1.タマネギ①
皇都から馬車で何日もかかる辺境の街、セントレアの南門番詰め所。
俺と皇女殿下はナイフでタマネギを刻んでいる。
「タカナシ殿」
「ああ、はい。何でしょうか皇女殿下」
「このとめどなく溢れてくる涙はいったい何なのだ? わたしはちっとも悲しくないのに、なぜだか涙が溢れてくるのだ」
俺は少しだけ考えてから、手を止めずに言った。
「それはきっと恋です。皇女殿下」
「貴殿は本当にいい加減だな、タカナシ殿」
朝露のような美しい水滴を瞳に湛えながらのたまう、金髪碧眼の美少女。
この国、ウッドランドの第十八皇女マリアージュ・マリア・スルーブレイス。小汚い掃き溜めのようなこの詰め所のキッチンには、およそ似つかわしくない御仁である。
しかし、彼女の服装は質素だ。縫製こそしっかりしてはいるものの、安物の綿で出来た青いチュニックに、これまた安そうな綿の白タイツ。これでもかというほど透き通ったボリュームのある金髪は、前髪はぱっつん。不必要なまでに長い後ろ髪は大雑把に紐で束ねられているだけ。
身なりに関して言えば、そこらの村娘ですらもう少し色気があるだろう。そして体型も貧相だ。出るべきところは引っ込んでいるし、引っ込むべきところはフラット。そのボディの造形たるや、もはや寸胴鍋に近い。おまけに背も小さい。人類種というよりは小人族と評すべきチビさ加減だ。
愛称はマリー。大層やんごとなき身分でありながら、この辺境で一兵卒をしている変り種の皇女様である。
「貴殿の栽培した野菜はおかしい。なぜ茎でなく根が太るのだ。だいたい、その根を食そうという考えもわたしには分からぬ」
「別に皇女殿下のお口に入れようとは思っておりません。ご理解頂けずとも結構です」
「わたしに手伝わせておいてそのような了見が通ると思うのか、貴殿は」
「手伝うと言い出したのは殿下でしょう。あと、これはタマネギという野菜です」
「……ほう、これがタマネギなのか。調理前のタマネギを見るのは初めてだ」
「生のままでは辛いですが、熱を加えると甘みが出ます」
「ふむ」
掃き溜めの鶴は聞くが早いか、みじん切りにしたタマネギ片をひとつ掴んで口に運んだ。
「うっ……なるほど、確かに辛い」
「チャレンジ精神だけは立派ですね、殿下」
刻んだタマネギを炒め、焼き目の付いた牛肉を投入し、香味野菜、根菜と一緒に鍋で煮込んでいく。
「ふむふむ。近頃はタカナシ殿の珍妙な料理にも慣れてきたものだが、今日のところは普通のシチューと見える」
「いえ、違いますよ。これはシチューではありません」
「何?」
俺は戸棚から見慣れた黄色と赤のパッケージの箱を取り出しながら言った。
「今日はカレーです」
■■■
セントレアは畜産と農耕を主な産業とする、きわめて牧歌的で平和な街である。
魔族の勢力圏から遠いため人類種以外の知的種族が滅多におらず、国境からも遠いため皇国が絶賛開催中の戦争ともまるで無縁。加えて、隣町のリンダースに何故かそこそこの規模の騎士団が常駐しているため、周辺の街には賊も滅多に出ない。
であるからして、門番といっても仕事はとても限定的だ。
昼間は行商馬車の荷改め。
夜は門の明かりを点ける。
この程度である。いちいち門の傍で延々と突っ立っている必要はない。
そんなわけで、南門の詰め所で働いているのは俺とマリーだけだ。
装備も人員も最低限。閑職ここに極まれりである。
「このカレーとやら、変わった味付けだが美味しいな。どこか刺激的だが、それでいて実にまろやかだ。不思議と甘みすら感じる」
「結構タマネギ入れましたし、まあ甘口ですからね」
「アマクチ?」
「説明が面倒なんで気にしないでください」
カレーのルウについて説明しようものなら突っ込まれるのは必至だ。ぞんざいな扱いをされた皇女殿下の仏頂面を視界の外に追いやりながら、俺はカレーを黙々と口に運ぶ。
「め、面倒か……貴殿は本当に無礼な人間だな、タカナシ殿」
「この顔は生まれつきです」
「いや、誰も顔の話はしておらんが……まあよいか。今に始まったことでもない」
皇女殿下は釈然としない面持ちでカレーを頬張る。
その所作にお姫様感は微塵もない。
出会った当初はさすがに面食らったが、今ではこれも見慣れたものだ。この皇女殿下はこうして俺の作った肉じゃがやら炒飯やらをモリモリ食べて味の批評を聞かせて来るのである。気品とか色々は皇都に忘れてきたのだろう。
「我がウッドランドの料理も負けてはおらぬが、貴殿の作る異国の料理はどれも素晴らしいな。ぜひ貴殿の故郷の話を聞いてみたいものだ」
「いやまあ、カレーは俺の国の料理でもないっすけどね」
「ほう! 貴殿は他国の料理をマスターしているのか!」
「そうなりますね」
市販のルウがなきゃ多分作れないけどな。などと内心で付け足しながら、俺はゴミ入れ木箱に突っ込んだカレールウのパッケージを一瞥する。
備蓄のルーはあと何箱あっただろうか。折を見て確認しておかなければならない。
「常々思うのだが、貴殿は兵士よりコックが向いておるではないか」
