21.階層
しばらくの間、2日に1度、更新致します。
数日間、のんびりとしたペースでダンジョンへ潜る
用意を進めた。
洞窟に一度入ればなかなか戻ってくることは
難しいだろうから、入念な準備が必要だったのである。
もちろん、1階層でうろちょろとしているだけならば
すぐに入り口の「前室」へと戻って来ることができる。
だが、僕としては、今回の冒険で、できれば10階層の
スケルトンキングの「待機室」ぐらいまでは
辿り着きたいと考えていたのだ。
死霊の洞窟のダンジョンの広さは、
フロアごとにおよそ5キロメートル四方のようで、
すでにアークアさんから詳細なレポートを
複製した自分たちとしては、急ぎ足で進めば、
もしかすると1日で10階層くらいならば
到達できるかもしれなかった。
階段の位置は判明しているし、
淡雪の魔力音により敵の居場所も把握可能だからである。
うまくモンスターの目を掻い潜りながら、
今日中に待機室へと至るのはそれほど難しくないように思われた。
だが、そんな風に全身全霊をかけて踏破することに
一体何の意味があろう。
その忙しなさを考えるに、僕はげんなりとするのだ。
あくまで、ダンジョンの攻略とは、
僕にとっては見たこともない洞窟を探検するという、
旅以外の何物でもなかった。
それは時間に追われず、自分のペースで、
かつ人間関係に悩まされることもなく、
独りでのんびりと行なわれるべきものでなくてはならない。
気が向けば1階層に10日でも1年でも滞在するのが
本来の姿である。迷宮を踏破、なぞというのは
僕にとって一顧だにする価値が違いなかった。
そんなわけで、僕は洞窟内で長期の逗留が発生する
可能性も考慮しつつ、自堕落なペースにて何日にも渡り、
さしあたり2週間分の食料や寝具を買い込むと、
背嚢へと詰め込んだのである。
そうしてやっと、僕と淡雪は数日ぶりに
死霊の洞窟へとやって来たのであった。
・・・
・・
・
ダンジョンの前室は混み合っていた。
それはそうだろう。
なぜなら、今日はあのユエツキ姫様の調査隊が、
雇われた冒険者たちを引き連れて、
迷宮の攻略へと乗り出す日なのだから。
「ちょうど間に合ったようだな。
淡雪、ここにいる人たちが第3王女に雇われた
冒険者たちだと思う。魔力音を念のため覚えて
おいてくれ。ところで、肝心の王女様が
いらっしゃらないようだが、どこにいるかわかるか」
淡雪はいつもの通り、
人形の如き表情で淡々と答えた。
「ここにいる総勢47名の魔力音を記録いたしました。
またユエツキさんや騎士の皆様は、
すでに1階層に下りられているようですね。
先ほどから、彼女に近づくモンスターらしき魔力音が
消えて行っていますから、おそらく戦闘が始まって
いるのでしょう。参加する冒険者たちへの露払いの
つもりかもしれません」
報告内容を聞いているうちに、
地下1階層から若い騎士が階段を駆け登ってきて、
冒険者たちに告げた。
「よく来てくれた。すでにギルドを通じて依頼を
させてもらったとおり、皆にはそれぞれ役割を与えてある。
レクチャーもその際にさせてもらったと思うから、
改めてここで話すことも特段ないだろう。
皆には責務を全うするよう全力を尽くして欲しい。
それじゃあ早速、迷宮の探索を開始しようじゃないか。
すでに姫様は1階層に潜られており、
モンスターを5匹、打ち取られている。
前衛の役割を任せたものは遅れを取るな。
また、後衛のものは前衛を少しでも助けるよう、
全体を俯瞰しつつ、積極的に行動して欲しい。
以上だ。では行くぞ」
それだけを一息で言うと、
若い騎士はたちまち踵を返し、
もと来た階段を駆け下りていった。
あっさりとした式辞に、
冒険者たちは少しの間、呆気にとられるが、
彼らも根っからの風来坊たちである。
国に雇われたことで多少のお行儀の良さも必要と
覚悟していたのだろうが、
思ったよりも屈託のない騎士の様子にほっとしたのか、
それぞれ口元に獰猛な笑みを浮かべると、
次々に1階層へと続く階段を下りていった。
僕もその最後尾へ目立たぬようこっそりと付いて行く。
なぜならば、僕たちは別に
「ユエツキ姫から依頼を受けていない」からだ。
なので見つかれば騎士たちに
何を言われるか分かったものではない。
では、どうして今回、姫君の調査隊の出立の現場に
わざわざ居合わせるようにしたのかと問われれば、
これはもう、僕の病的とも言えるほどの用心深さ、
としか言い様がなかった。
さて、地下1階層に降りてみると、
三々五々に冒険者たちは分散しており、
粗野な表情を浮かべてある方向に視線を向けていた。
彼らの目線を辿ってゆけば、案の定、
