23.木蓮③
戦闘の結果だけを見れば、俺達は完勝したと言って良い。
セントレア周辺に潜伏していた夜の者のほぼ全員を撃破、捕虜とすることに成功。こちらの被害は皆無。主犯を取り逃がした以外は、文句の付け所のない戦果だ。
それでも、ルース・ベーカリーに帰還した九天の騎士達の表情は一様に曇っている。
無理からぬことだろう。ハリエット――マグノリアの素性に、俺よりも遥かに彼女との付き合いが長い連中が、何も思うところがない筈がないのだから。
彼らは憤るでもなく嘆くでもなく、表面上は平静であった。しかし、何も並んでいない商品棚にもたれたり床に座り込んだりして、めいめいに消沈している。
らしくない有様だ。実にらしくない。
そんな軽口を叩こうとした俺も、疲労を自覚して息を吐くだけだ。
居心地の悪さから店舗を後にして厨房へ移ると、オーブンの前に男が立っていた。
俺は再び溜息を吐きながら、男の前に立った。
「あんたはどこまで知っていたんだ」
「どこまで、とは?」
「水星天騎士が襲われた件……あんたがハリエットを調査に充てたのは偶然じゃないだろう。あの子が異端者だと知っていたのか」
男――ジャン・ルースは香ばしい匂いを漂わせるオーブンを向いたまま、俺の問いに答えるべく、顎に手を当てて何かを考える仕草をした。その、深い皺を刻んだ相貌に動揺はなく、彼が現状を正確に把握しているだろうことを窺わせる。
方法は分らない。だが、今はどうでもいい。
「確証はなかった。つい今しがたまでは」
「どういうことだ」
「前に話したとおり、夜の者と我々の小競り合いは長く続いている。だが、ある時を境に連中の動きが一度途絶えたことがあった」
ジャンは言葉を切り、ようやく俺の方を向いた。
「その時期はハリエットが九天の騎士となった時期と一致する。ハリエットの前任の騎士が病死した時期でもある。何か繋がりがあるのではと探ってはいた。まさか、当人達が連中の長だとまでは思ってもいなかったが」
どこまでが真実かは怪しい。いや、かなりの確率で嘘だ。
ジャンが本気で探ろうと思えば、ハリエットの出自――貧民街に強く結びついている人物であるということはすぐに分かっただろう。貧民街に住む、為政者に虐げられている者たち、すなわち異端者。異端者達の守護者である夜の者。
何かも糞もない。明白に繋がっている。
「どうしてすぐに対処しなかったんだ。あんたがもっと早い段階で対処していれば……こんなことにはならなかったんじゃないのか」
口に出してから後悔する。これではまるで泣き言だ。
ジャン・ルースは俺の苦し紛れを鼻で笑った。
「成る程、たしかに状況は違っていたかもしれん。ハリエットはとうの昔に死に、別の者が九天を名乗っていただろう。お前が知ることもなかったに違いない」
そこに嘘はないだろう。彼は、偽りなく騎士だ。
彼には裏切り者を殺さない理由が何もない。
「だから自分は手を出さなかったと?」
「どう解釈するかはお前次第だ。いずれにせよ現状は変わらん」
「他人事のように言いやがる」
「後事は任せたと言ったばかりだが? いや、お前にとっては何日前だったか」
俺の主観では四日前だ。
この男は娘に後事を任せると確かに言っていた。
「これより先、手段を選ぶのであれば相応の覚悟が必要となる。お前はよく理解しているのだろうが、若者はこれから学ぶ必要がある。カタリナに限らず」
「挫折を経験しろと?」
「結末を決めるのはお前達だ。もとより、お前達が選んだ道だろう」
ジャンは無感動にそう言うと、この男にしては珍しく葉巻などを取り出しておもむろにナイフで先端を切り始めた。厨房だぞ、と咎めようかとも思ったものの、今の俺にはそんな気力もない。思い直し、手近にあった恐らくは製菓用だろうリキュールのボトルを引っ掴む。
「後にしろ」
こちらを一瞥もせず、ジャンはむっすりと言った。
今度こそ抗議してやろうと文句を考えたとき、彼が先んじた。
「今朝、皇都に駐屯している木星天騎士団に動きがあった」
「なに?」
「まとまった量の物資を購入した痕跡が見つかったそうだ」
木星天騎士団。俺の記憶が確かなら、ハリエットが所属していた騎士団だ。
今回の件と無関係であるはずがない。
ジャンは切った葉巻を先端から解き、上巻き葉を広げて目を走らせている。文字が書かれている――どうやら葉巻に偽装された伝書であるらしかった。
「家令に動向を探らせていたのだが、どうやら裏をかかれたか。連中は既に複数の転移門を経由してどこかに向かったとある」
「行き先は?」
「不明だ」
「……まったく」
確かに休んでいる暇はないらしい。
頭を掻いてリキュールのボトルを戻す。
「恐らくセントレアには来ないな」
