14.残骸①
蔦の絡まる背の低い民家に古めかしい鍛冶小屋がくっついているだけのその建物が、この田舎街セントレアでただ一軒だけの鍛冶屋だ。
開けっ放しの入り口をくぐると、十畳ほどの狭い店の中、新品の鋤や鎌がいくつも棚に掛けられて並んでいる。革紐などを切るのに使うナイフを除けば、武器と呼べそうな商品はひとつもない。
店主は相も変わらず農具の製作に精を出しているらしい。剣を打つのはあくまで趣味だという彼のスタンスは、この数十年ほどまったく変わっていないので、今更の話ではあるが。
「ふぅん。あんたの剣ってここで作られたんだ?」
俺に続いて店に足を踏み入れたサリッサが、店内を見回しながら言った。無言で首肯する俺に、怪訝な顔で入ってきたばかりのウィルフレッドがたちまち目を剥いた。
「嘘だろう? 君の剣ほどの代物は皇都でだってなかなか手に入らないよ。見つかったって僕の給金じゃ買えない」
「ほんとかよ」
「こう見えても、僕は剣にはちょっとうるさいんだ。毎月、給料日には皇都の工房を巡って歩くくらいさ。その僕の目に間違いはないね。その剣は、騎士剣の中でもかなりの業物だよ」
なんて暇な奴なんだ。という感想は口には出さず、苦笑いを浮かべるに留めて鍛冶屋に入ってきたカタリナとハリエットに視線を送った。
銀髪の皇女に扮した少女は、うっすらと埃をかぶった商品類がどうも許せないらしい。指を農具の刃などに軽く這わせ、小姑のごとく埃の有無を確認している。
ハリエットは壁に立てかけてあったエニシダの箒が気になるようで、手にとって凝視していた。
「ウィル、昔からそうだけど、あんたの趣味はちょっとどうかと思うわ」
「ええっ、どこが!? 見てるだけだよ!? どうせ買えないから、ただ舐め回すように……執拗に眺めて歩くだけだよ!?」
「主にそういうところがよ」
などというやり取りを背に、俺は店の奥に足を向ける。
しかし、鍛冶場に老鍛冶師の姿はなかった。
鉄の匂いが僅かに残るのみで、金床に仕掛け中の商品が乗っているということもなく、そもそも炉に火が入っていない。今日は何も作っていないのだろう。
「留守か?」
「無用心ですわね」
ゆったりと追いついて来たカタリナが呟く。
とはいえ、平和極まるこの田舎街では戸締りなどという習慣はあってないようなものだ。特別おかしな話でもない。
「あの……調べるです?」
おずおずと言ったのはハリエットだ。
首を傾げる俺とカタリナの前で、黒いケープの少女はポケットから角錐状の碧い宝石を取り出した。宝石に繋がった細い銀鎖を、左手の中指に巻きつけて垂らす。初めこそ振り子のように揺れていた碧い五角錐が安定するや否や、ハリエットは小鳥がさえずるように呟いた。
「探索」
すると、うっすらと魔素を帯びた宝石がククッと動いた。
指し示すように鍛冶場の壁に錐の先端を向けて、止まる。
「人の反応はあっちにあるみたいです」
魔法に疎い俺には原理までは分からないが、どうやら探知魔法の一種らしい。ドネットが使うレーダー探知機のような魔法と比べると随分と古めかしいが、どちらかと言えばあの魔法が正統から逸脱した異常なものなのであって、この振り子を用いる魔法の方が自然に思える。
「ありがとう、ハリエット」
「い、いえいえ」
カタリナが柔らかく礼を述べると、ハリエットは照れたようにぶんぶんと首を振った。俺はその様子に何事かを口にしかけ、やめる。代わりに振り子が指し示した壁の方を見やった。壁の中に居る、ということでは勿論あるまい。
「お隣の……お家の方にいらっしゃるのでしょうか」
「多分な」
ぞろぞろと人を引き連れて家に押し掛けるというのもどうかとは思うものの、残念ながら配慮するほどの時間的余裕がないのも確かだった。
鍛冶屋を出て家屋の側に回ると、唐突にけたたましい金属音が響き渡った。
只事ではあるまい。
顔を見合わせ、頷き合う。
チーク材の玄関ドアについているドアノッカーを使う事なく、俺とカタリナ達はこじんまりとした民家に雪崩れ込んだ。
「チェスター! 無事か!」
久しく呼んでいなかった、馴染みの老鍛冶師の名を呼ぶ。
狭い廊下でぎゅうぎゅう詰めになった俺達を出迎えたのは、木箱を抱えた老鍛冶師だった。木箱の中身だったと思しき武器類が、無残に床に散らばっている。
どうやら箱を落としただけだったらしい――というところまで理解が及んだ時、ぽかんと口を開けた老鍛冶師が、目を丸くして言った。
「な、なんじゃ、タカ坊。ぞろぞろと引き連れてきおって」
***
俺達が通されたのは、客間というよりは武器庫のような部屋だった。
壁一面に奇妙な武器が掛かっている。先端に妙な鉄球が付いた長柄に始まり、およそ実用的とは言えない角度にまで歪曲した刀、刃が四つ組み合わさったような短剣、全長が大人一人分くらいはありそうな大斧などなど。
ひとつひとつ数えていたら日付が変わってしまいそうだ。
