誓約書に刻まれた運命
「お父様!」
桜子さんが鋭い声を上げる。
しかし五道哲真は、静かだが絶対に逆らえない声音で告げた。
「桜子は黙っていなさい。……分かっているとは思うけれど、これは“ただの脅し”ではないよ」
その威圧感に、俺は一度だけ目を閉じ、深く息を吸い込んで──覚悟を決めた。
「……分かりました。婚約、受けさせていただきます」
静かに頭を下げる。
空也たちと暮らして、まだ長くはない。
けれど──あの場所が、彼らにとって “どれほど大切な家なのか” 俺は分かっていた。
その瞬間、桜子さんが血の気の引いた顔で叫ぶ。
「青夜さん! お父様……こんな婚約、私は嫌です!」
だが哲真は眉ひとつ動かさず言葉を返す。
「桜子。きっかけがどうであれ、結婚してしまえば愛情は育まれる。心配はいらないよ」
そう言って、机の上に一枚の紙を置いた。
──婚約誓約書。
「……分かりました。ただし、俺からも条件があります」
俺は迷わず言った。
「あの場所を、空也たちから絶対に奪わないでください」
真っ直ぐ見据えた俺に、哲真は小さく頷く。
「約束しよう。……では、こちらに署名を」
上質な万年筆が添えられ、俺は誓約書へ名前を書き込む。
哲真が内容を確認し、胸ポケットへとしまった──その瞬間。
ドンッ!
鈍い衝撃音が響き、続けて廊下が騒がしくなった。
「囚われの姫、救出……と言ったところかな」
哲真が静かに呟くと同時に、襖が“スパンッ”と開く。
「青夜!!」
荒い息を吐きながら、空也が飛び込んできた。
「く……空也?」
驚く俺の前で、空也は哲真へ殴りかかりそうな勢いで突っ込んでいく──
だが。
あと一歩、触れられるという距離で、
ガクンッ
空也の身体が地面に叩きつけられた。
見えない重力に押し潰されたように、身動きが取れない。
「まったく……無鉄砲にも程がある」
哲真がため息まじりに言い放つ。
「今のきみでは、私に近付くことさえ叶わないよ」
ゆっくり立ち上がると、畳に押し付けられた空也を見下ろし、
「空也。お前はまだその程度なのか?
お前くらいの年齢の雪夜はおろか、私の足元にも及ばん」
冷たく言い捨て、今度は俺へ視線を向けた。
「青夜君。近々、この婚約は親族一同に正式に発表する。……私は、きみが義理の息子になってくれると信じているよ」
そう言って静かに部屋を出ていった。
背を向けているのに、圧倒的な威圧感が消えない。
「クソッ……!」
哲真が去ったあと、空也が悔しさを噛み締めるように畳を拳で叩く。
その音で、俺はハッと現実に引き戻された。




