28.貴族①
もし仮に、今のセントレア勢力と木星天騎士団が正面から衝突したとしたら、それはもう内紛と言っても過言ではない規模の戦闘になるのではないだろうか。
と、これも俺が抱いていた危惧のひとつだが、転移街アズルから東の方角に位置する峡谷に布陣した木星天騎士団の陣容を確認するに、それなりに的を射ていたのではないかと思う。
谷底の川縁に、以前の戦いで南平原に展開した水星天騎士団のものとほぼ同等の規模を持つ、簡易的な野営地が構築されていた。動員されている人数もほぼ同等――百に届くだろうか、といった具合だろう。
アズルの街からほど近く、水源も確保できる上に峡谷の影にもなっている為、外部から発見され難い地形だ。確かに拠点には向いている。だからといって堂々と自国内で陣地を敷く図々しさにはもう、驚く他ない。
ミラベルの私兵である水星天騎士団とは違い、木星天騎士団は皇国の実働戦力だという。だとしたら、彼らの活動資金は皇国からも幾らか出ているのではないか。
騎士団ひとつを動かすにも大金が要る。兵站、装備、給金。実態はどうあれ、建前上はお家騒動である継承戦にここまでの国費を投入されたと知ったら、さすがに国民が暴動を起こすんじゃないだろうか。
「よくもまあ惜しげもなく投入してきたな。税金だろ、あれ」
「想定外ですわ。あれだけの戦力……いったいどんな口実で捻出したのやら……」
別に高額納税者でもないので他人事のような感想を漏らした俺だが、傍らのカタリナは冗談に付き合わず険しい表情で応じた。
皇国の基準で考えると感覚が麻痺しがちだが、騎士という存在は一般人にとって隔絶した存在である。平均的な騎士でも、十人も集まれば一般兵士で固めた城を攻略できるかどうか、という次元の戦力だ。それをダース単位で気軽に繰り出す皇国が異常なのであって、本来、騎士団などという極大戦力は個人の暗殺に用いるには甚だ過剰なのである。
これではもはや戦争と変わらない。継承戦に「夜のみ実行可」「手勢は騎士のみ」という建前上の原則が設定されているのも頷ける。
でなければ、この国は継承戦で国内の秩序がズタズタに引き裂かれかねない。
「騎兵が四割……かな? 足の速そうな編成ね」
折り畳み式の望遠鏡を覗くサリッサが、けろりとした顔で目算を口にした。
明くる日。
俺達は崖上の木立に身を潜め、遂に発見した木星天騎士団の陣容を偵察していた。
アズルへの移動を再開した俺達は、道程の九割九分を消化した時点で、追跡から探索へと目的をシフトした。途中でマグノリアと遭遇しなかった――つまり、どこかで彼女を追い抜いてしまったからだ。
彼女が主要な街道を使用しなかっただけなのか、はたまた彼女が「アズルに向かった」という俺の推論が間違っていたのかは、定かでない。しかし、こうして木星天騎士団をアズルの近郊で発見してしまった以上、マグノリアの目的地がアズルである可能性はいっそう高まったと言える。
やはり、あの街が決戦の地となるのか。
「こんな辺鄙な場所に陣を敷いて、いったい何をやってるのかしら。ミラベルを待つならアズルの街に居ればいいのに」
思考から顔を上げた俺は、サリッサの問いに端的に答えた。
「恐らくだが、ミラベルに察知されるのを警戒してるんじゃないかな。あの子と正面から戦いたいなんて奴はなかなかいないだろう」
「……ああ、そういうことね」
少しだけ考える様子を見せた後、白槍を担いだサリッサは頷いた。
あの補佐司教、皇女ミラベルは頭抜けた実力を持つ魔術師でもある。
彼女が用いる銀属性の高等魔術、銀弓は攻撃対象を精緻に追尾する、ミサイルのような特性を持つ。これだけならまだいいが、彼女が行使する銀弓は、その身に宿した莫大な魔力によって同時発射数が膨大になっている。
仮に、一定の距離を置いた状況で彼女と戦闘を行うとすると、まずはその幾百の魔弾を掻い潜らなくてはならなくなる。これは実際に経験した俺の率直な見解だが、そんなことは不可能だ。近代戦で十字砲火に晒される兵士以上の絶望を味わうことになる。
