38.詠唱
「な、なんだ」
などと混乱する僕の頭上を越えて、
目にも留まらぬ速さで電気の塊が通り過ぎて行った。
そして背後の壁に当たると、
稲妻が近くに落ちた時の如く、
激しい鳴動を起こしたのである。
僕が余りの衝撃に目を白黒させている間にも、
モンスターは次の必殺の一撃を放たんと、
次の詠唱を開始している。
咄嗟に指示を出そうと淡雪の方を見るが、
いつの間にか僕の隣から消えていた機械人形は、
既に敵へと肉薄していた。
そして呪文を唱えるスケルトンメイジの
懐へ潜り込むと、手に持ったナイフで
相手の四肢を一瞬で切断したのである。
倒れ込んでいた僕が立ち上がると、
すぐに淡雪が戻って来た。
「敵はやはりさほど強くはないようです。
それよりも、まことに申し訳ございませんでした。
いきなりの事でしたので、
お声をかけることが出来ませんでした」
お怪我などはございませんか、などと言って、
僕の体についた埃を払い始める。
「いや、今回も助かったよ。
それに淡雪の強さもよくわかった。
なるほど、やはりあの言葉も
あながち間違いではないのかもしれないな」
何がでしょうか、と問う彼女に僕は告げた。
「魔神大戦を終結させた、という事がだよ」
・・・
・・
・
人形は普段通りの無表情なのだが、心なしか、
どこか申し訳なさそうな顔をしているように僕は思った。
「セビファナ盗賊団の頭、
シチャキの申した事をおっしゃっているのですね。
スケルトンキングとの戦いの終盤、
あの男は確かにこう言いました。
『そりゃそうだ、古き人形と言えば魔神大戦を
終結させたと言われる伝説の遺産。
権力者どもが血眼になって探す
最も危険な玩具だ』、と」
ですが、と彼女はやや俯きながら言葉を続けた。
「貴方様、お許しください。
ご期待を裏切るようでまことに心苦しいのですが、
淡雪はじつはあの言葉のほとんどを
理解できていなかったのですよ」
えっ、と僕は本当に驚いて声を上げた。
「でも、確か淡雪は、魔人大戦のことは
知っていただろう。それはつまり、
その頃には起動していたという事じゃないのか」
だが、彼女はあっさりと頭を振ると、
「そもそも、魔人、と言うものが何者なのか存じ上げません。
また誤解があった様なのですが、
私どもは指輪を嵌めて頂いて初めて起動しますが、
貴方様にして頂きましたのが、
私の最初で最後の起動儀式でございます。
過去に別の御主人様を頂いた事はありません。
ええ、大事なことですのでもう一度申し上げますが、
貴方様が初めての相手でございます。
私はそのような浮気な人形ではありません」
そ、そうか、と常ならぬ人形の迫力に
僕が戸惑っていると、その事に気付いたのか、
彼女はいつもの冷静な調子に戻る。
「失礼いたしました。それで、大戦の存在を
知っていた理由でございましたね。
それは起動前の段階で別の人形から
データの一部同期を受けたからなのです」
淡雪とは異なる別の人形か。
「そいつが君に魔人大戦の情報を
流したということだな」
そうです、と彼女は頷いた。
「基本的に私どもは、起動前に情報の授受は
一切出来ない仕組みになっております。
これは機体の初期データの状態を保つため、
つまり品質を一定にするための当然の処置です。
ですが、例外がございます。
それは重大な環境情報につきましては、
別の機体からデータシンクロにより
受け取る事が出来る、というものです。
例えば、大規模な戦争、甚大な自然破壊、
想像を絶する天変地異などについては、
起動した時点で即応する必要があるため、
特例とされているのです」
ただ、そうした場合でも、
詳細な情報のやり取りは無理で、
そういった出来事が起きている、
という事実のみを辛うじて
受け取れるだけなのですが、と続ける。
どうやら、
「この星で大規模な、魔人大戦、という戦争が起こっている」
と言う情報だけが淡雪のデータには記録されているらしい。
なるほどな、と僕は頷いた。
だが、なぜか彼女は再び、申し訳ございません、
と言って頭を下げる。
「まだ謝らねばならない事があります。
私がセビファナ盗賊たちに盗掘されて、
運命に導かれ、貴方様と出会った経緯は
既にご存じのとおりです。
ですが、私がなぜ洞窟などという場所で
眠っていたのかについては把握できておりません。
また、通常わたしたち人形が最初から備えている
初期付帯品がなくなっている理由も
定かではないのです」
分かっておりますのは、と僕の方を見た。
「私がグリモアモデル3型シリーズの淡雪で、
貴方様をご主人様と頂く人形だと言う事だけです。
ですので、もしもあの男の申した事を
お調べになられるようでしたら、
しかるべき場所へ赴かれる必要があるでしょう」
そうだったのか、と言って僕は肩をすくめる。
「盗賊たちが、機械人形たちが戦争を終結させた、
などと言うものだから、
つい淡雪の強さに興味が出たんだ。
だからこそ15階層の敵とも戦ってみたんだが、
どうやら僕の勇み足だったようだな」
淡雪は、指輪を弄りながら、
「そういうことだったのですか。
どうしてそこまでして、ステータス情報も
判明していない階層の敵と戦おうとされるのか、
やや違和感があったのですが、納得致しました。
ただ、申上げました通り、
私自身が遺産や大戦については存じませんので、
貴方様の好奇心を満たすことはできそうにありません。
それで、どう致しましょうか。
まだこの辺りのモンスターたちとの戦闘を続けますか」
そう言う彼女の言葉に、僕は頭を振った。
「いや、そういうことなら、
あえてリスクを冒す必要もないだろう。
20階層に行って外に出よう」
はい、と淡雪は首肯する。
「分かりました。地下20階層攻略は難しいと
了解しています。それではこのまま、
20階層の待機部屋から、
1階層へ戻る事と致しましょう」
その言葉に僕は、「え、そうじゃないぞ」と答えた。
ぽかん、とした様子でこちらへ振り向いた美しい人形に、
僕は首を傾げながら説明する。
「もうレイスを倒す準備は、14階層までで完了してるぞ。
言わなかったか。地下20階層で『レイスを倒してから』、
このダンジョンを出るんだ」