第8章:誰かの隣にいる資格
第8章:誰かの隣にいる資格
季節がひとつ、静かに巡ろうとしていた。
街路樹の葉が落ちはじめ、夜の空気に白い息が混じる頃。咲と蓮は、川沿いの遊歩道を並んで歩いていた。約束して会ったわけではなかった。ただ、どちらからともなく「時間、ある?」と連絡を取り合い、気づけば歩いていた。
会う頻度が増えても、肩書きがつくことはなかった。
恋人ではなく、友達とも言い切れない。でも、確かに“特別”な誰か。
それは、不安定で、あいまいで、だけどどこか心地よかった。
しばらく歩いたあと、二人は川べりのベンチに腰を下ろした。冷たい風が頬に触れるたび、咲はマフラーを首に巻き直しながら、隣の蓮の横顔をちらりと見た。
「……こうしてると、落ち着きます」
咲がふと、口にした。自分でも驚くほど自然に出た言葉だった。
「ん?」
蓮が少しだけ首をかしげる。
「蓮さんといると、安心するんです。……ちゃんと呼吸できてるっていうか」
言いながら、自分の言葉が少し青臭い気がして、咲は照れくさく笑った。
蓮は、しばらく黙っていた。目を伏せ、手のひらで膝をなぞるように撫でながら、小さく息を吐いた。
「咲さん」
「はい」
「……僕、咲さんのこと、好きです」
その言葉は、どこまでも静かで、真っ直ぐだった。
咲は、目を見開いた。胸の奥に、何か柔らかい光が差し込んだようだった。
「でも……」
蓮は続けた。
「すぐに“付き合ってください”とは言えないんです。正直、今の自分に、自信があるとは言えなくて……仕事も不安定だし、気持ちもまだ揺れてる。咲さんのそばにいて、甘えたいって思う反面、それだけじゃダメだって思ってる」
言葉は途切れがちで、不器用だった。けれど、その一つ一つが、蓮の本音だった。
「だから……ちゃんと、自分で立てるようになってから、“一緒にいてください”って言いたいんです」
咲は、胸がいっぱいになった。嬉しかった。でもそれ以上に、彼のその“誠実な弱さ”が、たまらなく愛おしかった。
咲は、小さく頷いた。
それから、ゆっくりと答えた。
「私、急いで答えをもらいたいわけじゃありません。恋人って呼べなくても、私にとって蓮さんは大事な人です。今までも、これからも。……だから、私も、自分のことをちゃんと見つめて、ちゃんと立てるようになりたいです」
彼は目を細めて、静かに笑った。
その笑顔に、咲も笑みを返した。
「……じゃあ、少しずつ、一緒に変わっていきましょうか」
「はい。少しずつ」
ベンチの上、互いの肩がほんの少し触れ合っていた。
恋人という言葉はまだ遠いかもしれない。
でも、心は確かに近づいていた。
誰かの隣にいる資格なんて、本当は誰にだってないのかもしれない。
それでも、“そばにいたい”と願う気持ちが、その資格を少しずつ形作っていくのだ――咲は、そう信じられるようになっていた。