10.侍女と雨①
ダウンジングロッドという器具がある。
地中に隠された水脈や鉱脈を探索する、ダウンジングという手法に用いる一対のL字形をした金属棒だ。これを両手に持って歩き回り、どこかのポイントで棒の先端が動いたりすれば、そのポイントの地下に探しているものがある――などという、「未来が見える水晶玉」と似たような、なんとも眉唾な代物である。
どういう因果か、俺はそのL字棒を両手に持ち、口を半開きにしたあほみたいな顔でセントリアの街を歩き回っている。
数時間もそうしていると、さすがに街の住人とすれ違うことがある。ご婦人とすれ違った時なんて特に恥ずかしい。やーね、あの子、一体何をしてるのかしら、うふふ。ひそひそ。みたいな囁き声が聞こえてくると殊更に死にたくなる。
ドネットに協力することになった俺は、彼女からこのダウンジングロッドを渡された。確かにこの器具は俺が元居た世界でも存在していたが、決して世間様に認知されている道具だとは言えなかったように思う。少なくとも学術的な調査に用いられるほど信頼されていたとは思えない。
しかし、俺にロッドを手渡してきたドネットの目は、いたって本気であった。
――こいつで探してくれ。とりあえず今日は、夕方までに街中を探索してこい。
俺は絶望した。
セントレアは純粋な広さだけなら、そこそこの規模なのだ。とても夕方までに回りきれるものじゃないし、大体、街中を変な棒持って歩き回るなんて、小心者の俺には少々ハードルが高いと言わざるを得ない。
せめて、あんたの探知魔法とやらを教えてくれよ、と食い下がる俺だったが、どうやら例のレーダー魔法は詠唱文を知っていれば使えるような生活魔法レベルの魔法ではなく、専用の魔法陣を編み込んだ道具と定められた発動動作、長い詠唱文を必要とする特注魔法であるらしい。
レーダー魔法の魔法陣を編み込んだ道具――ドネットの履いていたヒールの高い靴は、当然男の俺が履けるものではないし、不器用な俺はそもそも精密な発動動作を必要とする高度な魔法は苦手だ。しっかり反復練習すれば問題なく使えるのかもしれないが、そんな事をしていたら日が暮れてしまうだろう。
ドネット本人は早々に街の外へ骨探しに出掛けてしまい、サリッサは「あ、あたしはそろそろ休憩が終わるから……」とか何とか言い残して逃げた。仕方なく、俺は一人でこんな物を持ってこんなことをしている。
街の為だ。これだって立派な門番の仕事なんだ。
そんな風に自分を頑張って騙しながら、俺は二本の金属棒に全神経を集中させる。が、やはり何の反応も見られない。
大体、ドネットも街中くらいは真っ先に調べていそうなものだろう。それなのに、こんな信頼性にたくさんの疑問符が付きそうな棒を俺に持たせて歩き回らせる意図が分からない。どう考えたって、魔導院とやらが作った探知魔法の方が優れている。
頭のいい奴のやる事は時々分からない。これは何か深遠な意味のある調査なのだろうか。
「東洋人……それは、一体何をしているんですの?」
「お?」
商店街に差し掛かった辺りで声をかけられたので顔を上げると、瓶底眼鏡をかけた少女が目を瞬かせながら俺を見ていた。
カタリナだ。先程戻ったサリッサと交替して休憩をとっているのだろう。神妙な顔で金属棒を構える俺の様子を、疲れたような顔色で物珍しそうに見ている。
「分からないのか。これはたぶん、考古学的なアレだよ。インテリジェンスな生産的活動だよ。きっと」
「ちょっと何を言ってるのか分かりませんわね」
実際のところ、俺自身にもよく分かっていないのだから伝わらないのも仕方ない。
「それよりあなた、いつもなら夜に備えて寝ている時間でしょう。無理をして身体を壊してしまっては……」
「心配してくれるのか?」
「は? 何を言ってますの? あなたが倒れたら殿下に負担がかかるでしょう」
「……だよなあ」
相変わらず、この元侍女の少女は皇女殿下が第一である。こちらなどまるで気にも留めない。気が楽だ。
いつもの調子で喋るカタリナだが、しかし、どうも表情が硬く顔色が悪いように見える。顔面蒼白とまではいかないものの、やけに肌が白く見える気がした。
「お前の方こそ、具合でも悪いのか?」
「いいえ? そんなことはありません。なぜです?」
「鏡見ろ」
