴族でもない、まともな金銭感覚を持っている身からすればちょっとした珍事ですよ。たかがパン屋と侮るなかれ、お嬢には商売の才能があるようなのです」

 

 言われて少し考える。

 従業員である九天の連中を食わせられる程度には儲かっているはずだろう。

 いや、人数を考えると確かに妙だ。田舎街であるセントレアでパンを売って、そんなに売上が立つものだろうか。手広くやったって無理がある。

 

「もしかして……セントレアで売ってるだけじゃないのか?」

「勿論です。隣街はもとより、北はグラストル、南は皇都まで出荷していますよ」

「マジかよ」

 

 彼の言葉に俺は衝撃を受けた。

 確かに、ちょっとした事件だ。グラストルは皇国の最北端あたりに位置する街である。どうやって、という疑問はあるが、そこまで広大な販売網を持っているなら、間違いなく結構な儲けが出ていることだろう。昨日今日始めたパン屋でどうやったらそんなことになるのか。

 バルトーの目が鋭く細まった。

 

「そして……あのカレーとかいう料理。あれは現世の……現界(セフィロト)の食べ物ではない。発想の根本が異なり過ぎている。お嬢がどこからか持ってきた素材、調味料……そして君が異界(クリフォト)からやって来たと伝えられている剣の福音だという事実。それらを加味すると、もはや自明です。あれは異界の料理だ」

 

 ぎくりとする。

 彼がカレーを口にする機会は沢山あっただろう。カレーパンの件もそうだし、それ以前にマリーが大勢を招待して振舞っている。

 迂闊だった。頭を抱える俺に、バルトーはあくまでも真顔で、ろくろを回すかのようなポーズをとった。妙に既視感のある仕草というか、物凄くビジネスに長けていそうな印象を相手に与える動作だ。

 

「分かりますか、タカナシ君。お嬢が構築した販売網とノウハウ、そこに異界の調理技術、食文化が合わされば……これはもう、革命といっていいほどの旋風を商業世界にもたらすでしょう。特許(パテント)を取得すれば更に磐石だ。間違いなく大金になります。もうお嬢は泥に塗れて騎士などをやっている場合ではないんです。分かりますか?」

「……あ、ああ」

 

 圧倒される。

 どうやら彼は、本当に金以外の事を考えていなかった。

 自分の住む世界と別の世界があると知って、いきなり金儲けに結び付ける人間がどれほど居るだろうか。少なくとも、千年前の俺なんかは胸が高鳴るだけで、そろばんを持ち出そうという気には絶対にならなかっただろう。彼は徹底している。

 

 バルトーは言い切った後、十数枚の手書き資料を俺に差し出した。

 目を走らせると、木星天騎士団の仔細な情報が記されていた。騎士団員の構成、保有する装備、戦力拠点の数や場所。団員の簡単な来歴。

 彼らと対するに際しては、どれも有力な武器になる情報だ。

 

「これは、いわゆる未来への投資。先行投資です」

「先行投資」

「君がこの下らない争いを早く片付けてくれれば、お嬢も我々もベーカリーに専念できる。そうなれば私も、お嬢を焚き付けてベーカリーの拡大路線を推し進めることができるでしょう。労せず、存分に美味い汁を吸う事ができるのです。薔薇色の未来だ。その為の協力は惜しみません」

 

 言いたいことを存分に述べた後、バルトーは呆然とした俺を置いて去っていった。

 

 とにかく彼が争いを望んでいない人間であるには違いなく、動機が何にせよ協力してくれるなら有難い限りだ。と、意識的に納得をすることにして資料に視線を戻す。

 バルトーはひとりの名前に目立つ赤の筆跡で下線を引いていた。

 

 ――騎士団長のエリオット・ランセリア伯爵。

 団員中唯一の貴族にして、正規の騎士教育を受けていない、お飾りの騎士団長。

 確かに、屈強な木星天騎士団のアキレス腱は間違いなくこの男だろう。

 

 

 

 ***

 

 

 

 皇都衛星都市郡のひとつである転移街(ポート)ランセリア。その一帯を治めるランセリア公爵家の跡取り息子であるらしいエリオットは、ハリエットの実兄だ。

 つまり元々はハリエットも貴族の娘だったらしい。

 公爵家の長女として生まれた彼女だったが、何を思ったか魔術師――いや、魔導院に所属する魔術師、「魔導士」なる職を目指して家を出奔。挫折、失職などの紆余曲折を経て、やがて騎士となって木星天騎士団に所属している。

 では、木星天騎士団の団長である兄エリオットが縁故採用を行ったのか、というとそうではないらしい。なぜなら、このエリオット坊やが団長になったのは彼女の入団よりも後、つい最近の話だからだ。

 彼は騎士団長という身分を金で買った男であるという。

 自らに箔を付けるという、ただそれだけが目的で騎士団長という地位を欲した彼は、実際にそうなった後は実務をすべて部下に委ね、自身は道楽三昧の日々を過ごしていたらしい。この来歴だけでもエリオットという男の人格は推し量れようが、野営の最中に女を侍らせているとは、さすがに思っていなかった。危機意識がなさ過ぎる。

 己が人を殺そうとしているのだという自覚はないのか。

 ないのだろう。

 自分の手で試みたことのない者が、実感を得られるわけがない。剣を握ったことのない人間は、剣の重みを知らない。

 

