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異世界往還の門番たち  作者: 葦原
三章 パラドックス
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15.石人形

 思っていたほどの傷みはない。まだしばらくは使えるじゃろう。

 製作者による簡単なメンテナンスを終えて剣帯に収まった長剣を、道具を仕舞った老鍛冶師は穏やかな表情で見ながら言った。

 その様は、どこか火の落ちた炉を思わせる寂寥を漂わせている。俺は腰の愛剣をマントで覆い隠すと、めっきり覇気を失った彼に向き直った。

 ふと、何故だか、皇都への旅の道中で出会った少女――コレットの姿を思い出した俺は、いつか彼女にかけられた問いをそのまま口にしていた。

 この剣に名前はないのか。

 老鍛冶師は少し意外そうな顔をした後、意味ありげな笑みで言った。

 名が欲しければ自分で付けるといい。それはおぬしの剣なのだから、と。

 

 

 まあ、そう言われても名前など一向に思い浮かばないのだ。

 未だ無銘の愛剣を、俺は振り抜きざまに手の中で逆手に持ち替え、左手に持った鞘へ叩き付けるかのような勢いで収めた。

 濃密な深緑に閉ざされた森の中、跳梁する黒装束の影が四つ。今しがた剣の腹で叩き伏せ、枯葉の海に沈んだ者を含めれば五人。北の森に入ってからというもの、ずっと戦い通しだったが、黒装束を明確に撃破したのは初だ。

 退き気味に戦う夜の者を仕留めるのは容易ではない。納剣した長剣の柄に手を掛けながら、俺は視線を上へ向ける。

 

 連なる高木の梢を縫うように、赤と黒の現代衣装を纏った少女が空を跳ねていた。槍を手に枝から枝へと跳躍する様は、軽業師も真っ青だ。同様の動きで、かつ、後ろ向きという真逆かつ驚異的な姿勢で先を行く黒装束に追いつかんとして速度を上げる。

 白槍が帯びた赤い魔素の光が尾を引き、流星のような軌跡を描いた。

 遠目に、黒装束が息を呑んだ気配がした。

 空中で交錯した両者が辿った結末は対照的だった。槍の少女――サリッサが一顧だにせず跳び去る背後で、ぐらりと体勢を崩した黒装束が重力に引かれた。木の枝葉を折り散らしながら、深緑の中に墜落していった。

 森の土は柔らかい。サリッサも手心を加えたようなので、さすがに死にはすまいと思うのだが、いちいち確認をしている余裕は俺にもない。

 戦いは追撃戦から乱戦に移行しつつある。

 

「贖いの槍、名高き一位の身駆! 火の粉火花を散らしてなれ穿つべし!」

 

 木々の間を駆け回る夜の者へ、ハリエットが緑の魔素で編んだ魔法陣を向ける。その複雑な呪紋に俺が目を回すよりも速く、ケープの少女は黒檀の杖を振るった。膨大な魔素が迸り、稲妻のように閃いた。

 

櫟槍(クリヴァル)!」

 

 途轍もない轟音が炸裂し、俺は見た。

 黒装束が、土砂を巻き上げて地面から噴き出した木の槍に抉られる様を。

 燃え盛る、焼け爛れたイチイの槍。それは、ハリエットの行使した高位攻撃魔法で生み出されたものだ。

 無音の悲鳴を叫んで倒れる黒装束が、炎に包まれた。

 

「……まずい!」

 

 身を貫かれたダメージで既に意識を失っている。あれでは死ぬ。

 慌てて駆け寄り、マントを被せて消火する俺に、黒いケープの少女が解せぬ様子で首を傾げた。怪訝な顔のまま俺を見るが、すぐに視線を外して残りの黒装束を追って駆け出していった。

 ハリエットが何を言いたかったのか、それは理解できる。

 残された俺は、結構な重傷を負って倒れる黒装束を見た。弱々しいながらも息を確認すると、自決用の魔法が付呪されているらしいフードを引き剥がし、簡単な治癒術を施してから縛って転がしておく。

 

 まさかここまで一方的な展開になるとは、戦いの前には思いもしなかった。

 だが確かに、刃が通じないという異能を持つ夜の者に対し、昨晩の俺が苦戦したのは相性の悪さと、あの黒ずくめ個人の技量に因るところが大きい。

 暗殺者の本領はあくまで暗殺だ。九天と正面から戦えば、こうなる。

 それが分かっているからこそ、彼らは九天の騎士と大規模な戦闘を行ってこなかったのだろう。

 

「なにをぼさっとしてるんだ、門番。怪我でもしたのか」

 

 転移魔法で急に隣に現れたウィルフレッドが、抜き身の大剣を手に言った。

 彼の甲冑は損傷だらけで、頬には切り傷が付いている。息も荒い。

 魔術師であるハリエットを守りながら戦っている彼の負担は大きい。本人がその役を買って出たとはいえ、任せきりにするのもそろそろ限界だろう。

 

