19.迷宮
しばらくの間、一日おきに投稿致します。
宿の2階の個室に戻った僕は、
今日の残りの課題である残金の確認を済ますと、
雑貨屋で購入したパズルに勤しんでいた。
ピースがなかなか合わないのに頭を悩ませながら、
夕食が運ばれて来るのを待つだけという贅沢なひとときである。
「それにしても、難しすぎるなこれ。全然合わないぞ。
淡雪、ちょっと力を貸してくれないか」
助け舟を求める僕に、
和服姿の人形は恬淡として答えた。
「一緒に考えるのは勿論宜しいのですが、
きっと、つまらなくなってしまうと思いますよ。
購入する際に一度完成形を見ておりますので
その時、ピースの並びを全て覚えてしまっています。
それでもよろしいですか」
機械ですので、と答える淡雪に僕が苦笑していると、
やけに下の階が騒がしいことに気がついた。
1階は酒場であるし、こんな木っ端な宿屋である。
ある程度、階下の喧騒が伝わって来るのは仕方なかった。
だが、人の気配や雰囲気に常に敏感とならざるを得なかった
僕という人間には、1階のざわめきが尋常なものでないと
哀れにも察知できたのである。
「何だろうか。酒場での馬鹿騒ぎとは
また少し違った感じがするんだが」
隣に座る人形はぎこちなく首をかしげつつ、
「そうですね。どうやら珍客があったようです。
もしも気になるようでございましたら、
確認をしに行って参りますが」
そう言ってくれる淡雪に対して僕は首を横に振ると、
渋々といった様子で自らの重い腰を上げた。
人と接するのは億劫であるし、
できれば長らく自室へと引きこもり、
世間と対峙したくないというのが紛うことなき本音である。
だが、身近で発生している異変について、
他人に任せられるほど肝っ玉が大きいわけもない。
僕は臆病風に負ける形で、実に憂鬱な気分を押し殺しつつ、
静かに自室の扉を開き廊下へと出ると、
階下へと続く階段口から、
1階のホールの様子をこっそりと覗き込んだのだった。
そこで僕の目に飛び込んで来たのは、
今日の探索を終えて戻ってきた冒険者たちが、
口々に騒ぎ立てながらも緊迫した様子で、
一人のボロボロになった戦士の如き壮年の男を
取り囲んでいる情景であった。
何事だろう、と僕が内心訝しんでいると、
その男は息も絶え絶えに語りだした。
「俺はあのA級パーティー、黒炎団の前衛を勤めていた
アークアだ。俺たちは帝国からの直々の依頼で、
2ヶ月ほど前から死霊の洞窟の調査に取り掛かっていた。
だが、その黒炎団はもう存在しねえ。
ああ、そうだ、俺を除いて全滅したんだよ。
俺だけが命からがら、なんとか逃げ帰って来れた」
そこまで言ってから、男は差し出された水をぐいぐいと飲み干す。
なるほど、と僕はその話に思い当たる節があって頷いた。
確かミトの町のお爺さんだったと思うが、
西の大洞穴に向かったA級パーティーが帰って来ない、
という様なことを言っていたはずだ。
あれはきっと、この黒炎団のことだったのだろう。
そんな呑気な懐古に耽っている間にも
男の話は続いて行く。
「それで、この洞窟で何をしていたのか、だったな。
帝国からの依頼は、この辺りのモンスターたちの活動が
やけに活発化しているからダンジョンの全階層を
調査するように、ってことだった。
知ってのとおりダンジョンが活性化すると、
周辺の地域のモンスターが凶暴化する傾向にあるからな。
そのための依頼、ってことだった。
まあ、この辺りで稼いでいるお前たちにとっちゃあ、
ダンジョンと周辺のモンスターの関連については、
耳にたこが出来るくらい聞いた話だとは思うが」
周りの冒険者たちは相槌を打ったり、
神妙に耳をそばだてたりしている。
「知ってのとおり、ここのダンジョンは20階層までで、
10階層にCクラスのスケルトンキング、
