11.侍女と雨②
「灼天射抜け、燃え盛る煤炭、稲妻の冠」
二の矢をつがえるカタリナの口から、風に乗って詠唱が聞こえる。
天弓。撃ち出した魔素の塊を熱に変換、対象物を穿孔する、高位の攻撃魔法だ。
筆頭と呼ばれた覆面の男は撃ち抜かれた腹を押さえながら下がる。だが、怪我人の足で間に合うものではない。
「天弓」
「冷楯!」
再び放たれた極光を、帽子を目深に被った少女が防御魔法で受け止めた。相克の属性を持つ青い壁に、天弓の光は幾条にも分散させらされる。だが、まるで止まらない。防御魔法の壁はあっさりと砕け、帽子の少女が悲鳴を上げながら屈み込む傍を、猛烈な熱と破壊が降り注ぐ。
あり得ない。
目の前で繰り広げられる魔法戦に、俺はそんな感想を抱く。
魔法は厳格な体系を待つため、どの魔法がどういう仕組みで何の属性を持つのか、といった情報はある程度知れ渡っている。専門の魔術師同士なら仕組みが分からない魔法は殆どない。
これは、攻撃前に手の内が晒されているカードゲームのようなものだ。対抗手段を取ることが容易い。それ故に、魔術師同士の魔法戦は泥仕合になることが多い。お互いの攻撃を相克する属性の防御魔法で防ぎ合う、といったことが起きやすいからだ。
だが、カタリナと少女の攻防は一方的だった。
帽子の少女はカタリナの放つ熱線を防ぎ切れず、ついに手にした長杖でそれを受けた。膨大な魔素を秘めた光芒が弾け、頑丈な真鍮の杖が半ばから溶け折られる。
長杖を失った少女の顔が、驚愕と絶望に染まった。杖の補助でようやく渡り合えていたのだろう。
対するカタリナは最初から無手だ。杖と共に戦意を折られた少女へ、まるで路傍の石でも見るかのような冷ややかな視線を送る。
「よくも邪魔をしてくれましたね」
「ひっ……」
彼女はどこまでも冷えた声で、吐き捨てるように言った。少女はびくりと身を震わせる。
覆面の男の姿はもうどこにもない。土遁術とやらで逃走したのだろう。見れば、騎士然とした金髪の青年の姿も消えていた。
単身で殿を務めた少女は、その役割を十分に果たしたのだ。足からほどけていく拘束魔法を見ながら、俺は静かに長剣を鞘に収める。
「まあ、いいでしょう。できれば無駄な力は使いたくありません……どこへなりと失せなさい。今すぐに」
カタリナが戦意を無くした相手を屠るつもりであれば、俺は割って入る気でいたのだが、幸い、彼女は魔術師の少女から興味をなくしたように視線を外して呟いた。
腰を抜かしながら逃げていく少女を、俺も黙って見送る。後のリスクを考えれば無力化した方が良いというのは理解している。現に今まではそうしてきた。しかし、今回は追わなかった。
こうして、曇天の下で唐突に始まった九天の騎士達との決戦は、驚くほどあっさりと決着を見た。
あのまま続けていても、彼らは敗北するのみならずリーダー格の男を失っていただろう。撤退の判断は順当と言える。
色のない顔で血溜まりの前で立ち尽くすカタリナを、俺は放り捨てたダウンジングロッドを拾いながら見た。
カタリナが使用したあの白い攻撃魔法は、魔術には疎い俺でも名前を知っている。
疑いようもなく、カタリナ・ルースはかなりの実力を持った魔術師である。
「良かったんですか? 捕まえなくて」
血溜まりを向いたまま、枯れ、ひび割れた声でカタリナが言った。
「お前、いつから気付いてたんだ」
「……最初から」
俺は瞠目した。
確かに俺は色々と鈍い。自覚はある。
しかし、この赤毛の少女がそれらしい素振りをまるで見せなかったのも事実だ。
「九天の騎士達の顔は、皇都の城で見た事がありましたから。といっても、向こうは覚えていないようですけど」
「なるほど、そいつは盲点だった」
「最初は驚きましたよ。彼らも見た目こそおかしな連中ですが、腕は確かです。自負する通りウッドランドが有する騎士の中で十指に入るでしょう。その彼らを、辺境の門番が事も無げに屠っているのですからね」
これは、俺の知る元侍女の口調ではない。
「ですが、彼らももう終わりです。あの覆面の男だけはこの機会に殺しておきたかったのですが……まあ、あの傷では生き延びたとしても戦いに復帰するのは無理でしょう。ですから、あなたにはとても感謝しています。あの男にだけは、私一人では勝てなかったでしょうから」
背を向けたまま言い切り、カタリナは眼鏡を外す。
見上げれば、薄暗い空から降り始めた雨雫が顔に当たった。
もしかすると血溜まりを洗い流してくれるかもしれない。片付けの手間が省けて助かった。
カタリナはもう語る事はない、と言わんばかりに静かに佇んでいる。もしかすると問いかけには答えるのかもしれないが、彼女は俺が他人の事情に首を突っ込まない人間であると知っている。
