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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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22.木蓮②

 俺が剣を失うのは珍しいことではない。破損、紛失。理由も様々だ。

 本来の自分の得物である遺物(アーティファクト)でさえ自分で手放している。

 執着が特になかったからだろう。

 しかし、敵対者に破壊されたのはたった一度だけだ。怒り任せに戦い、油断し、その挙句の敗北として今も記憶に新しい。もうあんな無様だけはすまいと思っていた。

 

 果たして今回も油断はあっただろうか。

 否である。

 

 愛剣の柄から剣身が抜け落ちていた。

 破壊というよりは分解に近いかもしれない。

 引き抜いた剣身を放り捨て、距離を取り直したハリエットを再び見据えた。長剣に通していた魔力の大半を失い、唯一の武器をも失った俺と、重傷であるはずなのに何ら変わりない技の冴えを見せる彼女では、もはや勝負にはならない。

 それでもまだ俺が生きているのは、俺自身の力によるものでは決してない。

 毒蛇に迫っていた岩塊を、同系統の魔術だろう岩の鎧で受け止めたヴォルフガング。そして、ハリエットが俺の剣を破壊した瞬間から絶え間なく牽制の矢を放ち続けるカタリナのお陰に他ならない。

 音速に近い速度で飛来する矢を、まるで全て見えているかのように眉一つ動かさず叩き落とすハリエットの人間離れした様子は、俺にある予感を抱かせるに十分だった。

 

 自らの損傷を一顧だにせず戦闘を継続し、

 人の身で修められる限界を遥かに超えた技倆を有する存在。

 

外典福音(アポクリファ)

 

 我知らず口にした瞬間、ハリエットの動きが止まった。木々を縫って飛来した矢を叩き落とすのではなく、おもむろに掴み取って片手でへし折った。金属製の矢をだ。

 

「忌むべきその名を知っているのか。お前は、かの王に連なる者ではないはずだが」

 

 曲がった矢を放り捨てたハリエットは、ようやく人間らしい振る舞いをした。

 腕組みをして首を傾げただけなのだが、先程までの機械じみた動作からしてみれば雲泥の差だ。僅かに相好を崩してさえ見せたのは予想外だった。

 

「いかにも私は死者だ。偉大なる皇国に仕えた騎士がひとり、名は木蓮(マグノリア)。生きていた頃は、だが」

「馬鹿な!?」

 

 反応を見せたのは、遠巻きに隙を窺っていた毒蛇だった。傍らのヴォルフガングも岩の拳とがっちり組み合ったまま、怪訝に眉を寄せるている。

 その彼らを目掛け、唐突に木槍(ウッドスピア)の雨が降った。毒蛇は面食らいながらも素手で魔術を防ぎ切るが、攻撃を放った当人であるハリエット――マグノリアは冷笑するばかりだ。

 

毒蛇(ヴァイパー)。まさか、お前のような惰弱な騎士が一人前に幅を利かせているとは。本当に嘆かわしい時代だ。ルースもさぞ苦労をしていることだろう」

「黙れ! 木蓮は死んだ! 貴様、自分が正真正銘の死人だとでも言うのか!」

「そうだと言った。聞こえなかったか」

 

 毒蛇の反応から察するに、マグノリアという騎士は顔見知りなのだろう。

 恐らくは――

 

「あんたも九天の騎士なのか」

「然り。かの王に敗れ、今でこそ……このような有様だが、私こそがこの娘の前任であり、見出した師でもあり、お前達が異端者と呼ぶ者達の首魁でもある。このように言えば得心がいくか、東洋人」

 

 俺の呟きに答え、マグノリアは能面のような顔をこちらに向けた。

 ハリエットの、魔術師として普段見せている顔。冷徹な暗殺者としての顔。

 道理で印象が重ならないわけだ。

 二重人格だとか、そんな生易しい話じゃない。もっと性質(たち)が悪い。

 

 両者は別人だ。

 ひとつの肉体に同居している、別人なのだ。

 

「かの王とは? ウッドランド帝のことですか?」

 

 いつの間にだろうか。

 得物を失った俺の隣に、弓を構えたカタリナが立っていた。マグノリアは彼女の問いには答えなかった。ただ黙ってカタリナを睨み、そして周囲に目を配らせ、強烈な殺気を発散するのみだった。

 遠巻きに状況を見ていただろう騎士達が、一斉に距離を詰めていた。

 九天のアウロラとバルトー、そして水星天騎士達。一様に困惑、あるいは敵意の表情を浮かべている。

 さしものマグノリアも、これほどの戦力差ではカタリナを殺害する前に返り討ちに遭うのが解っているのだろう。動かない。しかしこちら側も、得物を失った俺と毒蛇はもとより、余裕か戦意のどちらかが欠けている。即座に仕掛けるには至らない。

 

 会話が成立する機会は今しかないかもしれない。

 

