26.化物
「ああ、超だるかったぜ。まあ、こんだけ異界化してりゃ、
月の連中もここを利用することはできねえだろう」
よく理解できない内容をぶつぶつと呟く大蛇の姿に、
僕は固唾を飲んで覗き込むことしかできない。
「それにしても全然、魔力が戻りきってねえ。
たったあれぽっちしか増築できないとはな。
これじゃあ、計画を再開しようにも、
まだまだ時間がかかっちまいそうだ。
やはり、もともと予定していた素体を
発見できなかったのが痛え」
蛇の怪物は、その特徴的な割れた舌を出し入れしつつ、
不機嫌そうな声音で、なおも独り言を続ける。
「かなりの時間、出現予定地を鳥の時、
俯瞰して回ったんだがなあ。
やはり、俺の持ってる生物技術じゃあ、
時間転移は確実性が薄かったってわけか。
くそっ、おかげで一から進化し直さないといけないとは。
やっと蛇にまでなれたが、
元の姿に戻るまで随分と年数がかかりそうだぜ」
そんな意味不明な悪態を吐きつつ、
大蛇の化物は周囲のモンスターを従えながら、
通路の奥へと消えていった。
僕は彼らが見えなくなってからも、
しばらくは微動だにせぬようにしていたが、
数分が経過し、もう大丈夫そうだと確信すると、
淡雪に声をかけた。
「月だとか、階層を増築したと言っていたが、
あの大蛇、一体何者か分かるか」
「いいえ、黒炎団のレポートにも、
私のこれまでの魔力音のパターンにも
記録がないモンスターです。
むしろ、モンスターであるのかすら
定かではありませんね。
明らかに人語を操っていましたので」
彼女の返事に僕は思案顔になる。
「人の言葉を解すモンスターが
いないとも限らないが、何はともあれ、
あの蛇が何者なのか決め付けるのは早計だろう。
それに周囲のゴブリンやオークたちの存在も気になった。
僕の印象では、奴らは中心にいた蛇の化物を守るために
同行していたように見える。
だが、モンスターが何かを守るために
行動するようなことがあるのだろうか。
それも、本来ならばありえない階層を越えての移動だ」
淡雪が頷きつつ、僕の言葉を引き継いだ。
「おっしゃるとおりです。
これは推論ですが、モンスターにはそれぞれ、
管轄フロアが決められているのだと思います。
だからこそ、普段であればその階層での活動を優先し、
他のフロアに移動することがないのでしょう」
だとすれば、と僕は彼女の言わんとすることを理解する。
「あの蛇の怪物を守護することが、
モンスターたちにとって、
それぞれのフロアで活動することよりも
優先順位が高い目的だった、というわけか」
彼女が僕の言葉に相槌を打つ。
だが、果たしてそれは一体、何を示唆しているのだろうか。
僕は答えの出ない方程式を前にしたときのように、
しばらくの間、深い思考の海に没入するのであった。
・・・
・・
・
いくら考えても答えの出ない設問に
いい加減、匙を投げると、
僕らは地下4階層へと進んだ。
そして、3階層と変わりばえしない
モンスターたちと戦闘を繰り広げながら、
5階層へと下りる階段の方へと少しずつ近づいて行く。
もちろん単体で行動する敵のみを慎重に選びながらである。
淡雪の戦闘力であればモンスターの2匹や3匹、
難なく倒すことができるのかもしれないが
それでは、きっと僕に訓練をする余裕がない。
3階層で戦ったワイルドボアのことを思い返せば、
そのことは明らかである。
ワイルドボア1体だけであれば、
相手の攻撃をかわしてから僕が剣で攻撃し、
敵からの反撃を受ける前に淡雪がトドメをさす、
という戦術が成立する。
だが、2体ともなれば、
それほどうまく手順を踏むことはできないだろう。
まず、複数のワイルドボアたちの突進をかわすこと自体、
僕にとって困難だし、もしも回避でき、
剣を突き立てることが出来たとしても、
2体のモンスターが同時に繰り出す反撃を
淡雪が独りで潰しきるというのは、
数の論理からして難しいように思われた。
まあ、案外そんな心配は杞憂で、
彼女ならばうまくやってしまうのかもしれないが、
取り越し苦労というのならば、
その苦労をしている内が花なのである。
何よりも、そもそも余り精神的に無理をしてはいけない。