その通り、俺にはさして聞きたいと思う事柄がない。もしあるとすれば、ただ一つだけだろう。
「あの覆面とは、どういう関係なんだ?」
鳶色のエプロンドレスが僅かに揺れた気がした。
「魔法を撃った時のお前の顔を見た。あれは、ただの敵に向ける顔じゃない。何かがあるように見えた」
「柄にもないことを……それを聞いてどうするんです」
どうもしない。
俺はそう答えようとして、やめる。
「あの男はジャン・ルース。私の父です」
もう何を聞いても驚くまいと思っていたが、カタリナの言葉は俺を再び驚かせるに十分なものだった。
親を撃つ。どういう心境でならそれが為せるのか、俺にはまるで分からない。
「あなたでも、そんな顔をするんですね」
振り返ったカタリナは、俺の顔を見てそう言った。
言いながら、雨の中に倒れた。
■
「タカナシ殿、カタリナは大丈夫なのか」
倒れたカタリナを詰め所に運び、ドネットを何とか無理矢理引っ張ってきた後、
詰め所のリビングで俺と向かい合った皇女殿下は、顔面を蒼白にして開口一番にそう言った。
雨音がさんざめく中、俺は言葉を探しながら口を開く。
「皇女殿下、以前お話しした、魔素の循環については覚えていますか」
「神霊免疫学の話だな。覚えている」
「カタリナは霊体に欠陥があります」
この世界の全ての生物は、肉体に重なるようにして魔素の循環、霊体を持っている。通常、この霊体は大気中の精霊――様々な属性を帯びた魔素――が流入しないよう常に流れを保っているのだが、ごく稀に、循環がうまく働かない人間が生まれることがある。
大気中の精霊を霊体に取り込んでしまうのだ。
霊体に流入した精霊は、そこに流れる魔素を汚染する。霊体内に流れる魔素は基本的に何の属性も帯びてはいないが、精霊はこの無色の魔素を自らの属性に変質させてしまう性質がある。
例えるなら、身体の中を流れる血液が徐々に異物へと変化していくようなものだ。やがて、その変質は肉体にも及ぶ。
「……精霊憑き」
愕然とした皇女殿下の呟きに、俺は首肯した。
カタリナが自分でマリーを守らなかった理由を俺は理解した。守らなかったのではなく、守れなかったのだと。
魔法は、魔素に属性を持たせることで様々な超常の効果を生み出すという原理上、副産物として必ず精霊を生み出してしまう。喩えるなら、車における排気ガスのようなものだ。
彼女の身体は、その自らの魔法が生み出した精霊をも取り込んでしまう。魔法を使えば使うほど、身体は蝕まれていく。
到底、魔術師として戦える体ではない。
そうでなくとも、魔法が発達したこの世界には、大気中に精霊がいない場所などない。
故に、精霊憑きは死病とされる。
「皇都なら治療を研究している機関がある。確か、精霊を隔離する結界もあったはずだ。まあ、精霊から隔離したからといって完治する類の病でもないが、一時しのぎにはなるだろう」
寝室から戻ってきたドネットが、心なしか苛立たしげに、頭を掻きながら言った。
「早く馬車の手配をしろ。手遅れになるぞ」
「しかし、皇都は……遠過ぎるし……」
「だが、あのままでは三日も持たん!」
遮るようなドネットの言葉に、マリーは俯く。
いずれにせよ、皇都には行けない。俺は全ての事情を知っているわけではないが、恐らくマリーとカタリナにとっては敵陣に突っ込むようなものだ。三日を待たずして二人とも死ぬことになるだろう。
「どうしてそんな身体で魔法を使ったりしたんだ……ばかものめ……!」
「坊や、あの娘の家族はどこにいる」
「さあ。父親は腹に穴を開けたまま逃げた。母親は知らん」
俺は事実だけをドネットに述べると、眉をひそめる彼女を置いて、カタリナの居る寝室に足を踏み入れた。
後ろ手でドアを閉じる。
白い顔をしてベッドで眠っているカタリナは、素人目にも分かるほど深刻な状態だ。顔や手に、鈍く光る、ひび割れのような亀裂が走っている。それは霊体が溜め込んだ精霊が、可視化するほどの濃度に達していることを示す症状だ。
もう、体内で魔法が暴発しかけているのと等しい。
骨探しはどうした、だの、何であたしが、だのと最後までごねていたドネットですら、この状態を一目見た途端に息を止めたほどだ。
カタリナがここまでの代償を払って父親を撃った理由は、俺には分からない。
しかし、彼女の行動で俺が助けられたのは事実だ。たとえ彼女自身にそのつもりが一切なかったとしても。
俺は床板を数枚、静かに外して身体を滑り込ませた。
半年ぶりに開けた地下室は、カビの臭いと埃が充満している。俺は小さく咳き込みながら、照明代わりの蝋燭に火を点けた。
がらんとした空間には、錆付いた鉄の扉がある。
守るべき、本当の門が。
俺はその門をしばらく見上げてから、死に掛けている少女を運ぶべく、元来た階段を戻った。