俺はダウンジングの手を緩めずに言った。が、ぴったりと方向を揃えた二本のロッドの先端は、まるでピクリともしない。
どうやら商店街にも反応はないようだ。
「あんまり無理はするなよ。俺はお前が倒れても全然困らないが、皇女殿下やサリッサ達は困るだろうからな」
カタリナの返事は聞かず、ダウンジングロッドを注視したまま俺は歩き出す。
急がなければならない。夕暮れまでもうあまり時間は残っていないにも拘わらず、南門近辺の探索が丸々残されている。このまま「いやー、頑張ったんだけど何の成果もありませんでした。ごめんね」などと報告すれば、ドネットにどんな無茶を言われるものか分かったものではない。
「……あなたに言われずも、そんなことくらい承知しています」
あれやこれやと考えながら歩く俺の横に、カタリナは意外にも並んで歩き始めた。
顔色はやはり悪いままに見えるが、無理矢理にでもベッドに押し込むなんて権利は俺にはないし、そんな時間もない。
「今日はわたくしが殿下のお食事をご用意して差し上げませんとね。あなた、今日は忙しいみたいですし」
「あ、しまった。忘れてた」
すっかり忘れていたが、今日はマリーに夕飯を作る時間はなさそうだ。
もともと俺が皇女殿下の食事を世話する義務などないのだが、皇女殿下に勝手に食われるうちに、いつのまにか俺が用意するのが習慣化してしまっていた。
しかし、時には俺がうっかり寝過ごしたり仕事で不在だったりする日もある。そういった日は、カタリナが早めに詰め所に来て食事を用意するというのが暗黙の了解になっている。
本人は嬉しそうに料理をするので俺はつい忘れがちになるが、カタリナはパン屋の仕事も同時にこなしている。
その負担は決して軽くはないだろう。
王族の侍女をやっていたほど優秀なカタリナだが、彼女自身がどんなに優秀だったとしても体力だけはそう変わらない筈だ。カタリナの白い顔を見ていると、そこまでやってしまうエネルギーが一体どこから来ているのか不思議でならない。
■
皇女殿下のための食材の買い込みを終えた後、俺とカタリナは詰め所の手前で足を止めた。
詰め所には腹ペコのマリーが居る筈だ。
俺はまだダウンジングロッドを構えたままだ。未だに全く反応がない。もう時間もないので南門までこのまま真っ直ぐ向かうつもりでいた。
「じゃあ、悪いけど頼むな」
「ええ、承りました」
買い物袋を携えたカタリナが頷き、詰め所への小道を歩き始めたその時、
俺は信じられないものを見た。
今まで俺の両手で沈黙を保っていたロッドが、おもむろに動いたのだ。ひとりでに。
まさか本当に効果があったものだとは。ダウンジング恐るべしだ。
くいっ、とそれぞれ外側を向いた金属の棒を、たっぷり二分ほど凝視した俺は、あまりの感動に声を上げようとした。
その瞬間、地面から人間の両腕が生えた。
「うおっ!?」
いや、それは紛れもなく人間だ。全身を赤い皮鎧で身を包み、顔を覆面で覆ったその人物は、まるで間欠泉か何かのように土中から数メートル跳ね上がると鮮やかに着地する。一体どういう仕組みなのかは全く分からない。
ドウッ、と地面に立った覆面の男は当然のように腕組みをしたまま、俺を見据えて強烈な殺気を放っている。
俺はと言えば、男が飛び出してきた地面の穴と男とを交互に見比べてから、その登場の異様さと不可解さにただ戸惑うばかりだ。
仕組みも分からなければ意味も分からない。
「土遁術をよくぞ見破ったな。さすがと言っておこう」
「ど、土遁だと……!?」
高みから見下すような角度をつけながら言う覆面男の饒舌さ加減に、俺は確信していた。
この男、九天の騎士だ。
魔法なのか体術なのかも分からないその土遁術とやらは、どうやら魔法だそうだ。なんで貴重な情報を自ら喋るのだろうか。
そもそも土遁は忍術だし、内容もちょっと、いや、かなり違う気がするのだが。
「お前らって、てっきり必ず夜に来るもんだと思ってたよ。一体、どういう風の吹き回しだ」
俺は油断なく両手のダウンジングロッドを男へ向けたまま問う。
男は俺の問いを一笑した。
「継承戦の法に従い、夜襲をかけようと待機していたまで。だが、継承権を持つ皇族ではない貴様は昼の間に殺してしまっても問題ない。いや、もはや俺達の本懐は貴様を先に排除しなければ成し遂げられんのかも知れんな」
継承戦?
