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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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17.影④

 槍は戦場において最も重要な武器である。間合いは剣に勝り、扱いが比較的容易なため練兵が早く済み、簡素な構造は大量生産にも向く。

 そのような背景から、槍術は実戦の中で常に発展してきた。らしい。

 伝聞形なのは、師から聞かされたそれらの事実に対してサリッサ自身はあまり興味を抱かなかったからだ。

 

 彼女が修めたのは槍だけでない。剣や弓は当然として、斧や棍、果てには鞭といった変り種まで一通りの修練を済ませている。

 良く言えば意欲的、悪く言えば節操がないその姿勢は、彼女が正統な騎士の家の生まれでないことに起因する。自家に伝わる技を継承せねばならない貴族の子女などとは違い、孤児であるサリッサは定められた武器を持たなかった。

 それ故に自分に向いた武器を探す過程で様々な武器を手に取ったのだが、どれもそこそこに扱えて――どれにも興味は沸かなかった。

 それでも、彼女はひとつを選ぶ必要に迫られた。

 己を見出した騎士に報いるため、己の食い扶持を稼ぐためだ。結局、強いて言えば足が速いだけが取り柄だった少女は、充てられた師に勧められるまま槍を手に取った。

 師は剣士だったが、現役の頃は皇国の騎士であれば誰もが知るほどの高名な剣士であったらしい。そんな人物が言うのであれば間違いはないだろうという安易な考えだった。

 

 結論を言えば、師は正しかった事になる。

 それからのたった二ヶ月で彼女は槍使いとして完成したからだ。

 

「シィッ!」

 

 サリッサは徒手空拳の敵が奇声と共に繰り出す体術の技を槍の柄で捌き、叩き落して槍頭を突き込んだ。しかし切っ先は敵の心臓を貫く遥か手前で火花を散らして弾かれ、彼女は舌打ちをした。もう六度目だ。

 流麗かつ迅速な動きで槍を手元に引き戻した彼女に、無体に近い構えで手刀を作る黒装束の暗殺者は無機質な瞳を向けるに留めた。

 暗殺者は魔手と呼ばれる技術によってサリッサの攻撃を防ぎ続けているが、攻撃が通じないのはサリッサも同じである。頭を割らんとして脳天を打った手刀が素手で受け止められた瞬間、暗殺者はサリッサが己と全く異なる原理で攻撃を防いでいるのだと看過していた。

 互いに致命打にならないと分かっている攻撃を繰り返している。そこに牽制以上の意味はない。

 

「とんだ泥仕合ね」

 

 憎々しげに感想を述べる黒髪の少女に、小柄の暗殺者は無言を通した。

 特に反応を期待していたわけでもない。

 サリッサは小さく息を吐いて敵の姿を見据える。

 武器が通じない難敵だが、制する手立てはないわけでもなかった。

 直前に別の暗殺者へやってみせたように、刃ではなく強い衝撃であれば守りを抜けることが分かっている。

 対して、サリッサは敵の攻撃がどのようなものであっても害されることはない。敵の攻撃を二度に渡って防いだ――正確には防いだわけではないが――永遠の福音によって、彼女はあらゆる変化を否定されているからだ。

 今のサリッサはたとえ三日三晩炎に巻かれようが平然としていられるだろう。敵の技にどれほどの威力があろうが、物理的な干渉である以上は何の脅威にもならない。

 それ故か、サリッサの心は透徹していた。

 この戦いには己の命が懸かっていない。いや、恐らくはこれから先の全ての戦いにおいても同じなのだと考えると、目の前の不気味な敵に対しても思うところは少なくなる。

 負傷したウィルフレッドの分、狙われているというカタリナの分。懸かっているのは他者への想いだけだ。

 高い場所から争いを俯瞰しているような、形容し難い心境だった。

 

(あいつは……いつもこんな気持ちだったのかしら)

 

 肝心な事は何も語らない、やつれた少年の顔を思い起こしながら、サリッサは白槍を持ち上げて敵に向けた。

 細いシルエットの暗殺者は無機質な瞳を動かした。左腕に巻いた影のような薄衣をおもむろに捲くり、白い手を露出させる。

 魔術の中には衣服が発動の妨げになるものも多く存在する。火を用いた破壊魔法などがそれだ。

 