20階ではBクラスのレイスがボスとして出現する。
11階層からは死霊系のモンスターが現れ始め、
一気に難易度が上がる。
さすがに20階層のボスに勝つのは難しいから、
大体の冒険者たちは、前室にワープできる
10階層ボスの待機部屋に近い、11階層辺りで探索を行い、
死霊系モンスターが落とすドロップアイテムを回収して
生計を立てているはずだ」
そこまで言うと男は口を閉ざして、
何かを考えるような仕草をする。
丸でここからが話の本番であり、
きちんと頭の中を整理してから、
説明しようとするかのようであった。
「調査した結果だが、驚くべきことが分かった。
まずは、深層階のモンスターの強さが段違いに上がっている、
ということだ。そうだな、お前さんたちの中に14階層よりも
下にもぐったやつはいるか」
その質問に手を挙げる冒険者はいなかった。
だが代わりに、いかにも魔法使いといった出で立ちの
ローブ姿の女性が口を開く。
「ここにはいないと思うよ。
いや、15階層に行ったグループがゼロって訳じゃない。
私の知っている限り、10日ほど前に白牙団ってパーティーが、
ダンジョン踏破を目標に冒険に出ていたはずさ。
12階層で見たっていう話を、
たまたま戻ってきた別の冒険者から聞いちゃいるが、
それ以降は消息不明になってる」
すると、その言葉に呼応するように、
他の者たちからも別のパーティーが似たような状況で
消息を絶っている、という報告がいくつも寄せられた。
どうやら思った以上の人数が、
深層で行方不明になっているという事実が明らかになり、
その場にいた冒険者たちがざわつきだす。
そんな中、アークアが重々しく告げた。
「おそらく、そういうことだろう。
15階層にはこれまでは出現したことがない
強力なモンスターが闊歩していやがったんだ。
ゴーストだけでも目に見えないから厄介だってのに、
その上位種のゴーストナイトがいた。
戦ったことのないやつもいるだろうが、
Cクラスのモンスターだ。そんな奴らがうろうろしてる。
魔法を使うスケルトンメイジに、
素早く動くゾンビファイターにも出会った。
とはいえ、俺たちはAクラスのパーティーだ。
そう簡単にやられはしない。
なんとか20階層のボス手前、
つまり待機部屋までたどり着くことができたんだ。
だが、ここで俺たちは最大のミスを犯した」
男の語る驚くべき内容に冒険者たちは狼狽しつつも、
おとなしく話の続きに耳を傾ける。
「俺たちは待機部屋から前室に戻ることはせず、
ボスの撃破、つまりダンジョン制覇による
出口への強制転移を選んだ。
なぜなら、20階層のボスは生霊レイスだ。弱い訳じゃないが、
倒した経験もあるし、所詮はBクラスのモンスター。
Aクラスの俺たちの敵じゃない。
それに今回の探索は、1階層ずつ念入りな調査をしていて、
かなり金と時間がかかっている。
途中で投げ出すわけにはいかなかったのさ」
ああ、それに、と男は付け足すように言う。
「知っていると思うが、本ボスを打倒すればダンジョンの
活性化は弱まると言われている。だが、一回の打倒では
それほど効果はない。何度も繰り返しダンジョン制覇を
するうちに沈静化するんだ。
要するに、今回の俺たちの調査は、お前さんたちが
よりダンジョンを踏破しやすいよう、
詳細なレポートをまとめいたというわけさ。
まあともかく、つまりはレイスさえ倒せれば全階層制覇となり、
帝国からの調査依頼の達成にもつながるし、
なおかつ、この辺り一帯の治安も若干ながら回復すると
見込んだわけだ。だが、そんな目先の欲と思い込みが
俺たちの判断を狂わせちまったんだ。
まったく今から思えば度し難いミスだった」
男が沈痛な面持ちを浮かべる。
そこへ耳の長いエルフらしき若者が口を挟んだ。
