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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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18.綺麗事①

 疾走する暗殺者の左右の腕が閃き、魔素の光が散る。直後、緑の輝きがぼんやりとした像を結んだ。樫を削り出したかのような、簡素な白木の槍が二条。

 遥か昔に見たことがある。確か、木槍(ウッドスピア)という汎用レベルの攻撃魔法だ。

 汎用レベルの攻撃魔法は高位の攻撃魔法と比較してごく単純な仕組みになっている。魔素で作った矢や槍、弾などを飛ばすのだ。仕組みが単純な分だけ魔素の消費が少なく、取り回しがいい。

 やがて素早く放たれた木槍は、恐らくは牽制だろう。俺はひとつを剣で斬り払い、もうひとつを左手で力任せに掴んで押し留めた。

 直線的な魔術は軌道が読み易い。防がれるのは彼女も承知の上だろう。生じた間隙を突くべく踏み込んできた暗殺者へ、掴んだ木槍を投げ返すと同時に長剣を打ち込む。

 一呼吸の間に繰り出した二撃は、黒ずくめの左右の手刀で弾かれ、止められる。手刀と長剣を鼻先で噛み合わせて火花を散らしながら、俺は背後のカタリナに向けて叫んだ。

 

「お前はサリッサ達を探せ! 近くにいるはずだ!」

「しかし!」

「いいから行け! こいつは俺ひとりで足りる!」

 

 理に適わない指示に戸惑う少女に怒鳴りつけつつも、俺は眼前の敵目掛けて剣技を繰り出した。剣技(グラディオアルテ)で引き出す、未知の技だ。

 剣の福音は俺の意思に応じて、ありとあらゆる剣技の中から目的と合致する技を検索する。今、この瞬間に必要な――敵との間合いを取り直す為の技をだ。

 俺の左腕は無意識に動き、腰の鞘を逆手で掴んでそれを振るった。魔素を纏わせた鞘を、鍔迫り合いをする愛剣の刀身目掛けて叩き付ける。

 耳を劈くような金属音、そして鞘から剣へと伝播した衝撃によって俺は瞠目した。やっている本人である俺でさえ想定外なほどに変則的なその技は、長剣を押しのけんとして力が込められていた手刀を、小柄な暗殺者の体ごと弾き返した。

 

 畳み掛ける。

 剣技(グラディオアルテ)を再度発動。

 

 通常は打ち下ろしで用いる「剛剣」を、遠当ての技「衝角」と混合(ミキシング)。剣に纏わせた魔素の槌を、水平に放つ長射程の剣技へと変更する。

 混合(ミキシング)特有のノイズを響かせ、どす黒い魔素の砲弾が解き放たれた。その、あまりにも重い手応えと衝撃の反動で、俺の両足が僅かに地面に沈み込む。

 魔素の砲弾は、咄嗟に両腕を交差させて技を受けた暗殺者ごと、周囲の木々すらも薙ぎ倒しながら百メートル以上を突き進んだ。

 遠方で魔素で爆発する音を確認してから、俺は吹き飛ばされた暗殺者の姿を追って駆け出した。置き去りにしたカタリナの姿を一度だけ振り返り、困惑に満ちた表情を浮かべながらも追っては来ない様子を確認して視線を前に戻す。

 

 これでいい。

 

 倒れた草木が作り出した道を抜けると、木々の途切れた林道に出た。

 舗装も何もない、散らばった枯葉の隙間から土が見えている道の真ん中に、先の剣技による破壊の跡があった。

 そして、隕石孔めいた窪みの傍らに、大きく肩を上下させる暗殺者の姿がある。

 片膝をつき、肩口を押さえている。重傷とまではいかないだろうが、無視できる傷でもないだろう。剣技の威力を考えると、その有様でも軽く済んだと言えるかも知れない。

 昨晩にも見たまるで無機物のような瞳には、しかし、明確に浮かんでいる感情があった。即ち、疑問だ。

 つまり彼女はこう言いたいのだろう。こんな剣技が使えるなら、なぜ昨晩の時点で使わなかったのか、と。

 もっともな疑問だ。

 俺は右手の剣を構えもせずに下げたまま空を仰いでから、森の清涼な空気を吸い込んでゆっくり言葉を紡いだ。

 

「別に、手を抜いてたわけじゃない。ただ、昨夜はセントレアの街の中だった。俺は街中じゃ派手な剣技を使わない。建物なんかを壊したりしたら大変だからな。なにせ俺は、あの街の門番だ。それは君も知ってるだろ」

 

 言葉を聞くや否や、覆面の上にあるふたつの眼が僅かに見開かれる。

 まるで、そんな事は思い付きもしなかったと言わんばかりの様子だった。

 もしかすると、こんな話をわざわざする理由はどこにもないのかもしれない。しかし、今の俺の目的はこの暗殺者の撃破ではない。

 

「九天が本格的に動き出した時点で大勢は決してる。昨日、カタリナを仕留め損ねた時点で、と言い換えてもいい。いや、最初にミラベルを討ち漏らしたのが誤算だったのか? なんにせよ、君らの規模は九天と戦うにはまるで足りない。奇襲、暗殺でしか目的は達成できない。もう無理だ。だから退いてくれないか。今ならまだ、誤魔化せる」

