22.鉱石
しばらくの間、2日に1度、更新致します。
※後半の表現をかなり修正しました。2015.7.12 19:11
振り下ろした刃は確かに青いゼリー状の生物、
すなわちスライムを紛うことなく切断した。
だが、やはり緊張があったのだろう。
それに僕の考え方は元来、消極的なのだ。
スライムの体のどこかにさえ命中すれば
ダメージはあるだろう。
中心にあるという急所を頑張って狙っても、
そもそも攻撃をかわされてしまったら元も子もない。
そんな、ある種の甘えた考えが、
小剣による攻撃を焦ったものにしてしまった。
僕が垂直に振るった剣は、
一撃でスライムの命を刈り取ることなく、
体の中心からかなりずれた、
裾と言って良い部分に当たってしまう。
確かに多少ダメージはあったようだが、
その手ごたえから、
致命傷にはほど遠い攻撃だったことを瞬時に悟った。
小剣とはいえ重い。
すぐに次の行動に移ることは不可能である。
これでは、体よくモンスターに対して、
襲ってくださいと隙を見せているも同然だ。
しまった、と後悔する間もなく
襲撃を受けたと気付いたスライムは、
それまでのゆっくりとした動きからは
想像できない程の素早さで、
一瞬、体をたわめると、
物凄い勢いで僕の方へと体当たりを仕掛けて来た。
小剣を振り下ろしたばかりである自分には
それをかわす余裕などない。
僕は思わずうめき声を上げるとともに、
予想される衝撃に怯えて、
反射的に顔を背けることしかできなかった。
だが、いつまで経ってもその打撃が
僕を打ちすえる気配がない。
恐る恐る目を開けて見ると、
青色の粘液を付着させた禍禍しいナイフが
視界へと飛び込んできた。
そしてその刃は見事にスライムの中心を貫き、
モンスターの体を洞窟の壁に磔にしていたのである。
「貴方様、お怪我はございませんか」
そう言って、淡雪が無表情ながらも
どこか憂いを帯びた表情で僕の体に触れて来た。
どうやらいつもの通り、この人形に助けられたようだ。
まったく頭の下がる思いである。
「大丈夫だ。助けてくれてありがとう。
焦ってしまって、急所を外してしまったみたいだ。
面倒をかけてすまない」
僕が謝ると、淡雪は怪我の有無を確かめながらも
不器用に頭を振った。
「とんでもございません。躊躇いのない、
良い打ちおろしでした。スライムでなければ
一撃で相手を再起不能にしていたでしょう。
そんなことよりも本当にお怪我はないのですね」
機械人形が節くれだった長い指で体中を触れてくる。
そちらの方が、どちらかと言えば差しさわりがあった。
「いや、本当に大丈夫だ。それにしても淡雪がいてくれれば、
このフロアは何とかなりそうだな。
次はオークを狙おうと思っているんだがどうだろう」
僕の質問に、淡雪は一瞬動きを止めると、
最後にゆっくりと太ももの部分を撫で回してから、
立ち上がった。
「お怪我がないようでしたら良いのです。
オークでしたら1匹、
単独行動しているのがおりますね。
そこに向かいますか」
僕は頷くと背嚢からレポートを取り出して
1階層のマップを広げた。
「ちなみにそれはどの辺りだ」
淡雪が紙面の一点を指さす。
その辺りは普通よりも少し罠が数多く張り巡らされたエリアだ。
「結構、罠が多いな。仕掛け弓なんかがあるようだ」
淡雪は何も言わずに隣で佇んでいる。
「まあ、君がいてくれれば僕らが罠にかかることはないか。
じゃあ、そこまで案内してくれ」
僕は機械人形に先導される形で、
目的の場所へと歩き始めた。
・・・
・・
・
「着きました。1分ほど後、この先に現れる予定です」
淡雪が立ち止った場所は長い通路の端であった。
奥行は100メートル程あり、突き当りで道は右に折れている。
そこからオークがやって来るという訳だ。
「ひどく冒険者泣かせの通りもあったもんだ。
この通路上には幾つも罠が張り巡らされているんだから」
そう言って、僕はレポートのページを開く。
紙面には1階層のマップと、
その図面上に罠の位置を指し示すドクロマークが
ところどころに記されている。
特に、僕らがいる通路上には、
罠が酷く集中しているようで、
手前から睡眠ガス、回転床、仕掛け弓、
といったギミックが連続で設置されているのだった。
「だが、黒炎団のレポートがあるおかげで
罠にかからないで済む。
この道を僕らが通ることはできないから
奇襲こそ難しいだろうが、
淡雪の投げナイフでこちらに辿り着くまでに
かなりのダメージを与えられるだろう。
それなら、なんとか僕でも倒せるに違いない」
そう言って、小剣を鞘から抜き放ち、
地面に剣の重みを預けるために突き立てる。
単に疲れないための工夫だ。
敵が来るまでの間、