「あんたは皇帝に挑み、敗れた。負けて帰参者(レブナント)……外典福音の材料にされたんだな」

 

 多分に推測が混じった俺の言葉を聞き、マグノリアは微かに顔をしかめる。

 

「それも然り、と言いたいところだが、正確に言えば私は外典福音ではない。かの王が作りし帰参者は、死人の体に幾十もの霊体(アストラル)を吹き込むことで完成する。東洋人の剣士よ。お前の目にはこの娘、ハリエットが死んでいるように見えるのか」

「いや、見えない」

 

 俺は即答する。

 もし仮に彼女が死霊術の産物、所謂アンデッドであったなら、俺でなくとも誰かがとっくに気付いていたはずだ。なにせ、その類の存在は代謝が止まっているので息をしない。汗もかかず、眠らず、食物も必要としない。そんな異質な人物が誰の目にも留まらないはずがない。

 勿論、ハリエットは違う。

 成り行きでほんのひと時だが、一緒に酒を飲んだこともある。

 彼女はごく普通の少女だった。

 

「然り。私は……そうだな。強いて言えば、成り損ない……不良品のようなものだ」

 

 静かにそう告げ、手袋を脱ぎ去ったマグノリア――ハリエットの左手の指に、白く光るものがあった。指輪だ。くすんだような、どこか見覚えのある白銀が光っている。

 あれは確か。

 

霊体(アストラル)を集める手段は複数あるが、これはそのひとつ。遥か昔、九天の騎士に当時の皇帝が下賜したという亜遺物(デミアーティファクト)の一種。銘は『逃れられざるもの(アドラステア)』という」

 

 亜遺物。その、慣れた単語に良く似た聞き慣れない単語は、銘に込められた不吉な響きよりもずっと強く、俺に衝撃を齎した。

 九天の騎士達が持っていた白銀の装備――サリッサの大鎌、ウィルフレッドの大剣、毒蛇の直刀、アウロラとバルトーの騎兵槍。そして、アルビレオが使っていた細剣。

 繋がる。直感を推論に変えようとした時、マグノリアは核心を口にした。

 

「九天の騎士。その本来の存在意義は、この亜遺物にある。霊体の器たる亜遺物に強い霊体を集め、やがて死した際に自らも亜遺物に吸われる(・・・・)か、或いは入れ物となって外典福音そのもの(・・・・・・・・)となる」

「……まさか」

 

 その瞬間、微かに聞こえた掠れた吐息のような声は、いったい誰のものだったのだろうか。水を打ったような静寂の中、マグノリアの声が淡々と響いた。

 

「然り。九天の騎士とは本来、選抜された騎士に与えられる地位や称号などではない。かの王が外典福音という兵器の材料に割り振った、単なる記号に過ぎないのだ」

 

 おもむろに髪をかき上げたマグノリアは、瞬き以外の一切の変化を見せなかった。

 何を思っているのか、表情からは窺えない。

 だが少なくとも、この場の九天の騎士達が抱いているだろう戦慄、困惑、失望――それらに近い思いですら、彼女の中にはもう存在しないように思える。

 

 諦念だ。

 ただ、深い諦念に満ちていた。

 

「私は、かの王の力によって死んだ。次に目覚めた時には、この指輪の中だった。真実を知ったのはその時だ。指輪の中で、囚われた死者達の霊体が渦巻いていた。私が殺めた皇国の敵対者達、そして歴代の九天の騎士達が。彼らが私に全てを教えてくれた」

 

 マグノリアが正気を保っている、少なくともそう見えるのは奇跡に近い。

 アルビレオやアシルの精神は間違いなく破綻していた。

 今思えば当然だ。数え切れないほどの死者の魂が溶け合い、一所に押し込められる。それはどれほどの地獄だろう。俺には想像すら出来ない。アルビレオやアシルの変わり果てた姿は、その怨念の発露だったのだろうか。

 全ては想像の域を出ない。疑問も残る。

 

「ある時、僥倖にも……いや、ハリエットにとっては不幸だったろうが、とにかく『逃れられざるもの(アドラステア)』が突然壊れた。私の一部は指輪の外に弾き出され、指輪を受け継いでいたハリエットに混ざった。以来、私は肉体を間借りしている代価として、こうしてハリエットに手を貸している。生前から付き従ってくれている者達と共に」

 

 何にせよ、彼女は動かし難い現実として厳然と立っている。

 この機を逃してはいけない気がした。

 

「あの皇帝を除かなければならない。それは、ここに居る騎士達全員が大なり小なり感じていることだと俺は思う。マグノリア、俺達とあんたの敵は同じはずなんだ。その俺達が戦って、いったい何の意味が」

「ある」

 

 俺の抗弁を遮るように。

 マグノリアは静かに、しかし力強く言葉を放つ。

 