「俺がハリエットの護衛に回る。お前はちょっと休んでろ」

「馬鹿なこと言うなよ。僕の方が足は速い(・・・・)んだから、ハリエットを守るのは僕の方が向いてる。いいから君達は前衛をやってくれ。その分、サリッサの負担が減るんだから」

 

 ぐい、と手の甲で頬の傷を拭って言うウィルフレッド。そのまま転移魔法で掻き消えてしまった。

 そう言われても、俺にはサリッサのような空中戦闘は無理だ。ああまで跳んだり跳ねたりするほどの身軽さは俺にはない。

 

「走って追いかけるか」

「……あ、あまり……深追いは……して欲しくないの……ですが」

 

 遠い剣戟の音を聞きながら歩き出そうとした時、今の今までぴったりと後ろについて着ていたカタリナが、ぜぇぜぇと息を切らしながら言った。

 存在を忘れていたわけでは決してないのだが、あまりに存在感がなくなっていたので完全に意識の外だった。

 思えば、カタリナと本格的に共闘するのは初めてだ。森に突入してから程なく黒ずくめ達を発見、戦闘に突入した当初こそ元気だった彼女は、それから十分少々の戦闘に体力が尽きてしまったらしく、以降はずっとこの調子だった。

 逃げる夜の者を追って走りっぱなしなのもあるかもしれないが、騎士にしてはスタミナがない。

 体質のせいで騎士として完成する前にドロップアウトしたのもある。腕前はともかくとしても、体力面ではあまり鍛えられていないのだろう。

 

「つっても、逃がしても良い事は何もないだろ。ここできっちり全員潰そう」

「わ、わかっていますわ……まったく、こんなことならもう少し体力をつけておくべきでした……!」

「まあ、そのうち頑張れ」

 

 カタリナは乱れた銀の髪を耳にかけつつ、肩に引っ掛けた、両端に滑車が付いた奇妙な形状の弓を担ぎ直した。鍛冶師に譲って貰った代物だ。俺は弓に詳しくないのだが、弓の割には妙に器械じみているというか、滑車から伸びた三本の弦を見るに、やはりゲテモノに違いないように思える。

 しかも、どうやら金属製らしい。矢筒と合わせると結構な重量のようだった。

 少し考え、言う。

 

「背負ってやろうか?」

「……いえ、結構です」

 

 どうにもご機嫌斜めが続行しているらしいカタリナは頭を振るが、駄々をこねられても困る。先行する九天の面々と離れ過ぎる訳にもいかない。俺は再び思案してから――魔力で強化した腕力に物を言わせてカタリナを抱えた。

 疲労のせいか殆ど抵抗は無かった。しかし、腕に収まった少女はきょとんとした顔から、瞬く間に青ざめ、次いで真っ赤になって悲鳴を上げた。

 

「ぎゃっ! ぎゃあああぁっ!?」

 

 あまり可愛らしいとは言えない悲鳴だった。

 

「そこまで騒ぐことじゃないだろ。ちょっと静かにしてろ」

「ゆ、弓を持ってくれるって話じゃなかったんですか!?」

「荷物だなんて一言も言ってないし、背負ってるわけでもないからセーフだ」

 

 ダンッと思い切り地面を蹴って走り出す。

 ただ走るだけで、まだ俺が真っ当な現代人であった頃とは比べ物にならないほどの速度で景色が流れていく。

 最早はっきりと覚えているわけではなかったが、あの頃は誰かを抱えるなんて事はなかったように思うし、その状態では一歩も歩けなかっただろう。

 そんな俺が当たり前のように人を運べるのだから、随分と遠いところまで来てしまったものだ。という訳の分からない種類の感慨を抱いていると、赤面したままのカタリナが咳払いをした。

 

「あ……あまり、こういうことを気軽にしない方が良いですわよ」

「……なんでだ?」

「な、なんでって……!」

 

 カタリナはもごもごと言葉を濁して黙り込んでしまった。

 思い返してみれば割と手遅れ気味な気がするので、何だって構わない。第一、必要な行動なのだから仕方ない。それに、この行動の通称を考えれば――皮肉と言うか何と言うか。

 

 いや、よそう。

 危うく横道に逸れかけた思考を中断し、俺は前を見た。

 サリッサ達の姿も、敵の姿も見えない。速く合流しなければ。

 いつの間にか、険しい表情を浮かべてしまったのかもしれない。再び頭を振って表情を引き締めたカタリナが、深刻そうな口調で言った。

 

「なにか……気がかりでもあるんですか?」

「ああ、気がかりというか……そうだな……気がかりなのかもしれない」

 

 曖昧な言葉を紡いで口を閉じる。

 まだ推測の域を出ない。口に出すべきではないのだ。そう、強く自分に言い聞かせるに留めて足だけを動かす。

 