このような重い鉄の塊を構えておくことなど
自分には出来ない。
「ご安心下さい。いつものご指示通り、
腕や脚を狙ってナイフを投擲致します。
貴方様は万全な状態で、
その刃を御振るい下さい」
その淡雪の言葉に、僕は首を捻った。
「ああ、淡雪のナイフはいつも頼りにしている。
とはいえ、今回は罠があるからな。
あまり早く仕掛けてもらっても近づくことができない。
だからそうだな、とりあえず睡眠ガスの罠を過ぎてから
攻撃を仕掛けてくれるか」
僕の指示に淡雪はぎこちなく頷く。
「頼んだぞ。さあ、オークが来たみたいだ」
通路の奥に醜悪な豚の怪物が現れた。
しばらくはきょろきょろとしていたが、
僕たちの存在を認めると、
唸り声をあげてこちらへと駆け寄って来る。
鋭い牙や爪、手に持った鈍器に怖気が走るが、
その醜い姿にどこか現実に引き戻されると、
僕はモンスターの動向に細心の注意を払う。
そうして、近づいてくるまで
じりじろとした気持ちで待ち構えるが、
突然、そのオークの悲鳴が僕の耳朶を強く打った。
予想だにしないモンスターの奇行に驚いて
注意深く観察してみれば、
脇腹に何か刺さっているようである。
「まさか、仕掛け弓の罠にかかったのか」
戸惑う僕の視線の先で、
オークは忌忌しそうな表情で
その弓を脇腹から引き抜くと、
改めてこちらを睨みつけ、先ほどよりも、
より恨みのこもった表情で僕らへと迫って来る。
僕は改めて緊張感を体中にみなぎらせるが、
どうしても今起こった出来事に
注意を逸らされずにはいられなかった。
そんな動揺に僕が戸惑っているあいだにも、
オークはすごい勢いで近づいて来る。
淡雪が投げナイフを構えたのが分かった。
だが、僕は次に起こるかもしれない状況にこそ
強く興味を引かれていたのである。
そして、なかば確信していた通り
数秒後には視線の先でくぐもった叫び声を上げながら、
右へ左へと、狂ったような千鳥足にて
たたらを踏み始めるモンスターの姿があった。
「どうやら回転床に引っかかったようですね」
冷えた鉄の如き声音で解説する機械人形に、
僕は反射的に頷きながらも、
右往左往するオークの姿から目が離せない。
「淡雪、隙だらけの相手にすまいないが、
まだ攻撃はなしだ。いいな」
「踏まえております。
ご指示の通り、最後の罠を踏み越えるまでは
余程のことがない限り、攻撃は致しません」
そう言う淡雪は、何も映さぬ朱色の瞳を
モンスターに向けていた。
少しでも対象がおかしな行動をすれば、
その生死を分けるであろうナイフを投擲するつもりだ。
「本当によく出来た人形だな」
そんな会話を交わしている間にも、
オークは回転床による混乱を何とか脱し、
こちらへと改めて駆けだす。
僕は熱い吐息を漏らしながら、
モンスターを迎え撃つために小剣の柄を
ぐっと力を込めて構えた。
だが、やはりと言うべきか、
オークは僕たちの手前に設置された睡眠ガスの罠に引っかかると、
四方より噴き出す煙に巻かれ、
自らの命を奪わんとする者たちの前で
あろうことかぐっすりと居眠りを始めたのである。
「ダンジョンの罠は魔術のようなものと記載があったな。
何度、冒険者が引っかかろうとも、
しばらくすれば復活すると書かれていた。
だが、まさかモンスターにさえ効果があるとは」
呆気にとられる僕に対して、
淡雪は確認するように問い掛けた。
「貴方様、もう宜しいでしょうか。
今ならば確実に息の根を止めることができます」
彼女の持つナイフが、
今しもモンスターの命を摘み取ろうと振り上げられるが、
僕は少し考えてからそれを止めるよう告げる。
「いや、少し待ってくれ。今回はこれを使おう」
そう言って、僕が取り出したのは、
かつてミトの町で購入した火炎弾であった。
ゴブリン相手ならば一撃で葬ることのできる
凶悪な武器である。
だが、淡雪は首を傾げ、
何も映さぬ瞳を火炎弾を持つ僕の手元へと向けた。
「確かにその爆薬を使えば、
大きな打撃をオークに与えられるでしょう。
ですが、わざわざ道具に頼られなくとも
私のナイフで一撃でございますのに」
そんな風に呟く機械人形であったが、
僕は構うことなく、
手元の火炎弾をオークに対して投げつける。
5メートル程の距離を飛来し、
爆薬はちょうどモンスターの足元に着弾した。
僕たちの方はと言えば、
投擲した後、急いで横道へと逃げ込む。
そして次の瞬間、恐ろしい衝撃と火炎の嵐が
びりびりと洞窟を舐め回すのを背後に聞いたのであった。
その激震が収まるのを待ってから、
慎重に顔だけを突き出してオークのいた通路を覗き込む。
そこには焼けこげたモンスターが
ピクリとも動かずに
地面へと這いつくばっているのが見て取れた。
