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「こうして私の願いは見事叶った・・・。ご覧の通りですわ。」
瑩清は自嘲しながら呟いた。
そんな彼女を泉明は後ろからそっと抱きしめる。
壊れないように、存在を確かめるように。
そうしないと瑩清が消えていなくなってしまいそうだった。
「罰が当たったのです、あのようなことを願ったから。」
「もういいよ、瑩清殿。よくわかった。」
ゆっくりと瞼を下した瑩清に泉明はそっと頬に口づけを落とした。
拒絶されない様子を見ると何度も優しくそれを繰り返す。
瑩清の胸にじんわりと温かいものが溢れだした。
「泉明様はやはり叔父様に似ているわ。」
「ここでそれを言うのかい?貴女はひどい人だ。」
泉明は大袈裟に溜息を吐いてみせると、それを耳元で感じた瑩清がくすくすと笑う。
「叔父様もこうやって抱きしめて下さるの。私が人恋しいとわかってね。きっとなんとなくわかっていらっしゃたのよ・・・だから引き取って下さったのだわ。」
「なんだか妬けてしまうね。」
「ふふふ。そうね、叔父様は本当に素敵な方。」
「駄目ですよ、瑩清殿には私がいるではありませんか。」
その言葉に瑩清は泉明の腕を放させると、彼の方に身体を向ける。
そこには先程までの穏やかな雰囲気はなかった。
泉明の眉も自然と顰められる。
「泉明様。このような私にそう言って頂けてとてもありがたいことだと思っております。こんなに甘えおきながら申し訳ないのですが、私にはそれにこた―――」
それ以上は言わせないとばかりに泉明は瑩清の口に人差し指を添える。
そこから伝わる瑩清の唇の熱と柔らかさに不謹慎ながら泉明の体は熱くなったが、すぐに切り替える。
「どうか、今一度ゆっくり考えなおしてはくれませんか。」
「しかし・・・。」
「私はいつまでも待ちます。6年も貴女に焦がれ続けていたのですから今更です。」
「・・・。」
「応麟のことを忘れろとは言いません。少しずつでいいのです、少しずつ私のことも考えてくれたら・・・。」
「泉明様・・・ありがとうございます。」
「ああ、泣かないで。私の愛おしい人。」
瑩清の目からぽろぽろと零れ落ちる涙を泉明は唇で受け止めていく。
宥めるように背をなでてくれる大きな手により涙は止まらない。
瑩清はたまらなかった。
こんなにも優しく慈しんでくれる人を結局突き放すことができなかった。
その上待っていてくれると、応麟の事を含めて自分を受け入れると言ってくれる泉明。
瑩清はどこかで泉明は離れていかないとわかっていた自分になんて卑しい人間だろうと思う。
そんな自分は泉明に相応しくないとわかっていても、この場所はとても温かで心地よい。
ずるい女だ。今なお応麟を想い続けているのに。
瑩清と泉明の距離が少しずつ近づいていく一方で、応麟との距離はまだ変化がなかった。
どちらかというと応麟の方が瑩清を避けているようで、まだ2人だけで会う事は実現できていない。
ある日、瑩清が侍女も付けずに1人でゆっくり廊下を歩いていると中庭から麗華の声がした。
侍女たちと花を観賞しているのかとても楽しそうな声があたりに響くのを聞いて、ふっと笑みが浮かぶ。
昔から病がちだった麗華はすっかり丈夫になり、体は若干小柄だが他はまわりと変わらないまでに成長した。
そのことに姉として、母の代りとして単純に嬉しく思う。
瑩清にまっすぐと慕ってくれる麗華は可愛い妹には違いない。
瑩清はもういいのではないかと思い始めている。
どこの知らぬ娘より妹である麗華が応麟の妻となるならその方がいい。
お互い幼い頃から知っているし、応麟は麗華を大変可愛がっている。
その逆もしかりで麗華も応麟を頼りにして慕っているだろう。
なにより周囲は2人の婚姻に反対する者はいないという。
これで皆幸せになれるのだと思いつつ悲しみを覚えそっと目を閉じた。
その時庭の方からぱきっと小さな音が聞こえ、瑩清ははっと目を開くと音が鳴った方に集中した。
これはもう条件反射だ。
目が見えない瑩清は音にとても敏感だった。
「忌々しい・・・。応麟様にお前は相応しくない。」
不穏な言葉を聞き瑩清は耳を疑った。
思わずその場にしゃがみこみ、欄干に自分の身を隠す。
ドキドキと鼓動が鳴っているのを押さえ、声の持ち主の動向を耳で探る。
「・・・本当に邪魔な女・・・。」
ぞっとする声に震え上がっていると、背後から慌ただしい足音が聞こえてくる。
瑩清の名を呼んでいることから、どうやら瑩清を探しているようだ。
すると庭の方で再び小さく音が聞こえ、その後は静かになってしまった。
人が近づいて来てこの場を去ったようだとわかると、瑩清は安心して座り込んでしまう。
「―――瑩清様っ!?」
「ああ、大丈夫よ。ちょっと眩暈がしただけだから。」
折よく侍女が瑩清を見つけ、走り寄ってくるのがわかった。
慌てて瑩清を支え立たせると、部屋に戻るよう促される。
「ねぇ、私の他に誰か人を見かけなかったかしら?」
「誰か、でございますか?」
「そう。誰かいたように思うのだけれど・・・。」
「さぁ・・・瑩清様しかいらっしゃいませんでしたが。」
「・・・。」
部屋に戻り、瑩清は声の主のことを考えていた。
まだ若い声だったことから対象を絞り込めるだろうと、考え付く限り思い出していく。
そもそも楊家に奉公する人間は身元のしっかりした者ではないと雇わないと聞いているからおかしなことはしないとは思うが、あの声を聞いてしまっては完全に否定できない。
応麟に想いを寄せていて、麗華を疎ましく思う人間。
まさに自分のことのようだと思い笑ってしまうが、それどころではない。
麗華本人に告げるより、誰か周りにいる信頼できる者にそれとなく注意させるように仕向けた方がいいだろうと、長年麗華に連れ添っている孟珪を思い浮かべる。
それに応麟にも告げておくべきだと、瑩清は侍女を呼び急ぎ文を用意させた。