奥方に先立たれ、息子達も結構な昔に街を出ている老鍛冶師は、空間に余裕の発生した家の中をほぼ全て自分の趣味の為の空間に作り変えてしまっていた。
つまるところ、趣味で作った武器の保管庫である。
彼が趣味を始めてからの半生、数十年分となれば、いくら本業の片手間といったって、製作物の数は膨大になる。むしろ、よく一軒に収まっているものだといっそ感心するほどだ。
「ゲテモノばっかりじゃないか」
背の曲がった体に、オーバーオールに似た分厚い獣革の作業服を着用した老鍛冶師は、まばらに白髪の生えた禿頭をポリポリと掻きながら笑った。
「普通の……両刃の直剣やら鉄槍なら番兵団に買い取ってもらえるからのう。ここに残っておるのは変り種ばかりじゃよ」
「か、変り種っていうか、武器なのかすら怪しいものもあるぞ」
立て掛けてあった弩弓を手に取る。
機構そのものは何の変哲もない弩弓だったが、発射機構に装填されているのは何故か鶏卵だ。まるで意味が分からない。
「すごい……なんて素晴らしいんだ! 見たことある武器がひとつもないよ!」
「それのどこが素晴らしいのよ」
ウィルフレッドなどは目を輝かせて大量のゲテモノ武器を眺めているが、女性陣は軽く引いていた。当惑顔や白けた表情を浮かべて部屋を見回している。
微妙な笑顔のハリエットが手に取ったのは、柄の先から無数の刃を備えた鎖が繋がっている、いわゆる蛇腹剣だった。じゃらりと鎖を垂らしたきり、少女は途方に暮れてしまっている。まさかそれを鞭のように振るったりするとは思いもしないのだろう。
「あっ!? あたしの収穫者!?」
壁に掛かった長柄のひとつに目を留めたサリッサが、素っ頓狂な声を上げた。
見れば、見覚えのある白い大鎌が棚に飾ってあった。それはまさしくサリッサの得物であった大鎌で、俺が彼女との戦いで真っ二つに破壊してしまった後、老鍛冶師に修復を依頼していた一品だ。
収穫者という銘は初めて聞いた。
どのような意味が込められているのだろうか。
「直すのは無理だって言ってなかったか?」
「おお、それか。何の素材で作られておる物かも分からなかったものでな。ひとまず見た目だけ鉄で継ぎ合わせただけじゃよ。騎士が振るえばたちまち折れてしまうじゃろうて」
ただでさえ、騎士の手に収まる武器というものは、一般人が扱う武器とは比べ物にならない強度が要求される。騎士の超人的な膂力に耐える必要があるからだ。
ましてや騎士同士の戦いとなると、そんな武器同士を打ち合わせるのだから妥協は許されない。元とは異なる素材でくっ付けただけ、などという代物は、危なっかしくて使えたものではないだろう。
「ふうん。ま、いいけど。別に愛着のある物でもなかったし……なんか気持ち悪かったから。おじいさんの好きに処分して頂戴」
「では引き続き預かろう。これほど奇怪な武具を捨てるのも惜しいからのう」
老鍛冶師の言葉を聴きながら、俺の目はまた別の武器、細長い木箱に納められた白い細剣に吸い寄せられていた。
「これは……アルビレオが使っていた剣ですわね」
いつの間にか隣に並んだカタリナが、ぽつりと呟いた。
彼女の言は正しい。この細剣は、以前戦った死せる敵の手に収まっていたものだ。サリッサの白い大鎌と同じく、俺の手で刃を折った。
鋭利な白の刀身に触れると、指先に金属独特の冷やりとした感触があった。
遺物に似ている。
唐突に、理由もなくそう思った。あの大鎌も、この細剣も。
だが、破壊可能な何かしらの金属で出来ているという時点で、遺物とは明確に異なっている。当然だが権能を行使する力もないだろう。
「それは少し前に白衣を着た女子が置いていったんじゃよ。直せるなら直してくれとな。名は……なんといったかのう。診療所勤めの」
「……ドネットだ」
「おお、その娘じゃよ」
あの女医が何を思ってアルビレオの剣を回収したのかは分からない。
ただ、得体の知れない不気味さだけが、細剣に触れた指先に残っていた。外典福音を初めて目にした時に感じたそれと、全く同質の、薄気味の悪さだけが。
ぽん、と老鍛冶師が思い出したように手を打った音で、俺は辛うじて白い細剣から目を引き剥がす事に成功した。
「そうじゃ、お前さんらは武器が欲しいんじゃったな。そちらの美人さんの」
「カタリナ・ルースです。すみません、急に押し掛けてしまって」
「ええわい、ええわい。どれでも好きなものを持っていくがよい。ここにあっても時と共に朽ちゆくだけじゃ。騎士の手に収まって戦えるのなら、こやつらも本望じゃろうて」
えっ、とカタリナが言葉に詰まった。
無理もない。俺とサリッサは部屋を埋め尽くすゲテモノ武器の数々をいま一度見回し、それらの奇抜なフォルムに眉をひそめる。
仮に俺がこの中からひとつ選んで持って行っていいと言われても、例え無料であっても選ばないだろう。
何とも言えない沈黙が降りた。
嬉しそうに壁面の武器を見て回るウィルフレッドの、小躍りするかのような足音だけが、しばらく部屋に響き続けていた。