「なるほど。最後まで言わなくてもわかります。
私だけじゃなく、すでに察している方たちもいるでしょう。
考えてもみれば、15階層以降のモンスターが上位種に
なっているのなら、どうしてボスがそのままの強さで
いる保証があるでしょうか。
黒炎団は20階層でより上位のボスモンスターと遭遇し、
貴方を残し全滅したというわけですね。
ボスが強力になっていると知っていれば、
待機部屋から帰還されていたでしょうに。
ボス部屋には一度入ったら戦いが終わるまでは
出ることができませんからね」
そう語るエルフに、
ああ、いや、とアークアは首を横に振った。
「ボスは確かにレイスだった。それは予想通りだったよ。
俺たちは一人も欠けないまま、そのモンスターを打倒した。
だが、違ったのはここからさ。俺たちがいくら待とうと、
ラスボスを倒した後に現れる、
出口へとつながる白い靄が現れなかった。
その代わり、いつの間にか赤色の靄が現れていたんだ。
そう丸で、中ボスを倒した時に、
次の階層につながるワープゲートのように」
なんだと、どういうことなんだ、
そう冒険者たちは次々に疑問を口にした。
「簡単なことだ。いや、俺たちも最初は何が起こったのか
分かっていなかった。だからこそ、俺だけが生き残るような
無様なはめになっちまったんだからな。
仲間の内でも誰も聞いたことすらなかった」
そこでアークアは一度、大きくため息を吐くと、
「まさかダンジョンの階層が深くなるような事があるとは」
そう悔しそうに口をゆがめて呟いた。
「俺たちは迂闊にも、本当に迂闊にも、
その靄をまったく警戒せずに通っちまった。
仕方ない面もある。何度も潜った迷宮なんだ。
どうしても20階層を制覇した時点で、
いつも通り、終わったものと考えてしまった。
この先には宝物庫でもあるんじゃないか、
それくらいの気持ちでいたよ。だが、待っていたのは
実に運の悪いことに強力なモンスターのお出迎えだった。
しかも最悪なことに、前衛であるはずの俺は、
すでに攻略は終了したものと考え、
パーティーの一番最後に転移しちまった。
だからワープ先で待ち構えていたスケルトンドラゴンが
その鋭く尖った鉤爪で、最初に移動した魔法使いを狙うのを
防ぐことができなかった」
周りの冒険者たちが固唾を飲んだのが分かった。
「あとは一瞬だった。盾役の俺が転移した頃には、
パーティーの一角は崩れ、ドラゴンの強力な魔法が
仲間たちをなぎ倒す所だった。どう見ても即死だった。
何せスケルトンドラゴンだ。Bクラスか、地方によっては
Aクラスと言われるモンスター。それが、一匹だけじゃない。
おまけとばかりに、数匹が遠くから迫ってきていた。
俺は恥も外聞もなく悲鳴を上げると、
もと来たワープゲートに全速力で駆け込んだ。
そして、待機部屋から前室に、
ほうほうの体で戻ってきたというわけさ」
話はこれで終わり、とばかりに、男はそれまでの
饒舌さが嘘だったかのように沈黙した。
冒険者たちも、驚くべき内容が多すぎて、
どう反応して良いのか分からず戸惑っているようだ。
僕の方も今の話に色々と思うところがあり、
まずは頭の整理をしようと深い思考の海に沈もうとしていた。
だが、そんな膠着した状況を一瞬にして霧散させるように
勢いよく宿屋の入口が開け放たれたのである。
それはアークアからの話の内容をなんとか咀嚼しようとする
冒険者たちの努力を一切無視するかの様な突然の出来事であった。
そして、いかにも騎士といった風体の男たちが
何人も雪崩込んでくる。
狼狽する冒険者たちだったが、そんな彼らをよそに、
その騎士たちを率いているリーダーらしき女性が
最後にゆっくりと入ってきた。
青みがかった銀色の髪に、
透き通るような肌に鎧を纏った、