淡雪の方に顔を向ければ、ぎこちなく頷く。
どうやら完全に絶命しているらしい。
僕はこの結果を頭の片隅にしっかりと刻みつけてから、
倒れ伏したオークの近くに歩み寄った。
「レポートにあった体力は、確か。
いや、しかし防御力のこともある。
だから、ということは、つまり」
後ろから追随してくる機械人形には聞こえない程の
小さな声で独り言ちちながら、
オークの落とすドロップアイテムが現れるのを待つ。
しばらくしてモンスターの亡骸が霧の様の消失すると、
その後には銀色に光る石のようなものが落ちていた。
「魔鉱石ですね。ドロップアイテムとしては
割とポピュラーなものとのことです。
ただ、色々な用途に使用されることから
需要は高いとのこと」
石を拾うと淡雪が隣から解説をしてくれる。
確かレポートのどこかに書かれていたなと思い出す。
さすが機械人形はすべてのページを暗記しているようだ。
僕は彼女の類稀なる記憶力に感謝しつつも、
ドロップアイテムを背嚢へと放り込んだ。
そして、先ほどのオークの死に際のことを
もう一度思い返し長く深い思考の海へ没入するのであった。
「貴方様、どうなされたのですか」
心配して訪ねてくる淡雪に対して、
僕は頭を中を整理する様に尋ねる。
「確かオークの体力はゴブリンよりも少し上だったな。
火炎弾は強力な爆薬だが、
所詮、駆け出しの冒険者が持つ武器だ。
道具屋の店主だって言っていた通り、
うまく当てればゴブリンくらい一撃だが、
それはつまり、会心の投擲であろうと、
精々ゴブリン程度しか倒せないということだ。
だが今回、僕の投げたこいつは一発でオークを
倒してしまった。なぜだと思う」
彼女は考える様子もなく直ぐに返答した。
「罠のせいではないでしょうか。
もちろん、それ以前にダメージを受けていた
可能性もありますが、自然に考えれば、
この通路を直進する際にあった
仕掛け弓による脇腹へのダメージが
それなりにあったということでしょう。
そこへ貴方様の攻撃が加わり、
一撃で葬り去ることになった、ということかと」
そう答える淡雪に、僕は深く頷く。
「やはりそうだろうな。じゃあ確認だ。
ゴブリンとオークのステータス上の違いは
体力と力だったと思うが、それ以外の、
例えば防御力や素早さはどうだったろうか」
彼女はたちまち詳しい情報を暗唱して見せた。
「ゴブリンの体力は12。オークは17です。
防御力はそれぞれ10。素早さは8ですね。」
なるほど、とつぶやく。
そして、だとすれば、と頭の中で計算を始めた。
「例えばだが、火炎弾の威力を、
ゴブリンを一撃でちょうど倒せるという事実から
体力値の12、と仮定し、
この時、同じ防御力を持つオークに対しても
同様のダメージを与えるものと考えてみよう」
僕は講釈を垂れるように言葉を続ける。
「そして、オークはさっき見た通り、
仕掛け弓の後の火炎弾1発で死んだ。
すなわち、このことは弓のダメージが
5以上だった、ということを示しているんだ。
だから、多くても4回、仕掛け弓でオークを
攻撃すれば、奴を倒せるということだ」
そんな風に意気揚々と捲し立てる自分に対し、
淡雪は、はあ、と言って美しい髪を揺らした。
「わざわざそのようなことをなさらなくても、
私のナイフで十分にダメージを与えることが
できると思いますが」
ぽつりと言う彼女の意見に僕は我に返る。
そして、そりゃそうだ、とあっさりと認めた。
確かに彼女の言う通りだったからである。
「まあそれは、機会があれば試してみるとしようか」
そう言って、早々にこの話題を切り上げた。
常ならぬ長広舌に少し照れを覚えたということもある。
「それで、この階層にはまだ単独で行動する
モンスターはいるのか」
「はい、オーク以外でしたら、
単独行動をしているものがいるようです」
僕はその回答に肩をすくめる。
「そうか。じゃあ、後で向かうとしよう。
それから、教えてほしいんだが、
確かオークが出現するのは10階までだったかな」
「はい、その通りです。
それよりも下の階層ではオークは出現しません。
ただ、その代わりと言っては何ですが、
11階層以降はオークの上位種である
オークキングが出現します。
といっても、体力だけが倍になった程度で、
他のステータスはオークのままという、
さほど強くないモンスターとのことですが」
中途半端なことだな、と僕は苦笑する。
そして改めて、単独行動をしているモンスターの元へ
案内をするよう彼女に指示を出すのであった。
踵を返し歩き出始める淡雪を
僕は見失わないよう注意深く付いて行く。
火炎弾のごつごつとした筒の感触が
背嚢を背負う背中に当たる。
僕はなんとなくその残数が12個だったことを
思い出していた。