ユエツキ姫が長剣を提げて佇んでいる。
青みがかった銀色の髪が、
ヒカリゴケの幽かな灯火に照らされている
そして、周囲を雪の如き冷気を感じさせる視線にて
睥睨していた。
刃には、まだ消失していない
モンスターの血糊が付着しており、
足元にはばらばらにされたゴブリンの四肢や
切断された頭部が転がっている。
これからダンジョンを踏破しようとする冒険者たちに
とっては頼もしく、また勇ましい光景に違いない。
だが、その一方で僕はなんとも言えない違和感に
首を傾げていた。
そんな風に、僕が呑気にも物思いに耽っていると、
ユエツキ姫を狙って一匹のモンスターが通路の角から現れる。
「あれはオークですね。
豚の怪物、といったところでしょうか」
淡雪が僕にだけ聞こえる声音で呟いた。
ここ数日眺めていたレポートにもあった敵である。
ゴブリンよりも体力が少しだけ多く、
しかし防御力や素早さは変わらないことから、
駆け出し冒険者御用達のモンスターとのことであった。
案の定、襲いかかってくるオークを
ユエツキ姫は冷えた眼差しで一瞥だけすると、
冷徹な表情のままに剣に手を掛け、
目にも留まらぬ早業でその剣戟を振るった。
何が起こったのか、
正直、僕には視認することすら叶わなかったが、
その刹那の後には、
やはり四肢を全て切り離された
哀れな豚の怪物が地べたに這いつくばっていた。
命まではまだ失われておらず、
恨み骨髄に徹すと言わんばかりの表情で、
姫の顔を睨みつけている。
だが、そんな不遜なモンスターの視線を
意に介す事も無く、ユエツキ姫は軽く微笑むと、
しなやかとしか言いようのない細い腕を振るい、
長刀にてオークの頭を一刀両断するのであった。
飛び散った血潮がダンジョンの壁をべったりと汚す。
その圧倒的な光景に、周りの冒険者たちから
喝采の声が轟いた。
「さすがは世界で一人と謳われる聖女様だぜ。
あの一瞬でモンスターをなます切りだ」
「Aクラスに相当する腕前という噂は眉唾もん
だと思ってたが、本当だったんだな。
それにあの剣が女神から授かったという
聖剣に違いねえ。恐ろしい程の切れ味だ」
なるほど士気は十分に盛り上がったようだ。
その気勢の高まりを感じたのか、
ユエツキ姫の側近らが出発の号令をかける。
騎士と冒険者、合わせて100名程度の混合軍による
最深部への行進が、こうして開始されたのである。
一方で、僕は彼らが歩き去った後に残された、
哀れなオークの亡骸を見つめていた。
無残にも四肢を引きちぎられ、
周囲は血糊と臓物が飛散し、
頭蓋の裂け目からは脳髄を覗かせるている。
僕はその光景にどうも引っかかるものを覚え、
それが何なのかを考えて
しばらく立ち尽くしていたのだった。
・・・
・・
・
「それじゃあ、僕らも出発するとしようか。
ユエツキ姫たちが今どのあたりにいるか分かるか」
その質問に淡雪は関節部をぎこちなく動かして頷く。
「既に1階層を突破したようです。
1階層は前室から階段までの距離が非常に近いため、
直行すればすぐに2階層へと辿り着けます。
貴方様もそうなされますか」
いや、と僕は頭を振った。
「そんなに慌てることはないさ。急ぐ旅じゃない。
ゆっくりとダンジョンという場所を二人で見て回ろう」
彼女は頷くと、朱い瞳を僕へと向けた。
その容色は人形ならではの整いすぎた造形であるがために、
表情から何を考えているのかを読み取るのは難しい。
「それに弱いモンスターであれば余裕を持って
戦うこともできるしな。ここら浅い階層で
色々な経験を積んでおくのは悪い事じゃない。
あと姫様らのグループとはできるだけ距離を
空けておきたいんだ。あんな風に社会的な立場があって、
世間のために一生懸命働いている立派な人たちと
お近づきになったら、それだけで疲弊してしまう。
さっき少し一緒にいただけで、今日一日の半分くらい、
気力を持って行かれてしまった気がするよ。
だから何度も言うが、ゆっくり進もうじゃないか」
実際、先程の人ごみに紛れ込んだために、
そのストレスで若干、眩暈を覚えてしまっているのだ。
淡雪はそんな僕の情けない台詞に
美しい黒髪を揺らして頷くと、
スカートを翻して周囲へと視線を向けた。
「わざわざ冒険者たちの魔力音を覚えさせたのは
そのためでしょうか。賜りました。
接触しない様、注意することといたします。
それから、今のところ近くにモンスターらしき
魔力音はありません。どうされますか。
この階層にはゴブリンの他に、バットやスライム、
オークなどが出没するようですが」
「そうだな。レポートにはモンスターの
推定体力値なんかも記載されていただろう。
