先輩と後輩
(『ハロー、ハロー。私の声、聞こえてますか?』と『私の『おとうと』はうさぎさん』より)
実力テストで赤点を取ってしまった幼馴染を待つために、ふと立ち寄った図書室。
悟狼は本を読むことが好きなので、利用率は結構高い。
通う学校はマンモス校だからか中学時とは比べ物にならないほどに広く、また内容も充実している。
入り口付近に張られた図書委員便りには、月別に図書委員がお勧めしている本が紹介されていて何気なく足を止めて目を通し、見知った名前にふむと顎に指をあてた。
『紹介者:今岡凪』
この高校でこの名前を知らない存在は、少ないのではないだろうか。
名前だけでは性別ははかり難いが、今年の入学式で総代を務めたこの子は一目見れば大抵の人の脳裏に姿が焼き付くと思う。
それくらい印象的な見目と雰囲気をした、生きて確かに存在してるはずなのに、纏う空気が違う不思議な少女。
一部では妖精のようだと評価を受けているそうだが、悟狼の中ではなんとなく、本当になんとなくの感覚なのだが『ケサランパサラン』を髣髴とさせる。
ベリーショートのふわふわの髪がそう印象付けるのか、地に足がついてないような摩訶不思議な存在感が思わせるのか、小さいくせになんとなく興味を引くところが似ていると感じるのか、理由はよくわからない。
わからないけど『ケサランパサラン』ぽい後輩。
それが悟狼にとっての『今岡凪』の印象である。
「───あ、如月先輩。こんにちは、今日はお一人ですか?」
「ああ、こんにちは、今岡さん。ふふ、君に一人かと聞かれるのは何やら不思議な気分だね」
不意に背後から鈴を転がしたような澄んだ声がして、反射的にこわばりそうな表情筋を無理やりにやわらげて振り返れば、華奢な両腕に返却物であろう本を数冊抱えた件の少女が背筋を伸ばして立っていた。
日本人ではちょっと見ない空の色より海の色に近い蒼の瞳。日に透かすと金色に限りなく近づく柔らかそうな髪に、陶器みたいに滑らかな白い肌。
丹精込めたビスクドールのように整った顔立ちの少女は、相変わらずほやんとした、無表情ではないが、どこか感情が読みづらい表情でこちらをじっと見つめる。
(・・・・・・やっぱり、ケサランパサランにしか見えない)
外見は確かに一度見たら忘れないほどに印象深いほど麗しい。
長いまつげに縁どられた瞳に射抜かれたら悟狼ですら見惚れてしまいそうになるし、一つの芸術品のようだ。
しかし『人間』として生きている感覚が薄いのだ、きっと。
だから悟狼には少女が『ケサランパサラン』に見える。学年一、どころか学校でも一・二を争う美少女であるというのに。
中学の頃から彼女は何も変わらない。
ほんのわずかに身長は伸びたが、独特の空気も、薄い表情も、その場に存在してると確信し辛い不思議な存在感も。
───そして、確かに生きている人間だと感じさせる、その瞬間ですら。
実のところ中学の頃も図書委員をしていた彼女と、本が好きで図書館通いをしていた自分は顔見知りで、会えば話をする程度に親しかったのだが、本当に変わらな過ぎて笑いがこみあげる。
中学時代から勝手に親近感を抱いていたのだが、高校に入ってから一方的な思い入れが深まった。
もっとも、どれほど彼女が麗しくとも、自分の中で『今岡凪』は恋愛感情など抱きようがない相手だけれども。
「君こそ高屋敷さんと荒城君は今日は一緒じゃないの?」
「中学の頃と同じですよ。秀介は部活で、桜子は秀介の相手です」
「相変わらずだねぇ、高屋敷さんも。荒城君は全国レベルなのに、男子相手に張り合っちゃうんだもんね」
「桜子は強いですから」
くすり、と無表情に近かった少女の面に、ささやかながらも笑顔の花が咲く。
それだけで無機物から一気に生きている人間の表情になって、悟狼も笑みを益々深めた。
「委員会が終わるころには部活も終わるので、今日は三人で家に帰ります」
「そう、それはよかったね」
「はい」
いっそ無邪気で幼げな雰囲気に瞳を和ませ、悪戯っぽく瞳をきらめかせた相手に小首を傾げる。
「先輩も、早く大野さんが来てくれるといいですね。弟君は結構強力な相手みたいですから」
「ッ」
いきなりの変化球に喉が不自然に鳴る。
まさか気づかれていると思ってなかった。
彼女は取り立てて人付き合いが悪いわけでもなければ、声をかけにくいわけでもないが、一切他人に興味がないものと思い込んでいたので余計に。
完全な不意打ちに瞳を瞬かせて返事をできないでいると、わずかに笑みを深めた少女はそれ以上詮索せずに本を抱え直した。
「今月の図書委員便りは私のお勧めも載っているんです。色々な空を描いた画集なんですけどそれぞれの絵が個性豊かで綺麗ですし、きっと気に入ると思いますよ」
『誰が』とは言わずに綺麗に一礼をした少女は、そのまま踵返して本を抱えたまま棚ではなく棚の傍にある返却用のカートに向かう。
ふわふわした見かけによらずテキパキと仕事をする彼女は、周囲からの視線を一切気にせずに働いていた。
だからこそ、鈍いと思い込んでいたのだが───先入観とはつくづく怖い。
今は同級生となった元後輩の奇襲に微苦笑を浮かべ、折角だからとお勧めの本を探すことにした。
ちなみに少女が勧めた画集は一月先まで貸し出しの予約が埋まっていたのは、蛇足である。