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追放令嬢は、化学調味料で異世界の食文化を革命する!~100%人工のうま味で背徳の日本食を広めます!~  作者: 速水静香
王都での出会い

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第十八話:神への反逆

 床に広がった偶然の産物。茶色く焦げ付いた液体は、香ばしくも背徳的な香りを放っていた。その虜となった天才錬金術師を正気に戻すのは、なかなかの骨折りだった。

 最終的にマリアがどこからか汲んできた井戸水を頭から浴びせかけ、ようやくエレノアの瞳から狂気の熱が少しだけ引いた。もっとも、その瞳の奥底では、まだあの未知なる味への渇望が青白い炎のように燻っていたけれど。


「……はっ! わ、私は、一体何を……!」


 びしょ濡れになった銀髪を震わせながら、エレノアは我に返ったように呟いた。その顔は真っ赤に染まっている。怒りからではなく、純粋な羞恥心からだろう。プライドの高い彼女にとって、床に這いつくばって得体の知れない液体を犬のように舐め回していた記憶は、未来永劫消し去ることのできない黒歴史として刻まれたに違いない。


「お目覚めになられましたか、エレノア様。よろしければ、こちらのタオルを」


 マリアが、どこまでも冷静に、そしてどこまでも事務的に乾いた布を差し出す。そのあまりの平常運転ぶりに、エレノアは何か言い返そうとしたが、言葉が見つからずに口をぱくぱくさせていた。


「ふふふ。ようやく、ご理解いただけたようですね、エレノア」


 私は腕を組みながら、してやったりと不敵な笑みを浮かべた。


「私たちが目指しているものが、あなたのちっぽけな常識やプライドなど、いともたやすく吹き飛ばしてしまうほど、とてつもなく偉大で、そして罪深いものであるということを」


「う……ぐ……」


 エレノアは何も言い返せないといった様子で、ただ悔しそうに唇を噛みしめている。

 しかし、その瞳にはもはや私への敵意はない。

 あるのは、あの味への強烈な好奇心と、それを生み出した私の理論への、恐れと敬意が合わさった感情だけだった。


「……分かった」


 やがて、彼女は絞り出すような声で言った。


「協力しよう。貴様のその『かがく』とやらに。だが勘違いするな! 私は貴様に屈したわけではない! あくまで、あの冒涜的な味の正体をこの私自身の手で突き止めるためだ! 真理の探求者として、未知の現象を見過ごせない、ただそれだけのことだ!」


「ええ、ええ。分かっておりますとも。その純粋な探求心、私、大好きです」


 こうして、私たちの風変わりな共同研究は、ようやく本格的に始動したのだった。

 一度『協力』という名の契約が結ばれてしまえば、話は驚くほど早かった。

 何せ、ここにいるのは三人とも、一度目標を定めれば脇目もふらずに突き進む、厄介な性質の持ち主なのだから。


「いいですか、エレノア! 先ほどの偶然の産物、あの香ばしい風味は『メイラード反応』と呼ばれる化学反応によるものです! アミノ酸と糖を加熱することで、数百種類もの香り成分が生まれるのですよ!」


「アミノ酸と、糖……! なるほど! 私の『賢者の血液』に含まれていた生命のエーテルと、貴様のこぼしたあの薬品の甘露成分が、熱によって新たな結合を果たしたというわけか……!」


「エーテルとか甘露とか、いちいち表現が感覚的なのは諦めますが、概ねその理解で結構です! つまり、私たちの最終目標は、三種のうま味成分を純粋な形で抽出し、それらをこのメイラード反応をもコントロールした上で、完璧な比率で結晶化させることなのです!」


「……なんと壮大な! だが、面白い! やってやろうではないか!」


 先ほどまでのいがみ合いが嘘のように、私とエレノアの間に研究者としての連帯感が生まれ始めていた。

 もちろん、アプローチの違いによる小競り合いは相変わらずだったが。


「だから! このグルタミン酸の抽出には、減圧蒸留法が最も効率的です!フラスコ内の気圧を下げることで、低い温度で水分だけを飛ばせるのですよ!」


「何を言うか! それでは素材への敬意が足りん! ここは古来より伝わる『月の満ち欠けに合わせた段階的加熱法』を用いるべきだ! 月の引力が、物質の持つポテンシャルを最大限に引き出すのだ!」


「月の引力ですって!? 確かに潮の満ち引きには影響しますが、フラスコの中の分子一つ一つに与える影響など、無視できるほど微々たるものです! お願いだから、科学とオカルトを一緒くたにしないでちょうだい!」


「オカルトだと!? これこそが、大いなる自然の摂理に則った、最も理にかなった方法なのだ!」


 ぎゃあぎゃあと騒ぎ立てる私たち。

 そんな私たちの論争を、マリアが静かに、しかし有無を言わさぬ一言で断ち切る。


「お二人とも。そろそろお食事の時間でございます。本日は、先日商人の方々を熱狂させた『うま味爆弾』をさらに改良した『うま味爆弾・改・試作三号』をご用意いたしました。今回は砕いた木の実を多めに配合し、食感にアクセントを加えてみましたが、いかがでしょうか」


