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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
107/321

21.木蓮①

 ちょっと調子に乗るとこれだ。

 地に伏せた状態で覚醒した若き騎士ウィルフレッドは、まずそう考えた。そう考えられる事自体がまずもって幸運であるという自覚もあった。

 痛む体に鞭打って上体を持ち上げると、信じられないことに、胴に着けていた甲冑が壊れて落ちた。無残に引き裂かれた鋼鉄が背部から受けた一撃の威力を物語り、いよいよもってウィルフレッドは自分の運に感謝する。身体に直接受けていれば即死であったに違いない。

 喉奥に絡まる鉄の味を吐き出し、騎士特有のタフネスに任せて立ち上がる。敵の姿を森の中に探すより早く、彼は幼馴染の少女を呼んだ。

 

「……サリッサ!」

 

 ぐるりと周囲を見回し、敵と少女、両方の姿がない事に愕然とする。

 サリッサが負けるはずがないにせよ、どちらが勝利したとしてもここに自分が捨て置かれているのは不可解だ。

 考えても状況は分からず、青年は再び視線を周辺へと動かした。「危機というものは疑わしい時、去っていないと考えるべきだ」とはジャン・ルースの言葉だ。傍らに転がっていた白銀の大剣を拾い上げ、ウィルフレッドは不得意な魔力感知を試みた。

 

 遠間に無数の反応がある。多過ぎて数までは分からない。

 そして――直近にもひとつ。

 

 振り返り、ウィルフレッドはようやく彼女を見つけた。

 昏倒に至った一撃に数倍する、まるで後頭部を強打されたかのような衝撃が走る。

 

 立ち並ぶ高木に混じり、不自然に繁茂した宿り木の下。

 白く細い腕が伸びていた。

 

 ウィルフレッドは剣を放り捨てて駆け寄り、宿り木の枝葉を掻き分けた。

 しかし、自然では有り得ない強度のそれらを押し退けるのは騎士の膂力を以ってしても困難であった。深過ぎるほどに地に根ざした宿り木は――そも、樹木に宿るから宿り木なのであって、地面に生えているのは尋常ではない。

 我を失い、掌に血が滲むほどにまで枝を引き千切らんとしていたウィルフレッドは、それが魔術によって成るものだと気付き、次いで怒声を吐いた。

 

「邪魔だ!」

 

 もはや剣戟の最中であっても行使できるほどに慣れた転移魔術が発動し、忌々しい宿り木の大半を跡形もなく削り取る。

 消え去った部分の行方は分からない。露ほどの興味もない。

 そうしてようやく、倒れたサリッサの姿が枝葉の向こうに見えた。ウィルフレッドは激情に任せて更なる魔術行使を行おうとしたが、頭の中で作り上げた転移のイメージは打ち消されてしまった。

 転移魔術の失敗(ファンブル)

 彼の転移魔術で移動させられる対象は、自らの身体を除けば非生物に限られる。効果範囲にサリッサを巻き込んでしまっているのだと気付いた時、ウィルフレッドは彼を駆り立てていた激情の大半を失った。それはつまり、彼女がまだ生きているという何よりの証左であったからだ。

 

「ああ、よかった……本当によかった」

 

 そもそも彼女が死んでいるのであれば魔力感知にかかるわけもなかったのだが、青年はついぞその事実に気付かなかった。

 うつ伏せの状態で宿り木に巻かれた少女が、もがきながらも声を上げたからだ。

 

「……ウィル!? あんた動けるの!?」

 

 全身をくまなく宿り木に覆われながらも、サリッサは無事であった。縛めの強さを考えれば明らかに不自然だったが、残った宿り木の枝に手をかける青年はやはりその事実に気が付くことはなかった。

 サリッサはやっぱり凄いのだ。などと安易に安堵し、ウィルフレッドは溜息混じりに言った。

 

「はは、なんとかね。待ってて、今すぐこの変な枝をどかすよ」

 

 それから彼は硬い枝を力任せに折ろうとした。

 しかし、枝の下から鋭い声が浴びせられる。

 

「動けるなら、あたしの事はいいからタカナシ達の所に行きなさい!」

 

 その言葉を聞くや、ウィルフレッドは反射的に駆け出しそうになった。サリッサのあまりに必死な様子に呑まれたのだ。

 それでもすぐに思い留まったのは、彼女の言う少年への奇妙な信頼に因る。自分達を叩きのめした敵がどんなに手強い使い手であろうとも、あの門番の少年に伍するとは思えなかったのだ。

 それどころか、そもそもウィルフレッドにはあの少年に勝る存在というものがまったく想像できないのである。

 彼は単身で百の騎士に挑み、分けてみせた者だ。百や二百の騎士が相手であるならまだしも、夜の者(ホミナスノクターナ)なる異端者達の残数は、多くて数人であると予想される。少年には遠く及ばない。