 

 俺の口から出た呼び掛けは、我ながら酷く虚しいもののように思えた。

 何しろ俺は、そう言いながらも剣を構え直している。

 ここへ至るまでずっと考えていた。こうやって彼女と再び対峙した時、どのように諭すべきなのだろうかと。どんな顔をすればいいのだろうかと。

 その結論がこれだ。

 

「君を斬りたくはない」

 

 とても説得とは言えない、脅迫に近い言葉でしかない、これだ。

 ややあってから返ってきた声は不気味な錆びた声ではなく、細く高い声だった。

 

「立場が違っていれば、もしかすると私も同じことを言ったかもしれません。でも、違う(・・)。私は本当に貴方を殺すでしょうし、同じ迷い言を口にするにしたって、貴方を殺した後ですると思います。命のやり取りとはそういうものです。違いますか」

 

 すらすらと、そう言った。

 俺はただ、言葉を失い、目を閉じる。

 彼女の言葉は多分に真実を含んでいると言える。口で何と言おうが俺は彼女を殺すつもりなどないし、本当にそのつもりがあるのなら、わざわざ宣言したりはしないだろう。黙って殺す。その方が合理的だ。

 片膝をついていた彼女が身を起こし、俺の考えを見透かした双眸が細まった。その眼に色濃く浮かんでいる感情は、恐らくは怒りだった。

 

「舐めているのです? 襲撃者が私だと気付いていたのに、誰にも言わずこんな状況を作り出して。まさか、本当に話し合いでもするつもりなのです?」

「そうだと言ったら?」

「お話になりません。綺麗事、絵空事です」

「そりゃそうだ……違いない」

 

 彼女の言う通りだろうと、俺自身も心底理解している。

 この暗殺者の背後にいかな事情が存在するのかを、俺は想像することすらもできないのだ。彼女のことは殆ど知らない。まだ人となりを完全に分かっているとは言い難いカタリナやサリッサよりも、ずっと知らない。他人だ。

 他人の行動に口を挟む権利など俺にはないし、その術もない。説得の材料になりそうな情報は皆無で、ただ、彼女がこんな行動に出るという状況の異常さ、不可解さだけが事態の深刻さを物語っているのみだ。

 その期に及んで他人の、増してや俺の言葉など届きようはずがないのだ。

 

「貴方は守り、私は殺す。互いにそのような立場であるのなら、終わり方は二つだけです、門番さん。貴方が死ぬか、私が死ぬか。それ以外にはないです」

 

 彼女は喋りながら、無造作に覆面を取り払った。

 もはや隠す意味がないと判断したらしい。黒地の覆面と衣装は風に解け、魔素に変換されて形を変えた。ゆったりした黒いケープコートに。つばの広い、先折れの帽子に。

 恐るべき体術を以って襲い掛かってきた暗殺者の姿はもはやなく、そこに佇んでいるのは、年若い――魔法使い然とした少女だけだった。

 

 ハリエットという名の、少女だけだった。

 

 驚きはない。

 暗殺者のそれと常日頃の彼女の印象が、あまりにかけ離れていたとしても。

 

 ガルーザ卿の話では、襲われた騎士ヘッケルの天幕に訪れたのは俺以外には医師であるドネットだけだったという。しかし、ハリエットは俺との会話の中で、ヘッケルの傷をまるで見てきたかのように把握していた。

 何とも初歩的な、お粗末なミスであるようにも思えるが、実際は少し違う。ハリエットはうっかり口を滑らせたのではなく、険悪な関係である筈の水星天騎士団から俺が仔細な情報を仕入れるとまでは予期していなかったのだろう。俺が天幕に訪れた人間を把握していなければ何の問題もない話で、万が一、俺がその矛盾に気付いたところで、どうとでも言い逃れはできる。

 その小さなリスクよりも、話を合わせて俺に探りを入れることを優先したに過ぎない。変装してコソコソ動き回っている、いかにも怪しい俺にだ。そして俺が、話の中で夜の者達が潜伏している北の森を偶々言い当てしまったことで、ハリエットはいよいよ俺を放置できなくなった。それが昨夜の襲撃を招いた一因だろう。

 正面から戦えば負けると分かっているからこそ、九天が動く前に事を済ませるしかないと踏んだのだ。

 実際のところ俺はハリエットのことなど全く疑っていなかったし、事件に介入する気など殆どなかったので、彼女の行動は結果的には悪手でしかなかったわけなのだが、彼女からしてみれば知る由のないことだ。

 

 とにかく、彼女は――ハリエットは行動に移してしまった。

 しかし、なぜなのか。

 それはやはり、分からない。《九天の騎士》である筈のハリエットが、彼らと敵対する《夜の者》である理由など、完全なる部外者である俺には見当すらつかない。

 俺に分かる事は三つだけだ。夜の者――ハリエットの目的は皇族の殺害であること。その動きを突然見せ始めたことを考慮すると、最近になって何らかの事情が発生したのだということ。

 そして、彼女の目的が皇族の殺害であるのなら、裏を返せば――狙われた者は皇族であるということだ。

 

 つまり、カタリナ・ルースは皇族なのだ。

 少なくとも、ハリエットはそう認識している。そしてそれは、恐らく、事実だ。

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