多対一の状況では逆に拍車が掛かる。彼女に向かって素直に陣列を組んで突撃などをしようものなら、前から順に死体が積み上がって前進が滞り、ただひたすらに屍の山がうず高くそびえ立つような構図が出来上がるだろう。
ミラベルを斃すには、量だけでは足りない。単体の質、強力な騎士も必要だ。木星天騎士団においては、ハリエット――マグノリアに他ならないだろう。あれほどの達人、あれほどの極致が騎士団と共にかかるのであれば、恐らくは届き得る。
木星天騎士団はマグノリアを待っているのだろう。
ミラベルの護衛の多寡を確認する意味でも、戦力補完の意味でも。その後、万全を期して仕掛けるに違いない。
無論、それをさせるわけにはいかない。
「連中を無力化しよう」
「え……ここでですか!? わたくし達だけで!?」
「そうだ」
目を丸くするカタリナに、静かに頷く。
出立前の会議では、木星天騎士団への対処もある程度話し合っていた。本来であればアズルの街を基点として防衛線を敷き、迎え撃つのが戦術として最良である。但しそれは騎士団同士の戦いの話であって、竜種の攻撃に備えなくてはならないこちら側には、そんな悠長をやっている時間の余裕はなければ、人手もない。
だいいち、俺達は地理的な意味でも後手に甘んじている。九天と水星天騎士達がアズルに到着するのは、早くとも今夜か、ことによると明日の未明だろう。全ての行動は迅速に行わなければならない。
故に、俺は三人だけで木星天騎士団に対応する気でいた。自動二輪を引っ張り出したのはその為でもある。マグノリアを捕捉できれば最上だったのだが、今は後回しにするしかない。
「じゃ、とりあえず引っ掻き回す? だったら先陣を貰うけど」
ズレた眼鏡を掛けなおす赤毛の少女とは対照的に、まったく動揺のそぶりを見せないサリッサが槍を持ち上げた。
しかし、早合点である。皇女殿下ばりのちんちくりんと化した彼女の頭をくしゃくしゃに撫で、俺は首を横に振った。
「いや、戦うのは無しだ。怪我人が大勢出る」
勝つだけなら難しい話ではないだろう。
今、ここには神の作り出した往還者が三人も居る。相手が百の騎士であろうが、無防備な相手に対して先手を取れるのなら、まず負けはない。策も要らないだろう。急襲するのみで勝利が可能だ。
例えば、自国領内だからと気を抜いている木星天騎士団の天幕に、片端から順に混合剣技をぶち込んでいくだけでもいい。泡を食って飛び出してきた者は剣で直接片付けるとして、およそ三割――いや、四割までは食える。
その結果、何人の重傷者を出すかは見当も付かない。無防備な相手を攻撃するのだ。殺傷してしまうことも十分にあり得るだろう。
それでは意味がない。
理由もまた、ない。
「……そ」
何とも言い難い、拗ねるような、微笑んでいるような顔でサリッサは頷いてくれた。そんな彼女様子に何か、大昔の――異界での記憶が疼いた気がした。が、やはり何も思い出せず、一旦、頭の片隅に追いやる。
ではどうするのか、というカタリナの視線に応えるべく、俺は一度言ってみたかった台詞を放ち、得意げに親指を立てた。
「任せてくれ。俺にいい考えがある」
***
とは言ったものの、陰行を駆使して峡谷の野営地に忍び込む瞬間だけは、さすがに肝を冷やした。なにせ真昼で、峡谷には身を隠せるような障害物が殆どない。丸見えだ。
魔力の補助を最低限にして崖を這い降りるという行為も相当に恐ろしかったが、歩哨がこちらを向けば一発でバレてしまうという緊張感が手に汗を滲ませ、慣れないロッククライミングを更に過酷にした。
崖上から見守ってくれているふたりも、顔色の変化が相当面白いことになっていた。しばらくは思い出し笑いの火種に困りそうもない。
無事に忍び込み、手近な天幕に単独の魔力反応を見つけた俺は、特に行動に迷うこともなく中へと侵入し、気付けばそこに居た甲冑の騎士を背後から絞め落としていた。