このダンジョンの攻略を断念する最も可能性の高い理由とは、
飽きてしまう、もしくは頑張りすぎて息切れしてしまう、
ということなのだから。
そのようなわけで、僕は決して無理をせず、
自分なりのペースで4階層を攻略して行った。
ゴブリンやオーク、あるいはワイルドボアなどを
順当に討伐してゆく。
そうして、じきに地下5階層へと下りる
階段前に到着するのであった。
下へ行く前に、
5階層の敵の構成が4階層と変わらない点や、
階下周辺にモンスターがいない点を淡雪に確認すると、
僕は安心した気持ちで階段を下りて行く。
僕としては、新しい階層へ挑むにあたり、
レポートの内容を改めて確認した上に、
モンスターと不意に鉢合わせしてしまう事が無い様に
十分に注意したつもりなのであった。
だがこの時、確かに僕は油断していたのかもしれない。
それはきっと黒炎団のレポートや、
魔力音の存在に頼りすぎていたということなのだろう。
階段を下り切った瞬間に、
そう思わずにはいられなかった。
何せ、どのような状況でも
表面上は冷静を装う事の出来る僕が、
ついつい、ぎょっとした様子で
しばし佇んでしまったのだから。
後ろから現れた淡雪が
心配そうに語りかけてくるまでそれは続いた。
「貴方様、何かございましたでしょうか。あっ」
彼女の声に、僕ははっとして我に返る。
ああ、どうやら、彼女も気づいたようだ。
そう、階段を下るとすぐ目の前に、
「冒険者の死体が3つ」、無残な姿で転がされていたのである。
「申し訳ございません。
このような残酷な光景を貴方様の視界に
入れるつもりはございませんでしたのに」
慌てた様子の淡雪に、
冷静さを取り戻した僕が、いや、と頭を振って、
その亡骸へと近づいて行く。
「そりゃあ、死体がマッピングされているわけも、
魔力音を発することもないよなあ」
そんな当たり前の事実に、
いかに自分が油断していたことを思い知らされる。
そしてふと疑問が思い浮かぶ。
「亡骸に魔力がないのだとすれば、
幽霊のモンスターなんかには、
魔力音がないのかもしれない。
だとすると、11階層以降は
モンスターの居場所を掴むことができないわけか」
そんなつぶやきを漏らすと、後ろの淡雪が言葉を返す。
「いえ、それはどうでしょうか。
動いているようであれば、
そこに魔力が存在しているということです。
ゴーストにせよ、動く死体であるゾンビにせよ、
むしろ、魔力の塊と言ってもいい存在です。
おそらく、そのあたりは問題ないかと」
彼女の解説に、なるほど、と相槌を打つと、
僕は改めて冒険者の死体をつぶさに観察し始めた。
防具は破損し、折れた剣が1本、転がっている。
その他にも空っぽになった道具袋や、
散らばった銅貨が見て取れた。
「モンスターにやられたのでしょうか。
レポートによれば、冒険者の死体は放置しておくと、
じきにダンジョンに吸収されてしまうそうですから、
わりと最近の犠牲者なのでしょうね」
ふむ、と僕は頷くと、その亡骸から離れる。
「ところで淡雪、どうしてこの冒険者たちが
モンスターにやられたと思ったか言ってみてくれ」
彼女のぎこちなく首の可動部を動かすと、
いつもの冷えた声音で話し始めた。
「そうですね、貨幣が残されている点から見て、
物取りの犯行ではないと思いました。
それに折れた剣などが残されているのは
モンスターとの戦闘の結果ではないでしょうか」
僕は腕を組んで、ううん、と呻いた。
「妥当な理由だな。
だが武器が折れた剣が1本しかないのは、
死体の数と合わないし、道具袋も空っぽだ。
僕としは金目になるものは持って行っている、
という印象だ」
「銅貨を残したのは、追い剥ぎの犯行であることを
隠すための偽装だと言われるのですね」
いや、と僕は頭を振る。
「そういう観点も残しておいた方が良いだろう、
と言っているだけだ。
大事なのはどちらに確定することじゃない。
このダンジョンに、人間を狙う人間がいるかもしれない、
と理解しておくべきだと言っているだけさ。
いいかい、淡雪。どの世界であっても、
一番用心するべきなのは、間違いなく人間なんだ」
僕の言葉に淡雪が素直に頷いた。
