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第9章:恋人になる、という決意

第9章:恋人になる、という決意


 冬の足音が街に届きはじめた頃、咲と蓮は、よく一緒に過ごすようになっていた。

 週に一度、ふたりで夕食を食べる。ときには仕事帰りに、他愛ないLINEのやり取りを交わす。お互いに「急がない」と決めていたはずだったが、気がつけば、心の距離はずっと近づいていた。


 それでも、日々は完璧ではなかった。


 咲が送ったLINEに、蓮の返信が半日以上こなかったとき。

 約束していた週末の予定が、蓮の仕事都合で何度かキャンセルになったとき。

 咲の中に、ほんの小さな波紋のような“寂しさ”が広がることがあった。


 「大丈夫だよ、彼はちゃんと向き合ってくれてる」――そう何度も自分に言い聞かせる。

 でも、不安は消えずに、静かに胸の底に積もっていく。

 そして、それは決して“蓮が悪い”わけじゃない。咲も、薄々わかっていた。

 ――私自身が、まだどこかで“恋に試されてる”と思ってる。


 だから咲は決めた。

 誰かとちゃんと向き合いたいなら、自分自身のことから逃げない。

 そう思って、ずっと避けてきた「母との話」を、することにした。


 日曜の午後、実家のダイニング。湯気の立つ紅茶の向こう、母は驚いたように咲を見つめていた。


「好きな人がいるの。まだちゃんと“付き合ってます”とは言えないんだけど……少しずつ、お互いに向き合ってて、これから大事にしたい人」

 そう伝えたとき、母は黙って咲の言葉を聞いていた。

 言葉の途中で遮ることも、急かすこともなかった。


「……そう。そっか」

 それだけだった。

 けれど咲は、不思議なほど救われた気がした。


「心配してくれるのはわかってた。でも、私、自分でちゃんと選びたいんだ。恋も、生き方も」

 その言葉に、母は小さく頷いた。

 「……咲がそう思えるようになって、母さんは嬉しいよ」


 その一言に、咲の胸の奥がじんわりと温かくなった。

 親の期待を受け止めながら、自分の人生を歩くということ。

 難しいけれど、無理じゃない。そう思えた。


 その週の金曜。咲は、仕事終わりに蓮と駅前の小さな定食屋で待ち合わせていた。

 寒さが日に日に強まり、吐く息が白くなる季節。定食を終えたあと、店の外に出て、蓮はゆっくりと咲を見た。


「ちょっと……歩こうか」

 咲は頷き、隣を歩いた。


 少し歩いた先に、小さな公園があった。ベンチに座り、しばらく無言のまま夜空を見上げたあと、蓮が口を開いた。


「……ずっと、ちゃんと伝えなきゃって思ってました」

 咲は、黙って彼の言葉を待った。


「咲さんのことが好きです。前にも言ったけど、今はもう、ちゃんと自分の気持ちに向き合って言えます。……付き合ってほしいです」

 その言葉は、静かで、けれど凛としていた。


 咲の胸に、確かな何かが流れ込んできた。

 これまでの日々が、思い返される。

 偶然に出会って、メッセージを交わして、不安にすれ違って、それでも少しずつ心が重なっていった時間。


 咲は、蓮の目をまっすぐ見た。

「私も、蓮さんのことが好きです。すごく……ちゃんと、好きです」


 言葉にするのは、少し怖かった。けれど、それ以上に、嬉しかった。


「でも、すぐに完璧な恋人にはなれないかもしれません」

 「俺もです。たぶん、ぎこちないことばかりだと思う」

 「……じゃあ、少しずつ、ですね」

 「うん。少しずつ、一緒に」


 その夜、ふたりの間に、はじめて“確かな名前”が生まれた。

 恋人――ただの言葉だけれど、それは、ふたりにとって小さな決意の証だった。


 誰かの隣にいる資格なんて、完璧じゃなくてもいい。

 不安なままで、一緒に笑いながら、歩いていけたら――それで、きっと十分だ。

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