「「食べるわ!!」」


 私とエレノアの声が、見事にそろった。

 こうして私たちの研究は、喧嘩、実験、時々うま味爆弾、という循環で、着実に、しかし確実に前進していったのだった。



 それからの日々は、まさしく嵐のようだった。

 工房には、朝から晩まで何かしらのフラスコがぐつぐつと煮える音が響き、色とりどりの煙がもくもくと立ち上っては、マリアが改良してくれた換気装置に吸い込まれていく。

 壁に貼られた羊皮紙は、エレノアの錬金術の記号と私の化学式が並び、複雑な知識の集合体へと姿を変えていった。


「エレノア! ここの温度管理、あとコンマ二度だけ上げてちょうだい! 結晶化の核が形成され始める、臨界点よ!」


「分かっている! だが、私の感覚が告げている! ここであえて一度、炉の火を弱め、物質に『安らぎ』を与えるべきだと!」


「安らぎですって!? 今、温度を下げたら全てが水溶液に戻ってしまうわ!」


「黙れ! 私の錬金術師としての勘を信じろ!」


 エレノアが、独断で炉の火力を操作する。

 私は、ああ、もう全てが終わりだ、と頭を抱えた。


 しかし、フラスコの中では信じられないことが起きた。

 一度温度が下がったことで溶液内に対流が生まれ、それがきっかけとなり溶液の各所で一斉に、美しい針状の結晶が生まれ始めたのだ。


「……な……!」


「ふふん! どうだ! これが、物質と心を通わせる力だ!」


 得意げに胸を張るエレノア。

 私はその結果を前に、何も言い返すことができなかった。

 彼女の言う『勘』や『対話』は非科学的ではある。しかし、その長年の経験によって培われたであろう、言葉にできない経験の積み重ねが、時として私の理論だけでは到達しえない、驚くべき結果を生み出すことがあったのだ。


 もちろん、失敗も数えきれないほどあった。


 ある時は、混合比率を間違えたせいで、フラスコの中身が緑色のねばねばしたスライム状の物質に変化してしまった。

 それは、まるで生きているかのように実験台の上をゆっくりと這い回り始めたため、最終的にマリアが塩をかけて退治した。


 またある時は、加熱しすぎたせいで小規模な爆発が起きた。

 ドカン! という音と共に、工房中に真っ黒な煤が舞い散る。


 私とエレノアは、互いに顔を見合わせた。


 二人とも、アフロヘアーのように髪が逆立ち、顔は真っ黒。まるで、どこかの喜劇役者のようだった。


 私たちは、そのあまりにも滑稽な互いの姿に、ぷっと吹き出してしまった。

 そして次の瞬間には、腹を抱えて大笑いしていた。


「あはははは! な、何よその顔! ひどい有様だわ、エレノア!」


「貴様こそ! その髪型、王都の最新の流行か何かか!? 似合っているぞ!」

 ひとしきり笑い転げた後、私たちは煤だらけの顔のまま、再び実験へと戻るのだ。

 マリアが、黙々と私たちの顔を布で拭きながら、ぽつりと呟く。


「お二人とも。そろそろ、替えの白衣の在庫が尽きそうでございます」


 そんな、騒がしくも充実した日々。


 そして。

 数多の試行錯誤と、いくつかの小規模な爆発と、マリアの尽きることのない忍耐の末。


 ついに、その瞬間は訪れたのだ。



 その日、工房の中はいつになく静かだった。


 私とエレノアは、息を詰めて実験台の中央に置かれた一つのガラス容器を、一心に見つめていた。

 マリアも、いつもの木の実剥きの手を止め、私たちの後ろで静かにその様子を見守っている。

 ガラス容器の中には、私たちの数週間にわたる研究の全てが注ぎ込まれた、透明な液体がなみなみと満たされていた。

 三種のうま味成分を、理想的な比率で配合し、不純物を極限まで取り除いた飽和水溶液。

 あとは、これをゆっくりと冷却し、目的の物質を結晶として析出させるだけ。


 最後の、そして最も重要な工程だ。


「……始めるわよ」


 私の声は、緊張でわずかにかすれていた。

 エレノアが、こくりと無言で頷く。

 私はガラス容器を慎重に持ち上げると、マリアが用意してくれた氷水を入れた大きな桶の中へと、そっと浸した。

 じわじわと、容器の中の液体の温度が下がっていく。

 変化はすぐには起きなかった。

 透明な液体は、ただ静かに揺れているだけ。


 一分、二分……。


 私たちの焦りをあざ笑うかのように、時間はただ過ぎていく。


「……だ、駄目、なのか……?」


 エレノアの口から、不安そうな声が漏れた。

 私の額にも、じっとりと冷たい汗がにじむ。

 まさか、最後の最後で何かの計算を間違えたというの?