それを参考に決めたいと思う。
まったく黒炎団さまさまだ」
僕はレポートにあった詳細な報告内容を思い出し、
改めて感心する。
もちろん、黒炎団だけで全てを調べたわけではないだろう。
きっと歴代の冒険者たちが蓄積してきた叡知の結晶なのだ。
「レポートには、1階層はどのモンスターも
似たり寄ったりのステータスと書かれていましたね。
体力はいずれも10から20の間でしょうか。
バットはその値が少し低いようですが、
一方で空を飛んでいるので攻撃が当たりにくく、
また集団襲ってきますので油断は禁物とのことです。
スライムは打撃が効きにくいということですので、
棍棒などでの攻撃は避けたほうが無難でしょう。
不定形な生き物で体の中央に急所があるようです。
それから、オークについてはゴブリンよりも少しだけ、
体力が高いので注意する必要があるとのことです」
諳んじてみせる人形の声に僕は頷きながら、
とりあえずの目標を提示する。
「まずはスライムと戦ってみよう。
いきなり強めのオークと戦うのは避けたいし、
バットは集団で行動するらしいから、
数の上でこちらが不利になる。
さっきユエツキ姫がオークと戦闘をされたろう。
だから淡雪の記録している魔力音は、
今のところゴブリンとオークのはずだ。
この階層で残っているモンスターは、
スライムとバットの2種類だけだと思うが、
1匹だけで行動しているスライムの場所まで
案内することはできるか」
そう問いかける僕に淡雪は、もちろんです、と答えた。
「この階層の魔力音からモンスターの配置図を作成し、
そこからゴブリンとオークを除外しますと、
その2種類に限定された配置図となります。
その配置図を時系列データで比較した場合、
バットは集団で、かつ素早く動きますし、
対照的にスライムの動きはゆっくりとしていますので、
魔力音の移動速度を比較すると特徴的な値をもって
現れてまいります。これによってモンスターの種類に
当たりを付けることができます」
その回答に満足すると、僕は淡雪に
スライムの元まで案内するよう指示を出す。
もちろん、近くに他のモンスターがいないことを
確認するよう言ってからだ。
彼女が先導する後ろを
僕は遅れないように付いて行く。
右に曲がり、左に曲がり、集団で移動するバットや
鼻息荒く練り歩くオークらをやり過ごしながら、
ヒカリゴケに照らされたダンジョンを進んで行った。
そうして、ある十字路まで来ると、
淡雪が立ち止まってこちらへと振り向いた。
「私のこの会話が終了してから、
17秒後に1匹のスライムが十字路へ差し掛かります。
右の通路から現れますので不意打ちが出来るはずです」
冷徹な声でそれだけ告げると、
淡雪はナイフを取り出してしかるべき時に備えた。
僕も静かに背嚢を下ろすと、
用意してきた小剣を鞘から抜き放ち、上段に構える。
そして、そのままの姿勢で息を整えた。
15、14、13。
頭の中で人形が示した数字をカウントダウンしながら、
刃を振り下ろすタイミングを図る。
僕は当然ながら剣技など身につけていないし、
モンスターと戦った経験も僅かだ。
だから決して「複雑な剣の振り方」を
してはいけないと思っていた。
刃物を振り回すのが駄目というのは、
日本人なら誰しもが、
子供の頃から口酸っぱく教育されることだ。
なぜなら単純に、刃物の扱いはとても難しく、
慣れない者が扱うと本当に危険だからである。
そう、それはいかにモンスターが跋扈し、
未知の領域へ挑む冒険者たちがいる世界に
飛ばされてきたとしても、不変の事実なのだ。
剣の稽古も、刃物の取扱いも習ったことがない者が
いきなり刃物を振り回しては絶対にいけなかった。
僕が軽率にも剣を無闇に振るえば、
隣にいる淡雪に怪我を負わせてしまうかもしれないし、
自分だって無事で済むか分からない。
小剣とはいえ、それなりに重量がある。
重さに負けて誤って、他人どころか自分の体を
切ってしまうことだって十分にありえた。
だから僕は出来るだけシンプルな行動をするよう心がける。
重力に逆らわずに上から下に全力で振り下ろす。
それだけである。そうすれば力のない僕でも、
ある程度の攻撃力になるだろうし、難しい技術も必要ない。
また、足は大の字に開いておかなければならない。
誤って足先に刃を振り下ろしてしまえば、
軽く指の1、2本は飛んでしまうのだから。
その様なわけで、僕はただ足を開き、
大上段に小剣を振り上げたまま時を待った。
これが今僕ができる精いっぱいの「剣技」なのである。
そうして、僅か数秒を何時間にも感じ始めた時、
ついに青いゼリーの塊がゆっくりとその姿を現した。