いかにも高貴な少女である。
女性は周囲の唖然とした様子には一切頓着せずに、
アークアのすぐそばまでゆったりとした足取りで進み出た。
「お話は聞かせて頂きました。
我が帝国の依頼に基づく調査、ご苦労様です。
これよりその調査は、わたしエトラ帝国第3王女、
ユエツキの率いる調査団が引き継ぎましょう」
抑揚のない口調は、淡雪にも似た背筋を凍えさせるものであったが、
機械人形のとは違い、その声には人を従わせる何かがあるようだった。
淡雪が冷えた鉄の様であれば、
王女のそれは霊峰に広がる雪原のごときと言えようか。
「それから皆様にはお話があります。モンスターの強化に加え、
ダンジョンの深層化という今の報告から察するに、
我々の調査団だけでは人手が不足するように考えます。
そこで、いかがでしょうか。
帝国の永久の安寧のため
お力をお貸しください。前衛には我々も立ちますし、
戦力に不安のある方は荷物持ちでも結構です。
それだけでも大変な助けになります。
もちろん、十分な報酬はご用意するつもりです。
最低でも一日につき金貨2枚をお支払いしましょう。
正式な依頼としてギルドを通じて発表させて頂きますので
是非ご参加ください」
そこまで聞くと、僕は覗いていた顔を引っ込めて、
自分の部屋まで足早に戻って行った。
なるほど、そういえばギルドのお姉さんが、
西の大洞穴の調査計画を帝国が立てている、
と言っていたが、このことだったのか。
思い出している内に自室の前に到着する。
すると丁度、階下から冒険者たちの驚きや歓声の声が聞こえて来た。
恐らく突然の王女の登場や、大盤振る舞いな報酬の提示に、
冒険者たちの理解がやっと追いついたのだろう。
だが、僕の興味はすでに別のところに移っていたので、
気にもとめずに部屋へ入ると、きっちりと扉を閉めた。
「淡雪、今の話、聞いていたか」
ベッドへ姿勢よく腰掛ける人形に話しかける。
「はい、よく聞こえておりました。
随分と危険なダンジョンに変わってしまったようですが、
いかがいたしましょうか。ユエツキさんという方に協力し、
深層を目指されるのですか」
その質問に僕ははっきりと渋面を浮かべた。
「それはゴメンだな。今の歓声を聞いたろう。
きっと、このキャラバンにいる全ての冒険者が
報奨に釣られてお姫様についてゆくに違いない。
そんな人ごみの中に僕がいられるはずがないだろう」
僕が憮然とした表情で情けない事実を言い切ると、
淡雪は、それではどうされますか、と聞いてきた。
「今まで通りさ。無理のないペースでダンジョンの攻略を進める。
彼らは彼らで攻略を進めるだろうから別に問題はないはずだ。
それに、淡雪の話だと、この洞窟の最深部を経由しないと、
君の故郷にはたどり着けないんだろう」
そう言うと、淡雪は不器用に眉尻を下げて、
どこか困ったような表情を作った。
「はい。ただ、ここの施設がこのようにモンスターが
闊歩する有様になっているとは露知らず
申し上げた次第です。
貴方様に万が一があってはそれこそ取り返しがつきません。
私の故郷など、貴方様の安全と比べればどうでも良い事です。
淡雪は、貴方様と一緒なら、どこへ行っても幸せなのですから。
だから今回の旅は中断し、別の場所へ参りましょう」
強い口調で訴える機械人形の肩に手を置きながら、
僕は安心させるように言った。
「他に興味深い場所があればそこに行ってもいいが、
ひとまずはこのダンジョンを旅することとしよう。
なに、無理をするつもりはないんだ。
頑張るなんてのは、僕には無縁の観念だよ。
それにな、淡雪。今回はなかなかタイミングが
よかったかもしれないんだぞ」
はあ、と納得しきれない様子で首を捻る淡雪の肩を二度ほど叩いてから、
僕は途中だった貨幣の勘定を再開するのであった。