話は見えないが、どうやら九天の騎士たちが夜に襲ってくるのは何らかのルールに従ったものだったらしい。
そして、この男は他の連中とは違い、明確に俺をも狙っている。
「東洋人。貴様のお陰で我ら九天の騎士は瓦解した。もう皇都にも我々の立つ瀬はない。今さら主命を為したところで、失われた名誉は戻らないだろう」
だったらもう諦めてくれ。迷惑だ。
そう言ってやるのは簡単なことの筈だったが、俺は軽口を叩かなかった。いや、叩けなかったと形容した方が正確だろう。
男の眼に宿る、凄絶な覚悟を見て取ってしまったからだ。
「帰る場所もなく、我々に残されたのは僅かな誇りのみ。しかし今、それすら捨てよう」
どういう意味だ?
問い返すより早く、俺は背後に生まれた気配に反応して無意識に抜剣していた。
どこから現れたのかは定かでない。抜きざまに振るった俺の剣と、背後に現れた騎士の大剣が交差し、火花を散らした。
今まで相手した騎士の中で、最も騎士らしからぬ攻撃――背後からの不意打ちを敢行したその青年は、金属の甲冑にマント、といった、今まで相手した騎士の中では最も騎士らしい格好をしている。
二対一か。
「手段は選ばない! 今日、ここで終わらせてもらう!」
彼らがそれを選択するまでの過程に、一体、どれだけの苦悩があったのか。俺には窺い知る事が出来ない。
愚直なまでに常に単騎で挑んできた今までの九天の騎士を見て、彼らには本当はマリーを殺すつもりなんてないんじゃないだろうかと、何度も疑ったものだ。
確かに彼らは弱くはない。むしろ強いのだろう。自分が敗れるなんて考えが一切浮かばないほど。
だからこそ彼らは常に単独でセントレアにやって来ていた。だが、確実に事を為すなら最初から複数人で事に当たるべきだ。
或いは、その油断ともとれる矜持も彼らの、騎士とやらの誇りだったのだろうか。
俺は騎士然とした青年の二の太刀を長剣で弾き、体勢を崩させた。
しかし、追撃はせずに身体を捻って跳び下がる。数瞬遅れて覆面の男が投擲した短槍を避ける為だ。その僅かな間隙で体勢を整えた騎士の青年が、大剣を振りかぶって追いすがって来る。
叩き付けるような大剣の一撃を長剣で受け流し、手首を返して青年の腕を薙ぎ払う。
が、浅かった。俺の長剣が青年に届くよりも速く、覆面の男が俺の胴を蹴り飛ばして剣筋を乱したからだ。
数回の攻防で、俺は何となく男達の技量を把握した。
覆面の男は、青年の攻撃を巧みに利用しつつ隙を突く、いやらしくも老練な戦い方をするようだ。一方で、騎士然とした青年の方は守りが疎かで攻め方がやや安直だ。覆面に比べて技量が数段劣る。
ただ、青年が足を引っ張っているといった感はない。どちらかと言えば青年の隙を覆面の男が巧く利用している、といった印象を受ける。正直、これを正面から突き崩すのは難しい。どちらかは早々に倒してしまわないといずれ押し負ける。
俺は瞑目し、炉を回す。
魔力を通した左腕で、覆面の男が投擲した短槍を拾い上げる。
剣技。
この世界に存在する全ての剣技を無条件に再生する力。
魔力を使って常人の何倍もの速度で駆け回るこの世界の剣士、騎士達の技は、もはや傍目には魔法と区別がつかない域にある。
それら数多の技全てを自在に行使する力。
サリッサの大鎌を破壊した投擲の剣技も、この能力で再生したものに過ぎない。
受けも構えも同様。俺が使っている剣の型は、例外なく全て借り物だ。流派の名前も使い手の名前すらも知らない。
そして、俺は辞書でも引くかのような気軽さで最適な技を再生する。
まるで他人事のような気分で、騎士然とした青年に短槍を三度振るった。
「……これは、サリッサの……!」
槍の石突で頭を打ち据えられた騎士の青年が、愕然とした呟きを漏らしながら膝をつく。