「魔法戦? あんまりお勧めしないわよ。そんな隙もないと思うけど」

 

 余裕からだけでなく、言葉通りの忠告の意味を込めてサリッサは言った。

 騎士相手に至近距離かつ一対一の状況での魔法戦は愚策だ。眼前での魔術行使など黙認するはずがない。技量で拮抗している者同士なら尚更だ。暗殺者がそんな定石を承知していないわけもない。

 しかし、ゆるりと動いた白い掌は指を開いた。

 式句の一言でも発そうものなら、すかさず槍を突き込む。その後は木に叩き付けるか地面に叩き付けるか、いずれにせよ魔法など使わせるつもりはない。

 サリッサは槍を低く構え、勝敗を決するべく敵の懐へ――

 

「隙がないなら作ればいいだけです」

「っ!?」

 

 絶妙な呼吸であった。

 暗殺者が発したのは先程までのざらりとした声ではなく、滑らかなソプラノ。恐らくは変声の魔術を解除したのだろうとサリッサは考えた。それはいい。しかし、別の意味で声がもたらした激甚たる衝撃は、今まさに踏み込もうとした彼女の足を止めるに十分なものだった。

 

「あんた……まさか……!?」

 

 思考と行動とを切り離せる域に達した者であれば、或いは、彼女のように手を止めて致命的な隙を晒すこともなかったのかもしれない。

 しかしそれは、若年のサリッサには未だ遠い境地だ。

 たった数ヶ月で騎士として完成した少女には、あまりにも遠かった。

 

「力なき萌芽、契りを交わさぬもの、枝伸ばし刺し貫いて光を落とせ」

「……このっ!」

 

 澄んだ声で淀みなく紡がれる詠唱文を聞き、サリッサはようやく我に返って槍を振るった。距離を詰めるのは諦め、柄の石突きに近い部分を持って間合いを伸長。そして爆ぜるような勢いで地を蹴り、穂先を突き出して疾駆した。

 緑の魔素を散らす暗殺者の左手が閃く寸前、槍が彼女の華奢な胴に直撃した。衝撃で宙に跳ね上げられた暗殺者は、初めて感情らしきものを込めた声を、叫びを上げた。

 

「ッ――宿木(ミストルティン)ッ!」

 

 魔術が解き放たれる。

 暗殺者の掌から生まれた薄らぼやけた灌木の枝。一見何の変哲もない枝が、まるで矢の如き鋭さと速さで発射され、サリッサの腹部に直撃した。

 見た目からは想像も付かない運動エネルギーを秘めた枝に吹き飛ばされ、サリッサも宙を舞った。相討つ格好で跳ね飛ばされた両者は、共に地を転がる。

 地に倒れたサリッサは、己の全身を締め付けて戒めるヤドリギの枝を見た。魔術を受けた腹を中心に、四方へ次々と枝を伸ばすヤドリギの枝を。

 

束縛(バインド)!?」

 

 魔素で編まれたヤドリギがどれだけ締め付けようが、サリッサの身体を傷付けることはない。しかし、ほぼ全身を枝に包まれつつあるサリッサは身を起こすことも叶わずに土の上でもがいた。

 

「……あなたは確かに強い。才能も……力もある。でも、戦いはそれだけじゃ決まらない。そこで……寝ているといい」

 

 緑の枝に覆い隠されつつある視界の隅に、立ち上がる暗殺者の姿が映った。

 よろめきながら遠ざかっていく。サリッサがその背中に向けて辛うじて伸ばした腕と指先から、皮膚を伝って伸びた枝が土の中に潜って彼女を戒めた。

 サリッサは強く唇を噛む。

 何としてでも彼女を止めなければならない。それを門番の少年にさせてはならないという、強い予感があったからだ。

 あの少年は危うい。生きてきたという長さに比べれば、あまりにも脆過ぎる。

 あれと彼を戦わせて――結果、万が一にでも破滅的な結末を迎えてしまえば、それは彼にとって取り返しのない傷になるに違いなかった。

 

