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後半部分に人によっては不快な表現があるかと思います。
申し訳ありませんが、ご了承下さい。
男は後ろから瑩清の体をそっと包み込む。
「本当に大丈夫なのか?」
「・・・もう、心配性なんですから。」
瑩清はくすりと笑い、ゆっくりと背後にいる男に身を委ねた。
しばらくこのぬくもりともお別れだ。
いつまでもこの人に甘えてはいられまいと、今回の都行きを決めたのだ。
嫌な事を先延ばしにしていてもどうしようもない。
もう十分時間は過ぎた。
そう十分に―――
「今度はいつ聴けるかわからないからな。お前の歌を聴かせてはくれまいか?」
そう言うと、美しい装飾の入った横笛を取り出してみせる。
それを見て瑩清は頷く。
「勿論です。でもまたすぐに聴けますよ。」
「どうかな?」
「・・・私が帰ってこない方がいいのですか?」
「そんなことは言ってないよ。お前がそばにいてくれるだけで私は嬉しい。」
男は瑩清の頬を両手で包むと引き寄せ、互いの額をこつんと合わせる。
二人とも目を閉じていて表情はとても穏やかだ。
どちらかともなく目を開けると笑いあった。
「さぁ、私の可愛い迦陵頻伽。今宵も美しく歌ってくれ。」
その日は朝から楊邸中が大忙しだ。
7年ぶりに大姫である瑩清が都に戻ってくるためである。
ある者は初めて会う姫に期待を抱き、ある者は久しぶりに会える姫に興奮するが、大半は哀れみの感情を向ける。
彼女がこの邸を出て以降入ってきた者はそれに首を傾げるばかりだ。
「瑩清様がお着きになったぞ!!」
大きな声で告げられた声に反応し、周りがわっとわく。
瑩清は侍女に手を引かれゆっくりと駕籠から出てくる。
その美しさに空気が揺れた。
ぬばたまの髪に滑らかな白い肌、そして赤く色付いた唇。
目は伏せられているが、長い睫が頬に影を落としている。
「お姉様っ!!」
麗華が上げた声に反応し、瑩清が伏せていた目を声が聞こえた方角へ向ける。
「麗華?」
瑩清がすっと手を伸ばすと、麗華が駆け寄ってくる。
伸ばされた手をぎゅっと握りしめ、今度はきつく体に抱き着いた。
「会いたかった・・・お姉様・・・」
「・・・私もよ。」
瑩清は驚いた顔を見せたが、ふっと力を抜くと麗華の好きにさせていた。
自身もゆっくり両手を麗華の体に回し抱きしめる。
そして覚束ないながらも麗華の顔にそっと手をやる。
頬、目、鼻、口―――確かめるようになぞっていく。
「大きくなったのね、背丈もそんなに変わらないようだし。きっと綺麗になっているのでしょうね。」
「あら、もう7年も経っているのよ?もう立派な大人の女性なんだから!」
茶目っ気たっぷりに言うと、麗華のすぐ後ろからぷっと笑いがもれる。
「お前が大人の女性とはなぁ。本気で言っているのか、麗華?」
「お父様、それってどういう意味です?」
「その態度だよ。」
麗華がむっと頬をふくらませると、積薪は苦笑し瑩清の肩にそっと手を置く。
「よく帰ってきてくれた。」
「お父様・・・。大変ご無沙汰しておりました。」
「疲れただろう。さ、中に入ろう。」
「ええ。」
「私が案内するわ。お姉様、足元気を付けてね。」
瑩清は麗華に手を取られ、楽しそうに会話をしながら邸の中へと入っていく。
積薪もそんな2人を見て嬉しそうに後に続く。
「・・・もしかして瑩清様はお目が・・・?」
様子を見ていて違和感を感じた家人の1人がぼそりと言う。
すると昔から楊家で働いている女が言った。
「そうさ。お可哀想な方だよ。」
「先天的なのですか?」
「いいや、ある日突然さ。」
「なにかのご病気で?」
「さてね。はっきりとした原因はさっぱりらしい。旦那様は都中のお医者様を掻き集めていたが結果は得られなかった。」
当時を思い出したのか大きくため息を吐いた。
皆一様に悲愴な面持ちである。
「でも瑩清様のお姿を見てほっとしたよ。実際はどうかわからないが落ち着いていらっしゃる。」
「全くだ。あの頃は見ていられなかったからなぁ・・・。」
「本当に。しかし、いや美しくなられたものだ。」
その言葉を皮切りに皆、瑩清の美しさを褒め称えた。
「もしかしてこちらにお戻りになったのは、嫁ぎ先を決めるためじゃないのか?」
「なるほど。目が見えないという不利な条件はつくが、あれだけ綺麗なお方だ。引く手数多だろう。」
「楊家の大姫だしな。」
「何にせよあのお方には幸せになって頂きたいものだ。」
皆の輪から外れて話を聞いていた女が1人いた。
なかなか整った顔立ちをしているが、顔を顰めているせいで台無しになっている。
「ふん、なにが美しいよ。楊家の大姫よ。盲でただの行き遅れじゃないの。」
女は呂芙祥といって麗華付の侍女だ。
あまり身分は高くない家の出だが、一応貴族である。
呂家は数年前から貧窮に陥っているため、こうして出稼ぎにきている。
本当は後宮で働きたかったのだが、女官審査に落ちてしまい叶わなかった。
ある伝手で楊家を紹介されて今に至るわけだが、芙祥は現状に嫌気がさしていた。
楊家は当主である積薪の人柄の所為か、下働きを含めた皆が基本的に勤勉で穏やかだ。
邸はいつもゆったりとした空気が流れている。
それが芙祥には気に食わない。
一番気に食わないのは仕えている麗華だ。
いつも朗らかに接してくるのを見て内心いらいらしている。
なにも苦労を知らないのうのうと優雅に暮らすお嬢様が!!
自分の置かれている立場とどうしても比べてしまい苛立ちが収まらないのだ。
だからこうして時折麗華の側を離れ、心を鎮めようとする。
本来あってはならないことだが、芙祥は少し体が弱いということになっており大目に見てもらっている。
麗華直々にお許しが出たのだ。
それさえも芙祥には気に食わない。
さらにこのところ、2人の美丈夫が麗華によく会いに来ることがさらにそれを助長させていた。