「なっ、なぜだぁっ!? 皇子が提示した刻限はまだまだ先じゃあないかっ! なぜ彼がこの私を切り捨てるんだ!? 私は次期公爵だぞッ!?」

 

 天幕の中。

 この世の終わりだ、とでも言わんばかりにエリオットは喚き散らした。

 彼は完全に信じ切っている。

 俺が「皇子」とやらの手勢で、自分を始末しに来たのだと。そう誤解するよう仕向けたのは俺なのだが、あまりにも簡単に信じ過ぎではないだろうか。

 

「マグノリアが仕損じた。セントレアの皇女は生きている」

「……っ! 何をやっているんだあの役立たずはッ! あの化け物はッ!」

 

 狐を思わせる男が悪罵を口にするや、まるで歌劇か何かのような大仰な動作で机を叩いた。これだけ騒げば天幕の外にも聞こえるだろうが、エリオット自身が人払いをしていた為、特に誰かがやってくる気配はない。

 顔を紅潮させてぶるぶると震えていたエリオットだが、唐突に何かに気付いたかのように顔を上げた。

 

「いや……いや、まだだ。まだ予備の計画がある……マグノリアが戻ればチャンスはまだある! おっ、皇子にはそう伝えて欲しい!」

 

 エリオットは縋るように言うが、それは不可能だ。

 俺は裏で糸を引いているらしい「皇子」の使いではないし、そもそもその皇子とやらの顔も名前も知らないのだ。

 だからこそ、先程から俺は念じている。皇子の名前を言え、と。話を合わせる意味でも、皇子の名を知る必要がある――だが、直接問い掛ければ彼に疑念を与えてしまう。

 

「その判断はこちらがする。まずは計画とやらを話してみろ。期待ができるようなら、俺から皇子に話をつけてやろう」

「あ、有難い!」

 

 保身にご執心な伯爵は、予備の計画を嬉しそうに洗いざらい喋った。

 おおよその流れは俺の推測通りだった。マグノリアはセントレアでの暗殺が失敗に終わった場合、できるだけ戦力をセントレアに引き付けてからアズルでの暗殺を実行する腹積もりだった。

 聞きながら感心する一方、厳しい綱渡りだとも思う。

 マグノリアが少しでも遅れれば暗殺のタイミングを逸してしまう。彼女に依存し過ぎている。個人に依存する計画は破綻を招きやすい。

 いや、そもそもミラベルの――セントレア側の戦力が多過ぎるのだろう。

 木星天騎士団単独ではやはり荷が重い。最大戦力のマグノリアに負荷がかかるのは当たり前だ。「皇子」とやらは分かっていないのだろうか。

 或いは、分かっていてやらせたのかもしれない。

 セントレアに集いつつある無視できない戦力を少しでも削ぐ為、あわよくば継承者を減らす為の、哀れな捨て駒――

 

「ど……どうだ? 文句はないだろう?」

 

 話終えたエリオットは、怯えの色が濃い様子で俺に問いかけた。

 この男はまるで好きになれなかったが、時間をかける価値があるほどの害を成す人物でもない。動きを封殺するだけで十分だと思える。

 俺は数秒考え、適切な言葉を選んだ。

 

「いいだろう。だが、皇子への釈明はお前が自分でやれ」

「……な!?」

「お前達の杜撰な計画にかかずらっていられるほど、俺も皇子も暇じゃあない。お前が直接出向いて申し開きをするといい。まだ昼だ。急げば間に合うかも知れないぞ」

「き、貴様……! 使いっ走りの騎士ごときが、この私を……ッ!」

 

 青から、再び赤へ。エリオットの顔色が変化する。

 だが俺が剣の柄に手を置くと、たちまち腰を浮かせて蒼白になった。

 人を脅すのは、やはり気持ちのいいものじゃない。剣から手を離し、俺は言う。

 

「ここで斬られないだけマシだと思え」

 

 皇子の名を聞き出せなかったことに若干の不満はあったものの、俺は迷わず天幕を後にした。マグノリアがいつ戻るか不明である以上、長居は危険だ。

 

「覚えておけ……! 必ず後悔させてやるぞ……ッ!」

 

 背中越しにかかった言葉は声が震えていて、まるで恐ろしくはなかった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 血相を変えた伯爵が慌てながら馬を走らせて峡谷を後にする姿を、俺は崖上に戻って兜を脱ぎながら見ていた。

 数名の騎士を引き連れて行ったあたりに、彼の用心深さだけは窺える。

 もし彼の一行を追跡すれば「皇子」のところまでご案内してくれるのだろうが、さすがにこちらにそんな時間はない。

 だが、これで木星天騎士団は指揮官である彼が戻るまで動かないはずだ。皇子に貧民街という人質を取られているハリエットとマグノリアも、絶対に動けない。

 問題は、これでどれだけ時間が稼げるかという点だが、アズルにミラベルが到着したら強引に動いてしまう可能性がある。彼女が街を離れるまでには仕掛けるはずだ。これを逃すと木星天騎士団には後がなくなるからだ。

 

 最遅で――明日の晩だろう。

 ――ドーリアの襲撃と被るかもしれない。

 

 峡谷から巻き上がる風が頬を撫で、俺は、どうしても険しくなりがちの顔を揉んだ。

 困難はとうに覚悟している。立ち止まってもいられない。

 俺は踵を返して、木立から俺を迎える二人の少女に向けて親指を立ててみせた。

 

 

 ジャンの言っていた「俺達が選ぶ結末」は、もうすぐそこにまで迫っていた。

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