第7章:あなたの弱さに触れたとき
第7章:あなたの弱さに触れたとき
金曜の夜、蓮から「少しだけ話せませんか」とメッセージが届いたのは、午後七時過ぎだった。
珍しく絵文字もスタンプもない、短い文。いつもより少し硬くて、どこか余裕のない雰囲気があった。
咲は迷わなかった。
“どこで?”という返信に、「会社近くの公園で」と返ってきた。咲はコートを羽織り、すぐに家を出た。
十一月の夜風は冷たく、街路樹がカサカサと音を立てて揺れていた。会社帰りの人々が足早に通り過ぎるなか、蓮は公園のベンチにひとり座っていた。背中が、どこか小さく見えた。
「こんばんは」
「……来てくれて、ありがとう」
その声は、いつもより少し掠れていた。咲は隣に座り、何も言わずに待った。蓮が話し始めるのを。
「ちょっとだけ……しんどくなってて」
そう呟いた蓮は、ポケットから缶コーヒーを取り出して一口飲んだ。
「営業のチーム、今人が足りなくて。成績も良くないし、毎日詰められてて……正直、逃げ出したいって思うことがあるんです」
その声は、どこか遠くを見ていた。誰かに聞いてほしいというより、自分に確かめるような、静かな吐露だった。
「なんで頑張らなきゃいけないんだろう、って。思っちゃって。でも、そういうこと言える人もいなくて……」
しばらくして、ぽつりと続けた。
「自分を支えてくれる人が、いたらなって……最近、ずっと思ってました」
咲はその言葉を、胸の奥で繰り返した。
“支えてくれる人が、いたら”――それは、蓮がはじめて口にした“弱さ”だった。
彼はずっと、まじめで、大人びていて、どこか自分を守っている人だった。恋愛のことも、過去の傷も、咲には見せないまま過ごしていた。でも今、少しだけ、その仮面が緩んだ。
咲は、小さく息を吸った。
「蓮さん」
彼がこちらを見る。
「私……ずっと、“好かれなきゃ”って思ってました。ちゃんと返事して、嫌われないようにして、ちゃんと“彼女になれるか”ばっかり考えてて。でも今日、思いました」
咲は、少しだけ笑った。自嘲気味に。
「“この人のそばにいたいな”って、ただそれだけでいいんだなって」
言葉が、冷たい空気に静かに溶けていく。
「私、すぐにはうまく支えられないかもしれません。蓮さんの全部を理解できる自信も、正直ないです。でも……もしよかったら、そばにいさせてくれませんか」
蓮は驚いたように目を見開いた。そして、何も言わずにうなずいた。
その動きが、少しだけ震えていたのを咲は見逃さなかった。
沈黙が、優しいものに変わる。
二人の間に、肩を寄せ合うような空気が流れた。言葉はもう、必要なかった。
帰り道、咲は思った。
恋人になることは、ゴールじゃない。
肩書きが欲しかったんじゃない。ただ、誰かのそばで、誰かとちゃんと呼吸を合わせて、生きていけたら――それだけでよかった。
恋をしても、不安は消えない。だけど、不安なまま、誰かと歩くことはできる。
蓮の歩幅に合わせて、咲はゆっくりと夜道を歩いた。
少し風が強かったけれど、それでも今日は、寒くなかった。