「あるとも。東洋人、お前は何を聞いていた。ハリエットの望みは人質となっている貧民街を救うこと。その為に皇族をひとり殺めようという、ただそれだけだ。それ以外にはない。お前達の事情も、私の事情も、何ひとつ関係がない」

 

 マグノリアが続けようとする言葉を察し、俺は言葉に詰まった。

 答えは既に出ている。マグノリアが何者であろうが、彼女がハリエットの選択を是とする存在である以上、結論は何も変わらない。

 

「先刻、お前は言ったな。何一つ取りこぼすわけにはいかない、などと。では、お前はハリエットの望みをどう叶える。顔も見えぬ相手から、遥か彼方にある皇都の貧民街を、お前が守るのか。お前が持つ、その得体の知れない力で」

「……それは」

 

 不可能だ。

 俺はそんな万能の力など持っていない。マグノリアも理解しているはずだ。

 もし俺にそんな力があれば、とっくに使っているはずなのだから。

 

「然り。余さず全てを救う(・・・・・・・・)とは、そういうことだ。綺麗事などですらない、絵空事に過ぎない。全てを選ぶことなどできはしない。それは何も選んでいないのと変わりがない」

 

 この期に及ぶまで会話どころか意思の疎通すらままならなかったマグノリアが、いったい何故ここまで雄弁になったのかを、俺はようやく理解した。

 彼女は、俺を否定するために応えたのだ。本来は不要である問答を重ねてまで、先程の俺の言葉を真っ向から完全に否定したがっている。

 

 彼女――いや、彼女達の答えも、たしかに正しいのかもしれない。

 多数を助けるために少数の犠牲が必要ならば、犠牲を出すことが必ずしも間違っているとは言えないのかもしれない。

 

 しかし。

 

「違います!」

 

 まるで俺の胸中を代弁するかのように叫んだのは、カタリナだった。

 僅かに眉を上げるマグノリアに、彼女は毅然と言い切る。

 

「何も選んでいないのはあなた達の方です! あなた達はただ諦めて、理不尽な現状に迎合してしまっただけでしょう!? 決して、自分で何かを選んだわけじゃない!」

 

 何かを言おうとした俺は、口を噤まざるを得なかった。

 カタリナは激怒していた。

 

「その話を聞けば……真っ先に自分を犠牲にしようとするだろうお方を、わたくしはひとり知っています……さも当然であるかのようにそうするでしょう」

 

 俺も知っている。

 彼女ならやる。他に手がなければ、何の迷いもなくやるだろう。

 

「けれど、それを許容するのは正解でも何でもない! たとえ一つを犠牲にして多くを救っても……不条理な今を乗り切ったとしても、その次は!? また同じ選択を迫られたら!? また一つを選んで犠牲にするとでも!? そのような無為は、知恵を持つ生き物が出してよい答えではありません!」

 

 カタリナの発した血を吐くような叫びもまた、正鵠を射ている。

 ハリエットの望みでは何も解決しない。何も救えない。

 竜種(てき)を滅ぼすことで何かを成し遂げた気になっていた、かつての俺と同じように。そして、

 

 かつてのカタリナも何かを諦めていたように思う。

 

 彼女が辿ってきた足跡を、俺は詳しく知らない。

 皇女殿下の傍で、甲斐甲斐しく彼女の世話をするカタリナしか見ていない。戦うことすら許されなかった彼女しか知らなかった。

 

「その不条理を終わらせたいと思う気持ちを……願いを! 絵空事と断じる資格が、いったい誰にあると言うんですか! 諦めてしまった者達の中の、いったい誰にあると言うのですか!」

 

 今は違う。きっと違う。

 俺達は、同じ願いを抱いている。

 

「然り」

 

 マグノリアは動じなかった。

 この場に集まる全ての者を圧倒し、呑みつつさえあったカタリナの糾弾を前にして、驚くべきことに――柔和な笑みすらを浮かべて見せた。

 

 この人は。

 

「故にこそ、戦う意味はあるのだ」

 

 問答は静かに終わった。

 木陰から染み出るようにして現れた黒の装束を纏い、マグノリアが跳躍する。

 思わず右手を構えようとした俺は、握っていた剣の残骸を目の当たりにして歯噛みする。とてもではないが戦える状態ではない。

 だが、マグノリアも仕掛けず、一際背の高い杉の枝へ滑るように乗るに留まった。そして、眼下の俺達をゆるりと見回してから、言った。

 

「追って来い。そして精々に示すがいい。己らこそが正しいと信じるのなら」

「木蓮ッ!」

 

 頭上の敵目掛け、毒蛇が折れた直刀を手斧の如く投げ放つ。が、その直前、いかなる手段によってか彼女の姿は消えていた。

 直刀が虚しく空を切り、杉の幹に突き立つ音だけが響き渡る。

 その後に言葉を発する者は、この場には誰も居なかった。


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