 彼はその逸話と強さ故に、一部の水星天騎士からは神聖視すらされている。伝承上の存在、神の御使いたる剣の福音なのでは、などと。そんな規格外を相手にしなければならないのだから、むしろ敵には同情するくらいである。あの少年の前で皇女を狙うなどと、愚行の極みだ。一片の容赦もなく叩きのめされるに違いない。

 たとえ狙っている対象が人違い――変装したカタリナ・ルースであったとしてもだ。

 

「あいつには助太刀なんて必要ないよ。君も知ってるだろ」

 

 いくらかの羨望と尊敬、そして僅かな嫉妬を苦笑に変えたウィルフレッドは、再び宿り木を掴む。しかし、

 

「……そうじゃない。そうじゃないのよ、ウィル」

「え?」

 

 うつ伏せのままでサリッサは言った。

 

「あれは……ハリエットだわ」

「なんだって?」

 

 唐突な言葉にウィルフレッドは思わず引きつった笑みを浮かべた。

 サリッサに全幅の信頼を置いている彼だったが、今回ばかりは突飛が過ぎた。「あれ」が指す者は理解していたが、まるで黒い風のように突然現れて襲い掛かってきたあの暗殺者とサリッサの言う少女はあまりに乖離している。

 

「そんな……いや、有り得ないよ。どうしてハリエットが僕達を襲うんだ。それにあの体術……あんなの、魔法使いのハリエットが身に付けられるものじゃない」

「でも、あの声……この魔法も、あの子のものよ」

「まさか」

 

 言われ、ウィルフレッドは己が掴んでいる宿り木の枝を見る。

 木の属性魔法。それは確かに、九天の騎士ハリエットの得意とする珍しい部類の魔術属性だ。しかし、ウィルフレッドの転移魔法ほどの稀少さ、ほぼ無二と等しいというレベルではない。証拠にはならない。

 第一、理由もない。ないはずだ。

 

「……まさか」

 

 気付けば、ウィルフレッドは手を止めて躍起になっていた。

 よく知っているはずの同僚に対する疑念からではない。「もしかすると自分はあの少女について何も知らなかったのでは」という、自分に対する疑念こそが拭い去れないのだ。それを拭い去れるほど、彼はハリエットを見ていなかった。

 やがて再び手を動かし始めたウィルフレッドは、もう考えるのを止めていた。

 同僚の裏切りを認めたわけでもなく、否定できたわけでもなく、ただ目の前の優先事項に対応する為に保留したのだ。

 ウィルフレッドにとってはサリッサこそが何よりも優先される。彼のその様子を見止めたサリッサは険しい言葉を投げた。

 

「あんた、それでいいの?」

 

 ウィルフレッドは口を噤む。

 どうすべきかは薄々分かっている。サリッサは無事で、身動きが取れないにしても差し迫った危険は存在しない。それよりもハリエットを止めに、或いは助けに行くべきなのだとウィルフレッドも理解はしている。いかにハリエットが自分達の知らないような技を隠し持っていた実力者であったとしても、あの門番の少年には敵わない。戦えば無事では済まないだろう。

 しかし、あの恐るべき門番が徹底して殺生を行わない(・・・・・・・)のも、かつて彼と戦った九天の騎士であれば全員が知っている。天地ほどはあろうかという力量差から来る純然たる余裕として、彼は敵対者を必要以上に加害しない。

 なら任せておけばいい。

 自身がどう動こうと、もはや趨勢に影響はないのだ。であれば、自らがやりたいようにだけすることも、あながち誤りでもないのではないだろうか。

 ウィルフレッドは強引に結論付けると、言葉にはせずに枝を引き千切った。それらが単なる言い訳に過ぎないことを、十分に自覚していたからだった。

 

 

 

 ***

 

 

 

 別に、俺ごときの拳で屈強な肉体を持つ騎士を倒せるとは思っていなかった。

 現に毒蛇(ヴァイパー)は軽い脳震盪を起こしただけで、すぐに跳び下がって体勢を整え直している。しかし、彼の手には折れた直刀があるのみだ。そんな状態で俺に対抗しようとするほど彼は愚かではない。

 毒蛇が繰り出した攻め手はどれも極めて計算されたものだった。おそらく、俺との再戦に備えて以前から戦術を練っていたのだろう。それが破られた以上、続行が無意味だということを彼も理解している。

 

「相も変わらず、気に入らん」

 

 憮然とした感情を隠すことなく、毒蛇は俺の信頼どおりの男だった。折れた刀を何事もなかったかのように鞘に納め、殺気のない怒声を口にする。

 