半ば無意識の行動だ。
どうにも――人間と戦っていた時期の勘が戻りつつある。
とはいえ、もし騎士が警戒していたなら、さすがにこんな真似はできなかっただろう。しかし、水星天騎士団や月天騎士団がそうであったように、皇国の騎士達はどうにも油断している時は本当に油断しきっており、己が不意を突かれるという状況を想定していないらしい。
もし皇国軍もそうなのだとしたら、この国の先行きはやはり暗かろうものだ。
昏倒した騎士から全身甲冑を剥ぎ取って着込む。幸い木星天の騎士達はマントを着用していなかったので、それだけで変装は済んだ。顔面を覆い隠すアーメットヘルムの角度を整え、俺は天幕から外へ出る。
出た瞬間、俺は自分の目算が若干誤っていたことに気が付いた。
無骨な甲冑に身を包んだ騎士が歩哨として闊歩していた。その歩み、身のこなしは水星天の騎士よりも一段上に見える。どちらかと言えば、最前線で戦っていただろう月天騎士団の騎士の練度に近い。
脳内で戦力の計算を少しだけ補正する。特段の問題はないだろうと結論付けた俺は、怪しまれないうちに堂々と歩き出した。
戦いに際して狙うべき箇所は、たとえ相手が屈強な集団であろうが、剣で人間の相手をする場合と本質的には何も変わらない。
足、つまりは機動力を削げばその集団は死に体になり、手、つまりは武器を奪えばその集団は戦えなくなる。
目は斥候。耳は諜報。口は伝令。戦闘集団は人体とよく似ている。
例えば、全身に酸素と栄養を送り届ける、動脈――補給線だ。これを突く有効性は、今更論じる必要もない。食料がなければ人は戦えない。
だが、現状で確実な致命傷になるかといえば、ノーだ。アズルの街という病院が間近に存在するからだ。駆け込んで延命する可能性が十分にある。
いま狙うべきは、もっと確実な急所だ。
ただ一刀で戦闘集団を死に至らしめる、確実な急所。
それは、頭だ。
野営地の最奥に位置している一際大きな天幕の前に立ち、中の気配と魔力とを探る。
気配はふたつ、魔力はひとつ。
またも問題ないと判断し、織布が垂れた入り口から中を覗き込むと、中には豪奢な赤い絨毯が敷かれていて少々驚く羽目になった。
普通、こんな場所で絨毯は敷かないだろう。趣味の悪さに辟易しつつ足を踏み入れると、奥まった場所から、椅子が軋むような――妙な物音がした。
兜のスリットからまず見えたのは、狐のような顔立ちをした若い男の驚いたような表情だった。慌てたようにこちらを向き、居住まいを正している。
その男の傍らから、若い侍従が胸元を押さえて勢いよく離れた。俯いた侍従は俺の脇を抜け、そのまま小走りに出て行ってしまう。
未だかつて、俺はこんな阿呆を見た事がない――
「んんっ! なんだね……お前は。用件を早くい……」
咳払いをした男が何かを言い終わるより早く、俺は長剣の鯉口を切り終わっていた。
剣技の変則発動。早送りを行使して加速する。無音で踏み込んだ俺は、男の口元を左手で鷲掴み、力を込めた。
それから右手で少しだけ剣を抜いて示すと、男が目玉を剥いて何かを喚いた。喚いたのだが、口は塞いでいるので何を言っているのか分からない。
俺は努めて低く、兜の下から声を発した。
「黙れ」
びくりと震え、男が静かになる。
続けざまに、俺は思ってもいないことを言った。
「これからお前が何か喚く毎に、足から順に指を一本ずつ貰う。いいな」
男は一瞬、愕然とした。
理解が追いついたのか、次の瞬間には壊れた玩具のように首を何度も縦に振る。
――こんな奴が。
湧き上がる怒りを抑え、切り離す。
今はやらなければならないことを、やるのだ。そう強く自分に言い聞かせ、俺は三度、口を開いた。
「俺は皇子の使いだ、伯爵」
狐面の男――木星天騎士団長エリオット・ランセリア伯は俺の偽りの言葉を聞くや、見開いた瞳に明確な恐怖の色を浮かべ、再び判然としない呻き声を上げた。