 私が、諦めかけた、その時だった。


 きらん、と。


 容器の中の液体、その中央に、ほんの小さな光の点が生まれた。

 それは、まるで暗闇に灯った最初の星のように、か弱くも、はっきりとした輝きを放っている。


「……! 来た……!」


 私の声に、エレノアも興味深そうに体を向けた。

 その最初の光の点を『核』として、変化は始まった。

 核から、すうっと細く美しい針のような結晶が四方八方へと伸びていく。

 その結晶から、さらに枝分かれするように新たな結晶が生まれる。

 それは、まるで冬の窓ガラスにできる霜の花のようだった。

 あるいは、まるで生命が生まれる瞬間を見ているようだった。


 きら、きら、きら、と。


 光の華は、あっという間にガラス容器全体へと広がっていく。


 液体だったものは、もはやどこにもない。

 そこにあるのは、雪のように白く、ダイヤモンドのように輝く、無数の純粋な結晶だけだった。


「……ああ……」


 エレノアの口から、感嘆の息が漏れた。

 その蒼い瞳は涙ぐみ、目の前の光景をただうっとりと見つめている。

 私も、言葉を失っていた。


 美しい。

 あまりにも、美しい。


 これが、私が追い求めていたものだった。


「……成功、ね」


 ぽつりと、私の口からようやく言葉がこぼれ落ちた。

 私たちは顔を見合わせた。

 互いの顔には数週間の疲れと、寝不足の隈がくっきりと刻まれている。

 しかし、その表情は今までにないほどの達成感と喜びに満ちていた。


「ええ……! 成功だわ、クララ!」


 エレノアが、初めて私の名前を呼んだ。

 そして次の瞬間には、私に力強く抱きついてきた。


「やった! やったぞ! 私たち、やったんだわ!」


「え、ええ……! やったわね、エレノア!」


 私たちは子供のようにはしゃぎながら、互いの成功を喜び合った。

 その様子をマリアが、ほんのかすかに口元を緩ませながら、ぱちぱちと小さな拍手で祝福してくれている。

 やがて興奮が少しだけ落ち着くと、私はガラス容器から完成したばかりの白い結晶を、薬さじで少量すくい取った。

 さらさらとした、きめ細やかな粉末。

 光に翳すと、その一粒一粒が、きらきらと虹色に輝いて見える。


 これが、究極の化学調味料。


 あらゆる料理の風味を劇的に向上させ、人の味覚を根底から支配する、魅惑の粉。


「……名前を、つけなければなりませんわね」


 私は、うっとりとその白い粉を眺めながら呟いた。


「この、私たちの偉大な創造物にふさわしい名前を」


 少しだけ、考える。

 この味は自然界に存在するものではない。

 神が与え給うた、恵みの味でもない。

 これは、人の知性、人の探求心、私たちの『科学』が、神の領域を侵犯して、無理やりこの世に生み出した、新たなる快楽。

 それは、もはや神への挑戦状。

 美味という名の、甘美なる反逆だ。


「……決めたわ」


 私は、にやりと笑って宣言した。


「この子の名前は、『神への反逆』よ!」


 私の、あまりにも壮大で、あまりにも大胆な命名に、エレノアは一瞬きょとんとした顔をした。

 しかし、すぐにふはっと吹き出すと、腹を抱えて笑い出した。


「ふ、ははははは! 神への反逆、だと!? 最高じゃないか、その名前! 実に、この冒涜的な味にふさわしい!」


 彼女はひとしきり笑うと、すっと真顔に戻った。

 そして、そのぎらぎらとした瞳で、私が持つ薬さじの上の白い粉をじっと見つめている。

 その目は理性を失いかけており、完全なうま味の禁断症状が出ていた。


「……なあ」


 エレノアが、かすれた声で言った。


「一口、どうだ?」


 私は彼女のその欲望に満ちた顔を見て、くすくすと笑った。


「どうぞ、ご自由に。あなたにも、その権利はありますわ」


 私の許可が出た瞬間。

 エレノアは、もはや待ちきれないとばかりに、私の手から薬さじをひったくった。

 そして、その白い粉をためらいもなく自らの指先に、ちょん、とつけたのだ。

 その指先を、まるで聖体を拝領する信者のように、敬虔な、しかし飢えた眼差しで見つめる。


 ごくり、と。

 彼女の喉が大きく鳴るのが、やけに大きく工房に響き渡った。


 そして、彼女は、その指先を。

 ゆっくりと、自らの口元へと運び。


 ぺろり、と。

 うっとりとした表情で、それを舐めたのだった。


 その瞬間、彼女の身体が、びくん、と大きく動いた。

 その蒼い瞳は完全に焦点が合っておらず、ただ虚空を見つめている。

 口元はだらしなく半開きになり、そこから、はふ、と熱い吐息が漏れた。


「…………ああ」


 その顔は、もはや、言葉では言い表せない。

 人生で体験しうる、ありとあらゆる快楽の頂点を今まさに味わっている者の顔だった。

 そのあまりの様に、私はほんの少しだけ引いた。


「……マリア」


 私は、自分の後ろに立つメイドにそっと囁いた。


「ええ、何でしょう」


「私たち、とんでもないものを、作ってしまったのかもしれないわね……」


「はい。そのようでございますね」


 マリアは、いつも通りの無表情で静かに頷いた。


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