「そっすかね。ああ、俺も思うんですが、殿下って実は門番なんかよりお姫様とかの方が向いてるんじゃないっすかね。思い切って皇都に帰るとかどうです? 何なら馬車を手配しますよ」
「また適当なことを……」
不服そうな殿下はもう置いておくとして、俺はこのあと仕事――南門の松明を点して、軽く見回り――がある。さっさと食器を片付ける俺の様子に、何故かマリーは慌ててカレーを口へ掻き込み始めた。
「ふぁあ、待ふぇタカナシどの。わたひも付いて行くふぉ」
「飲み込んでから喋ってください殿下。汚ないです」
■■■
宵時のセントレアは往来に人気がまるでない。この街の住人の大多数を占める農家の皆さんは早めに就寝してしまうし、数少ない商店も夕暮れまでには店仕舞いをしてしまうからだ。例外はこの街で唯一の酒場だけだが、わざわざ酒場に通うより家で飲む者が多いらしく、いつも閑古鳥が鳴いている。
詰め所から南門までの短い道のりで誰とも出会わないのも当然と言える。
「で、なんで殿下が付いてくるんです」
「異な事を。わたしもセントレアの門番であるところに違いはない。見回りへ同行するのに何の理由が必要あろうか」
「何度も言っていますが、殿下は朝の当番。夜の当番は俺です」
「はて、そうであったかな」
明後日の方向を見やりながら、マリーは目を細めた。
皇女殿下は朝が弱い。いやまあ、彼女が朝方に門の松明を消すという役目を寝過ごしてしまっても、それはそれで俺の知るところではないのだが、尻拭いをしなければならないので微妙に困ると言えば困る。
俺は腰に下げている長剣に手を置きながら言う。
「もし俺なんぞの心配をなさっておられるのでしたら、どう考えても無用な気遣いですよ。この平和なセントレアじゃ毛ほども危険なんてありませんし、仮に何かあったとしても俺は自分の身くらい自分で守れます。殿下と違って」
「わたしはタカナシ殿の心配などしておらぬし、最後の一言は余計だ。まったく」
この皇女殿下も俺と同じ長剣を携えてはいる。が、彼女の細腕では満足に扱うことは叶わない。なにせ彼女の身長は、その長剣よりも二回りばかり高い程度でしかない。
一度、マリーには扱いやすい槍や細身の武器を勧めたこともあるのだが、なんか普通に断られた。曰く、自分は門番であるからして門番が与えられている武器は何であれ扱えなければならないのだ、ということらしい。
無意味な意地だ。
そもそも、この田舎街には俺や他の番兵を含め、正規の剣術使いなど一人もいない。立場上、剣を抜くケースもなくはないのだが、それはあくまでポーズだ。この街で起こるような軽犯罪で、本当に刃傷沙汰になるような事案などほぼ無い。
なので門番が真面目に剣を修練する必要はないのだが、マリーは頑なだ。毎日毎朝、仕事が終わるやいなや南門の前でおっかなびっくり素振りなどをしている。
皇女殿下は剣術のイロハなど知らない。素振りをして筋力を付ければ剣を扱える、と本気で信じている節がある。当然そんな訳はないが――
「わたしも……今はその……剣の腕は未熟だが、いずれは立派な門番としてだな……」
「はあ。ならリンダースの騎士団あたりに習いに行けばいいんじゃないですかね。休暇が余ってるでしょう? たまには使って下さいよ」
「何を言うか。お役目を放り出して街を離れるなど言語道断であろうが」
「そうっすかね。まあ、俺としても殿下に居てもらった方が楽でいいですけど」
何だって構わないので、無い胸を張るマリアージュ殿下を放っておき、さっさと南門のかんぬきを外す。
セントレアの街壁は百年ほど前に築かれたものだ。遺跡と言っても差し支えないそれは、有り体に言えばボロい。逆に考えればボロくても全く支障がないという事なのだが、いかんせん門の開け閉めなど日常業務の観点で見ると無駄な苦労が耐えない。
まず金具が錆びついていて引っかかる。押すのも引くのも重労働だ。燭台は朽ちかけていて底が抜けそうだし、松明を差すのにも気を使わねばならない。
マリーは月明かりを頼りに手際よく松明に弱火の魔法をかけて点火していく。手つきも慣れたものだ。
彼女はどんな雑用にも真摯に取り組む。たいていの技能は数日もあればマスターするだろう。体格さえ恵まれていれば、それなりに剣を振るうことも出来たに違いない。
第十八皇女、マリアージュ・マリア・スルーブレイスがセントレアにやってきたのは、およそ一月前。
皇族の証たる印璽を持っていなければ、供の騎士もなく侍女一人だけ連れて着の身着のままやってきた彼女を、一体誰が皇女と信じただろうか。
もし皇都からの正式な辞令も持っていなければ。皇女たる彼女が僻地セントレアの、しかも門番などに配属されたなどという話を、本当に誰が信じただろうか。
だが、事実としてそうだったのだから仕方がない。
そこに誰の、どういった意図が介在したのかを、俺は知らない。
いくら子沢山の王様とはいえ実の娘をそこまで邪険にするものだろうか。
何かしらのお家騒動などがあったりするのだろうか。
ただ、たまたま南門の詰め所のベッドが空いていたという理由だけで皇女殿下は俺の相棒になった。
それ以上のことは分からないし、俺が知る機会もないだろう。