「違いない」
俺の推測にジャンも頷いた。
もし夜の者が――木星天騎士団そのものであるのなら、今朝になってから動くのはあまりにも呑気が過ぎる。ハリエット――マグノリア達と連携していないのも妙だ。
木星天騎士団の指揮者が戦力の逐次投入などという愚を犯す無能でもない限り、彼らの動きには別の狙いがあると考えるべきだ。カタリナとは別の。
材料はある。狙いは、おおよそ見えている。
騎士ヘッケルが初太刀で殺されなかった理由も。
マグノリアが向かった場所も。
「行き先は転移街アズルだ」
結論だけを述べた時、背後で足音がした。
振り返って見れば、唖然とした表情のカタリナが立っていた。どうやら俺とジャンの会話が気になってやって来たらしい。
「なぜです」
心なしか顔色が青ざめて見えるのは錯覚ではないはずだ。
一呼吸置いてから、俺は端的に結論を口にした。
「勘違いだよ」
「勘違い?」
「敵が木星天騎士団だとしても、単独では今のセントレアに居る戦力には勝てない。水星天騎士団に九天までいる。だから暗殺するしかないと踏んで、闇討ちに長けていそうなマグノリア達で仕掛けたんだろうが、それもうまくいかない。俺がいるからだ」
自惚れでも何でもない、単なる事実として俺は言う。
俺が護衛対象を至近に置いている限り、暗殺の類は通じない。
現にカタリナを狙った襲撃は撃退した。
「だから俺が居ない方を狙うことにした」
「え?」
「つまり、連中はミラベルとマリーに俺が同行していないと思ってるんだよ。ま、当然だよな。俺は今ここに居るんだから」
まさか同一人物が同時に二人存在するとは夢にも思っていないに違いない。
「しかし、マグノリアは……ハリエットはミラベル様の行き先を知らないのでは?」
「あらかじめ聞き出してたんだろう。例の襲われた騎士、ヘッケル氏から」
騎士である彼が簡単に主の情報を喋るとは考え難い。
だが、襲撃者であろうマグノリアの外見はハリエットそのものである。襲われた直後の重傷の状態で、見知った高位の騎士から助けに来たと言われれば、相手を信じる可能性は十分にあるように思える。
恐らく、事の推移はこうだ。
まず、ハリエットとマグノリア、そして木星天騎士団は皇族――マリーとミラベル、そしてカタリナ――を狙うにあたって、セントレアに駐留している戦力を恐れていた。
正面から戦うのは不利だと考えた両者は、少数の手勢をセントレアに潜伏させて隙を窺っていた。これが先程戦った夜の者だ。
次に。単なる偵察中の事故だったのか、狙って襲撃したのかはともかく。ヘッケル氏を襲い、ミラベルが近いうちに皇都へ向かうという情報を得たマグノリアは、セントレアの戦力が分散すると予見し、これを好機と見て木星天騎士団をアズルに向かわせた。
ミラベルの戦闘能力も一般的な騎士や魔術師とは一線を画するが、いくらなんでも騎士団の相手は無理だ。マリーも同様だろう。護衛の有無、多寡によってはアズルで殺害が可能だと考えた。
だが、実現には戦力を分断させる為の策が必要だ。
セントレアに九天が居残りミラベルの護衛に俺がつく、というようなことになれば、依然として暗殺が難しい状況に変わりはないからだ。
その策がカタリナを狙った最初の襲撃だ。いかにも暗殺者然とした襲撃者が「次は殺す」などと宣言して消えれば、否応なく俺の目はそちらに釘付けになり、俺がセントレアに留まる可能性が高まる。
ここで切り上げて撤退しても良かったのだろうが、俺がアズルに向かわないようにダメ押しの足止めを行う必要があった。ミラベルがセントレアから姿を消したタイミングで藪を突つかせ――森で交戦。現状でセントレアに残っている戦力を再確認すると同時に足止めを完遂したというわけだ。
ただ、ハリエットの言葉が全て真実であるなら、途中でカタリナを殺害できればそれで事は足りる。なので実際はもっと流動的な計画だった筈だ。
とにかく連中の狙い通り、戦力の分断は成った。少なくともマグノリアにはそのように見えているだろう。今から俺達が急いで準備を整えてアズルに向かっても、移動に要する時間を考慮すると間に合うかどうかは微妙だからだ。
全容は大体こんなところだろうか。
ついでに言えば、マグノリアは俺が追って来るのを織り込み済みで行動している。
「カタリナ」
端的に呼ぶと、ただでさえ白い細面を蒼白にしているカタリナが顔を上げた。
彼女に全容を語る必要はない。説明するにはまず、カタリナが狙われていたのだという事と、理由を説明しなくてはいけなくなってしまう。そんな権利は俺にはない。
今はただ、やるべきことをやるだけだ。
「九天と水星天騎士団を集めて話をする。お前も来てくれ」