「貴様は……最初から我らと戦いをしているつもりがない。ただ目の前の障害に対処をしているだけなのだ」

 

 恨み節じみた言葉を聞き流し、俺も長剣を鞘に戻すべく刃先を鯉口に当てる。彼の納得の有無は問題ではないし、そもそも境遇にも思想にも何一つ重なるところがない彼らと俺が、本当の意味で分り合うのは困難を極める。

 結局のところ、武力を用いてこの場を収める以外にはないのだ。まるで進歩していない、という業腹な思いを抱きながらも俺は彼女(・・)に向き直る。

 

 ハリエットは既に立ち上がっていた。

 

 虚を突かれた。

 何故なら彼女は重傷で、自力で立ち上がるのもままならない筈だったのだ。

 治癒術で立て直すほどの時間があったわけでもなければ、重傷を装っていたようにも見えなかった。にも拘らず、彼女は静かに立っている。

 そして、全く何の意味も込められていない双眸で俺を見るや、ざらついた、例の錆び声で言った。

 

「くだらない」

 

 何が、と問い返すよりも早く、爆ぜるような音と共に地面から巨大な影が現れた。

 掌だ。岩で構成された巨大な掌が左右に一対、土中から生えたのだ。

 魔術――だが、

 

「馬鹿な! 有り得ん!」

 

 迫り来る岩塊を前に、毒蛇が唸るような声を上げた。

 そう、有り得ないのだ。俺達が戦っている間も、その後も、ハリエットが何かしらの魔術を準備していた様子はなかった。何の前触れもなく、突如としてこれほどの魔術を行使するなどという芸当は、言語や紋様で魔素に命令を与えるという魔術の原理上、不可能だ。ただひとつの例外を除いて。

 先刻の石人形(ストーンゴーレム)よりも一回りは大きかろうという岩の掌が、掌打の如き型で打ち出された。左手は毒蛇へ、そして右の手は俺に目掛けて。

 それそのものは単純な物理的攻撃に過ぎないが、人間と巨大な岩塊ではやはり質量が違い過ぎる。騎士に常人離れした膂力があろうが、魔力の障壁があろうがなかろうが、恐らくは関係がない。直撃すれば何をしようと吹き飛ばされてしまう。

 

 現象攻撃の使用を即断した。

 

 収めかけていた長剣を振るい、迫る岩の掌目掛けて剣先で十字を描く。

 取り戻してからまだ数えるほどしか使っていない『切断』は、十全に機能を発揮した。巨大な岩が中心から縦横に分かたれ、その勢いのままに俺の傍らを通過していく。落着した岩が立てる轟音の中、毒蛇の方に剣を向けようとした俺は、しかし、殆ど反射に近い、本能とでも言うべき何かに衝き動かされて剣尖を上げた。

 満身創痍の、どこにそんな余力があったのか。

 岩の拳打が巻き上げた土煙を裂いて、少女が来る。やはり魔術師という形容は正しくない。恐るべき暗殺者が、最大の武器であろう手刀を繰り出さんとしている。

 剣で手刀を打ち落とすか否か。だが、現象攻撃を行使している今の俺の剣で斬れば、彼女は今度こそ再起不能になる。

 

 逡巡は刹那で収まった。

 腕は動き、長剣を真っ直ぐに振り下ろす。俺なりの、矮小な人間なりの覚悟を込めた一刀が、低い姿勢から繰り出されたハリエットの手刀を迎え撃ち――

 

 

 パン、と。

 

 

 柏手(かしわで)のよう響いた乾いた音が、俺の思考をゼロに戻した。

 いや、それは正味に拍手そのものだ。渾身の力と権能を込めたはずの俺の剣の刃は、何の表情も浮かべていないハリエットの両手の中にあった。

 ぴたりと閉じられた、手のひらの中に。

 

 

 ――――白羽取り。

 

 

「お前の力は、剣身と剣先より少し先の範囲にしか効果がない」

 

 眼下の細面から、錆び声が告げた。

 俺の知りうる限り、事実だ。間合いこそ拡張されるが、『切断』の権能は剣と剣身の延長線上にしか効果が発揮されない。厳密にそう決まっている。つまり剣の腹を押さえて止めてしまえば無効化できる。たしかにそうだ。

 

 しかし、こんな真似ができる人間は現実には存在しない。

 いや、存在しないと思っていた。今、この瞬間までは。

 

 怖気を感じて剣を引こうとするも、万力に締め付けられたかのように動かない。

 やがて裁決を下すかのように、

 

 

「これはお前の傲慢が招いた結果だ」

 

 

 彼女は合わせた両の手で、俺の長剣から剣身を引き抜いた。

 

 

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