言われてみれば確かに、この技の名前は知っていた。長柄の武器による瞬時の三連払い。確か、サリッサは破軍と言っていた。
「槍は不得手なんだがね」
剣技は、あくまで剣を扱うための能力だ。
剣以外の武器で使用すると頭痛に襲われる。
この程度で済むなら制約のうちには入らないが、回数を重ねると意識が失うという致命的な罰則がある。
加えて、使用する武器の形状が剣から遠ざかるほど、この反動は大きくなる。
短槍を投げ捨てた俺は、呆然としたまま膝をついて動かない青年を放って置き、覆面の男へ向き直った。
しかし、
「まだだ……!」
背後で、金髪の騎士然とした青年が立ち上がろうとしていた。頭へのダメージで脳震盪を起こしているにも拘わらず、大剣を支えにして、震える膝で一歩を踏み出そうとする。
俺は不思議と彼の行動を邪魔する気にはなれず、再び覆面の男に視線を戻した。
相棒を失ってもなお、覆面男の戦意は全く衰えていない。
「まだやるかね」
「……サリッサが貴様に技を教えるとは思えん。となれば、貴様が技を盗む何らかの特技を持っていると考える他ない」
「遠からずだ」
「当たらずとも、か」
言うなり、覆面の男は右手の指で宙に円を描く。魔法の発動動作だ。
つまり、彼は魔法戦を仕掛ける気なのだ。この男が扱えるのはギャグみたいな土遁術とやらだけではないのだろう。
正しい判断だ。不利と見るや、近接戦をすぐさま切り捨てる潔さは見事と言う他ない。
「這い回れ、赤き舌、血と硫黄、黒の残火」
聞き覚えのある詠唱文に、俺は眉をひそめる。
いつだったか、毒刀使いの男が使用を試みた魔法だ。詠唱文が長いので印象に残っている。
だが、これは明らかに悪手だ。
相手の目の前で発動までの詠唱が長い高位の魔法を使用するのは、無防備な状態で突っ立つのとさほど変わらない。高度な集中が要求される魔法の発動動作中は、相手の攻撃を防御するような余裕がないためだ。
俺が魔法を好まない理由は単に不器用だからというだけでなく、この点にもある。
この覆面の男はこんな簡単なミスを犯すようなぬるい相手ではない。であれば、
「三人目か!」
九天の騎士、最後の一人。
またも土中から現れた人影――帽子を目深に被ったケープの少女が、その勢いのまま両手に携えた長杖を振りかざして叫ぶ。
「宿木の束縛!」
緑色の輝きを撒き散らしながら発動した高位拘束魔法は、俺の足元から鈍く光る蔦を伸ばす。
離脱が間に合わない。跳び下がろうとした俺は、緑色の魔素で構成されたヤドリギの蔦に足を取られてバランスを崩した。
この絶妙なアシストに、俺は舌を巻いていた。
九天の騎士達の最後の作戦は、二人がかりと伏兵の二段構えだったのだ。
最後の一人が残っている以上、その存在を警戒して当たり前だったのに、見逃してしまっていた。
蔦は俺のブーツから腰の辺りまでを一瞬で覆い尽くしている。足の自由は完全に奪われた。
投擲の剣技を使い拘束魔法を維持している術者を攻撃する、という手があるにはあるが、徒手で覆面の男と魔術師を相手取るのはあまりにリスクが大き過ぎる。俺は逡巡した。
「筆頭、今です!」
長杖で束縛魔法を維持しながら少女が叫ぶ。筆頭と呼ばれた覆面の男が詠唱を終える。
もはや是非もない。自由な上半身だけを使い、俺は長剣を投げる姿勢を取る。
その瞬間、
「――天弓」
底冷えのするような冷たい声と共に飛来した白い魔素に、覆面の男の身体が撃ち抜かれた。
肉が穿たれる嫌な音と、舞う赤い飛沫。
詠唱が中断され、男の周囲に漂っていた赤い魔素が霧散する。
そして、俺は見た。
弓を構えるような姿勢で白い魔法を放った、カタリナ・ルースの怒りに燃える形相を。