「わたくしも、簡単過ぎるような気はしているんです。皇国の騎士の手を焼かせてきた者たちを相手に、この程度で済むとは思えません。特に……昨夜襲ってきた者、あの者が一番の使い手でしょう。姿が見えないのが気になります。どういうことなのでしょう。彼らは分散して潜んでいたのでしょうか」

 

 カタリナの確かめるような言葉に、俺は事実だけを言った。

 

「さあな。いずれにせよ、放っておいても奴の方から来るはずだ。このままここに居る仲間が全員捕まるのを静観もしないだろうし……そもそも、奴らの狙いは多分お前だ。連中からすれば、お前が森に来てるのはチャンスでもある」

「わ、わたくしを? なぜです?」

「変装が効いてるんじゃないか。程よく九天も引き連れてるし、何も知らない奴ならミラベルと間違えても不思議はないだろ」

「まさか! そんな間抜けな話があるものですか!?」

 

 と目を丸くする様子も、とてもよく似ているので思わず笑ってしまう。

 

「ははっ、あるかもな。まあ、だから……なるべく俺から離れないでくれ」

「……それは……構いませんけれど……」

 

 間近にあるカタリナの唇が何かを伝えようと動いた。

 その時、木々の向こうに何かが見えた。

 僅かな魔力を感じるが、人ではない。人間にしてはあまりに鋭角的過ぎる造形のそれは、大きさからしても人間では有り得なかった。

 縦に四メートルはあろうかという巨体が、ゆっくりと身をもたげつつあった。

 

「なんだ?」

 

 俺の呟きに、視線の先にあるものを向いたカタリナが、驚きの声を上げた。

 

石人形(ゴーレム)!?」

「ゴーレムって……あのゴーレムか? 岩で出来た?」

「ええ……! 魔術師の手なるもの……強力な使い魔(ファミリア)ですわ!」

 

 まくし立てるカタリナの両目には光が宿っている。権能を行使して解析したのだろう。ならば間違いがない。

 言葉に呼応するかのように、石人形はその全容を樹木の陰から現した。苔むした岩を無作為に繋ぎ合わせたような、人型の巨躯を。

 長さが不揃いな両腕を打ち鳴らし、苔に覆われた巨人が前進を開始した。木々をなぎ倒しながら一直線に――こちらへ向かって突進してくる。

 

「どう見ても味方って雰囲気じゃないな、あれは!」

 

 巨人の一歩一歩が大地を揺るがさんばかりの、圧倒的な質量を持っていた。もはや存在そのものが恐怖だ。俺は泡を食って足を速めるが、人造物にしては有機的な、滑らかな動きで疾走する巨人のスピードは、平均的な騎士と同程度である俺のそれを遥かに上回っていた。

 追いつかれる。

 

「あれに剣は効くのか!?」

「恐らく!」

 

 カタリナの頼もしくも端的な返事を聞き、俺は即座に決断した。彼女を抱えて走りながらでは振り切れない。ならば、採るべき手段は一つだけだ。

 結構な速度からブーツの踵で急制動をかけ、地面を削りながら減速した俺は、両腕で抱えていたカタリナを――思い切り真上に投げた。

 

「ぎゃあああああああぁっ!?」

 

 彼女は先程に数倍する悲鳴の尾を引き、飛んでいった。

 仕方のない事だ。

 両手が塞がっていては剣を握れないのだから。

 地面を滑りながら背後の石人形に向き直った俺は、右手をほぼ最速の動きで愛剣にかけた。

 

 剣技(グラディオアルテ)を行使する。

 

 抜剣は一瞬だった。遠当ての剣技「衝角」と鉄を斬る「斬鉄」とを混合させた一撃を、刹那の間に三度放った。

 結果、不可視の斬撃を受けた岩の巨人から、両腕と片足が吹き飛ばされた。

 胴体だけでなおも前進せんとした石人形が前のめりに転倒して地響きを起こす。その頃にはもう、俺は愛剣を鞘に収めて跳躍していた。

 投げ飛ばした時と同じ姿勢、まるで逆再生のようにお空から降ってくるカタリナを空中でキャッチし、そのまま再び走り出す。

 また腕に納まったカタリナは唖然としていた。

 が、すぐに我に返った。

 

「……な、なななな……なんてことをするんですかッ!」

 

 当然ながら激怒しているカタリナには取り合わず、俺は走りながら背後の石人形を振り返った。

 散らばった手足の岩が、石人形に集まり始めていた。

 もう再生を始めている。手応えがおかしいとは思ったが、これほど早く復活するとは思わなかった。

 速度重視の剣技では、完全破壊など不可能だ。的があまりにも大き過ぎる。

 

「くそっ、厄介なものを持ち出しやがって!」

 

 巨人が再び走り始める音を背に聞きながら、俺は行く手にあった倒木を飛び越えるべく、強く大地を蹴った。

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