「待ちなさい!」

 

 せめて、と搾り出した声は誰にも届かなかった。

 完全にヤドリギに包まれた彼女は、やがて訪れた完全な静寂の中、それでも声を張り続けた。

 

 

 

 ***

 

 

 

 人語ならぬ咆哮と共に振り下ろされた腕、というか岩塊をわたわたと避けた俺とカタリナは、直後に発生した衝撃で数メートルほど跳ね飛んだ。

 ごく単純な、物理的な破壊力の余波でさえこれだ。

 しかし、いい加減逃げ続けるのも限界だ。戦うしかない。

 舌打ちしつつ、長剣を抜いて石の巨人に向き直る。が、どこから声が出ているのかも分からない石人形(ゴーレム)の偉躯を見上げると、どうにも戦意が萎む。

 

「いやあ、やっぱりデカ過ぎだろ」

「なにを臆病なことを。竜種(ドラゴン)とやらの方が大きかったでしょうに」

 

 矢筒から矢を引き抜きながらカタリナが珍しく悪態を吐いた。言われてみればその通りで、諸手を振り上げて威嚇らしき動きを見せる石人形の全長は、せいぜい竜種の数十分の一といったところだ。比較的マシであるのは間違いない。あくまで比較的に、だが。

 そしてカタリナは驚くべきことに、石人形に向けて奇怪な滑車付きの弓を引き絞った。矢どころか剣だって効くかも怪しい石人形にだ。

 

「いやいや……サイズはどうあれ……どう見ても石だぞ、あれ」

「やってみましょう?」

 

 図体に見合わない俊敏な動きで迫る石人形へ、限界まで引き絞られた矢が放たれた。

 現界(セフィロト)の「弓」も、由来となった異界(クリフォト)の弓と構造的にはほぼ変わらない。

 差異があるとすれば、それは弓の張力だ。

 魔力を持った使い手であれば、持たない人間ではとても引けないような力の弓も引くことができる。となれば、威力に偏重した発展を遂げるのは当然の流れだろう。

 騎士の為に作られた、特に頑丈な部類の剣が騎士剣と呼ばれるように、そういった類の弓は騎士弓と呼ばれる。長く、弾性の強いバネ鋼を用いて作られた騎士弓の威力は、木などで作られた長弓や狩猟弓とは一線を画する。

 という知識までは弓術にとんと疎い俺も持っていた。

 しかし、滑車の付いた弓などというものは見たことがなかったし、どれほどのものなのかも実際に見るまで想像もできなかったのだ。

 

 矢が放たれる弓音は、普通、弾かれた弦が空気を裂いて発生するものだ。

 しかし、カタリナの手によって放たれた矢はそれそのものが音を発生させた。風切り音などというレベルではない、乾いた破裂音だった。

 その音が音速を超えた証である衝撃波なのだと思い至るよりずっと速く、矢は石人形の頭らしき岩に直撃していた。

 鉄芯が入っているらしい矢は見事に半ばほどまで岩に刺さり――強烈な破壊音を響かせた。射手であるカタリナ自身が音に驚いて身を震わせるほどの大音響だ。

 

「嘘だろ……!」

 

 呆然と言いつつも、俺は長剣を振りかぶって跳躍していた。見た目を裏切る威力を見せた弓の一撃によって、石人形の頭は縦横にヒビが入って半壊している。

 どの程度のダメージなのかは見当もつかないが、魔術が使用できないカタリナによる援護はこれ以外見込めない。畳み掛ける他ない。

 ぐらりと揺れた巨体に魔素を纏わせた剣を振り下ろす。

 もはや使い慣れた、九天の剣技――剛剣。

 魔法顔負けの威力と効果範囲を持つ魔素の槌が、愛剣の切っ先と連動して落ちた。地響きすら伴って石人形を打ちのめす。

 が、足りない。ぴったりと両の腕を合わせて防御姿勢をとった石人形は剣技に耐え切った。剛剣が非殺傷であることが災いした。恐らくは意図的に対人用、制圧用として編み出されたこの技は、岩で構成された魔法生物に対しては威力が足りない。