「承知いたしました。おっしゃるとおり、
野盗が潜んでいる可能性もあるでしょう。
最大限、注意を払うように致します」
彼女の返事に満足して、
5階フロアの探索のため歩き始めようとする。
だが、ああ、そう言えば一つ付け加えておかなければ
ならないことがあった。
そのことに気付き、彼女の方に振り返る。
突然の僕の行動に小首を傾げる淡雪に対して、
何でもない様に告げた。
「ミトの町の生き残りの野盗がいるんだろう。
そいつらの一味かもしれないから、
君が魔力音を記録している生き残りがいるようなら、
今度は僕に言うようにしてくれ」
そう言って、踵を返すと、
彼女は常ならぬ慌てた様子で僕の服の裾を摘んだ。
「貴方様、あの、少しお待ちください。
なぜでしょうか。どうして、あの時の野盗が
生き残っている事をご存知なのでしょう。
貴方様にいらぬ心配をかけてはなるまいと、
淡雪はずっと秘密にしておりましたのに」
なるほど、淡雪は僕のことを考えて
ずっと言わないようにしていたのか。
「この死霊の洞窟へと向かう旅の途中で、
君が言ったんじゃないか。あっただろう、
商人たちが盗賊たちに襲われた事件が。
その時に知ったんだ」
僕の返答に、
淡雪はまだ理解が追いつかないという風に、
服の裾を離そうとしない。
「確かに私は、誰かが野盗に襲われているようだと、
あの荒野において申し上げました。
ですが、どうしてそれを、ミトの町の生き残りだと
看破されたのでしょうか。
淡雪にはどうしても分かりません」
いつもの人形めいた無表情ながら、
どこか困惑したような口調で語る機械人形に僕は答える。
「まあ、言っている本人が気づかないのも無理はない。
君は盗賊たちの魔力音を察知した時、確かこう言ったんだ」
『5km先に野盗がいるようです』
『今魔力音がひとつ消えました。
どうやら、誰かが盗賊たちに襲われているようです』
「どうだ、少し変だと思わないか」
その言葉に、淡雪も気づいたようだった。
裾を離すと僕の方をじっと見つめる。
「商人たちが襲われる前に
野盗と特定しているということですか」
「そうだ。せめて魔力音が消えてから、
野盗だと言っていれば筋は通るが、
その前に確定させるには根拠がない。
もしもそれが可能だとするならば、
ミトの町の盗賊団の生き残りが、
その野盗どもに混じっているとしか考えられない、
というわけだ」
僕は彼女の反応を窺いながら、言葉を続けた。
「淡雪、君が起動した時、野盗の生き残りが
周りにまだいたんじゃないか。
その際、魔力音を記録したんだろう。
あの時、僕は大蟻をけしかけた後、
自分の存在を隠ぺいすることに精一杯で、
野盗どもに生存者がいるのかどうか、
確認している余裕がなかったんだ」
彼女は納得したという風にぎこちなく頷いて、
「おっしゃるとおりです。私は起動したてで、
しばらくはイニシャラズ中だったため、
とても動ける状態ではありませんでしたが、
周囲の魔力音については予備収集を開始しておりました。
その際に、貴方様が壊滅させた盗賊団に1名、
生存者がいることに気付いたのです。
私が動き出す前にどこぞへと逃げ去りましたが、
ご察しのとおり、わたしはその者の魔力音を、
ここ西の大洞穴に向かう途中の荒野で
感知していたのです」
僕は予想通りの回答に満足すると、
「やはりそういうことか。
何にしても僕を不安にさせないように黙っていたんだろう。
不器用な気遣いだが、僕を慮ってのことだ。
今後もよろしく頼む。
それで、この後の事だが、もしもその生き残りや、
もしくはその他の野盗たちが潜んでいるようならば、
今回は僕に言うようにしてくれ」
彼女は、分かりました、と返事をする。
そして、その後の対応についても質問してきた。
「やはり、今回を期に、後顧の憂いを断つため、
全滅させるのでしょうか」
そう問いかける淡雪に、僕は頭を振る。
「いやいや、まさか。危害を加えて来ないようなら、
何もこちらから攻撃を仕掛ける理由はないんだ。
僕らは警察じゃないんだからな。
むしろ、共闘できるんじゃないか。
そう思っているんだよ」
その回答に、今度こそ彼女は動きを止めるのであった。