 もう一撃。

 刃を返して身を翻す俺の眼前に、石人形が振り下ろした腕が迫る。到底、剣一本で受け切れる質量ではない。

 避けなければ――とバックステップを試ようとした瞬間、迫る岩塊に二の矢、三の矢が着弾した。肘の間接部分に直撃したその威力に、肘から先のパーツが脱落する。

 好機だ。

 

 剣技(グラディオアルテ)を行使する。

 

 通常、打ち下ろしで使用する剛剣を名も知らない打ち上げの剣技と混合(ミキシング)。更に破軍と混ぜ合わせて三連撃に拡張する。もはや原形を留めない未知の剣技と化したそれを、俺は迷わず解き放った。

 一撃、二撃。

 俺の意思とは無関係に剣が打ち上げられる度、石人形の五体が四散していく。

 最後の一撃は胴を撃ち抜いた。

 恐らくはその、胴のパーツが石人形を動かしていた擬似霊体の核だったのだろう。

 バラバラと崩れた石人形は地面に落ち、二度と再生する様子は見られなかった。俺は構えを解き、深い森特有の清涼な空気を吸いこんで大きく深呼吸をした。

 危うくミンチにされるところだった。

 

「まったく、こんな厄介な代物が存在するとは。世界は広いな」

 

 冷や汗だか何だか分からない汗を拭って剣を鞘に収めて振り返る。

 カタリナもちょうど背中の矢筒に矢を戻すところだった。

 

「珍しい使い魔には違いありません。製作に手間がかかるのもありますし……あれほどの大きさになると動かすのも一苦労でしょうが……もし量産できれば攻城兵器にできそうですね」

「ぞっとしないな。ありがとう、カタリナ。助かった」

「いえ、この弓のお陰ですよ。チェスターさんに感謝しなければ」

「……だな」

 

 ばつの悪さに俺は襟足の辺りを掻いた。

 見た目の奇抜さと性能は関係がないという事なのだろう。

 内心で反省していると、不意に表情を固くしたカタリナが木々の向こうに視線を送りながら言った。

 

「やけに静かですね」

「……サリッサ達の方も片が付いたのかもしれない」

 

 もしまだ敵が残っていれば、石人形と交戦していた俺達を放置する手はなかったはずだ。形勢を覆すには他に手がなかっただろう。

 ということは、少なくとも、異端者達に残された戦力はそれが実行できるほどの規模ではないということだ。一人か、二人か。であればサリッサ達が負けるとも思えない。

 いや、しかし。

 曖昧な予感と共に顔を上げた俺は、深緑の影から歩み寄ってくる人影を捉えた。

 昨晩に遭遇した、あの黒装束の暗殺者を。

 

 ああ、と心の中だけで嘆息する。

 敵の姿に気付いて身を固くするカタリナを視界の端に収めながらも、俺は妙な方向にしか働かない自分の勘を呪った。こうなる事が分かっていたような気さえする。

 あの敵がいかに手練れであろうが、サリッサ達三人を下せるとは思わない。彼女らが三人で掛かれば、俺だって一分ともつまい。

 

 彼女らが、三人であれば。

 

「カタリナ、下がっててくれ」

「……アキト?」

 

 故にこそ、俺はそう声を掛けて歩み出た。あれと対峙するのは俺ひとりの方がいい。そうでなければきっと、カタリナも気付いてしまう。

 そんな、思い上がりも甚だしい俺の意図を察してか、暗殺者は身を沈みこませて構えを取った。狙いを俺ひとりに絞ったかのように、相変わらず感情のない瞳を真っ直ぐにこちらへ向けてくる。

 敗北を悟っていないわけもないだろうに。

 何がそこまで「彼女」を駆り立てるのか。俺はそれを知らなければならない。

 だが、その猶予はあまり残されていない。九天の別働隊がこちらに合流するか――或いは、カタリナが福音を使用するか。どちらが先でもこの戦いは終わるからだ。

 

 だから、その前に。何としてでも。

 

 ゆっくりと歩いてくる暗殺者に長剣を抜き放ちながら、俺は決意と共に一歩を踏み出し、手の中のそれを構えて剣先を敵へと向ける。

 それが、再戦の狼煙となった。

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