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第2章:もう一度、偶然が起きる


第2章:もう一度、偶然が起きる


 その再会は、やはり“偶然”だった。

 けれど、あの日の午後がただの幻ではなかったのだと、咲は静かに確信した。


 都内某所の貸し会議室。冷房が効きすぎた部屋の中には、同じ系列企業から集まった二十数名の社員たちが、輪になって座っていた。社外研修といっても、若手向けのマナー再確認とグループディスカッションの軽いものだ。咲は最初、その退屈な一日の予感に、少しだけ気持ちを沈めていた。


 だが、受付で名簿を確認していたそのときだった。見覚えのある名前が、視界の端にふと入った。

 伊藤 蓮(株式会社〇〇営業部)

 心臓がわずかに跳ねた。


 名前だけで確信はできなかった。だが、会場に入り、席についた数分後、その人物が部屋に入ってきた瞬間、咲の中の何かが、確かに反応した。


 「あ……」

 小さく、彼が言った。咲も同時に目を見開いた。


「こんにちは。あのときの……」

「はい、川崎のカフェで。覚えてます」

 二人の間に流れた空気は、不思議と自然だった。けれど、お互いにどこか“よそゆき”の距離をまとっていたのも確かだった。


「偶然ですね、こういうのって」

「ええ。なんだか、ちょっと恥ずかしいですね」

「……あのとき、名乗りもしなかったですね」

「あ、たしかに。咲といいます。今さらですけど」

「伊藤 蓮です。……よろしくお願いします」

 小さく笑い合った。その笑顔が、咲にはどこか心地よかった。


 午後のワークでは、偶然にも同じグループになった。周囲には他の社員もいるから、踏み込んだ会話はできない。けれど、ふとした瞬間に目が合い、誰かの冗談に笑うタイミングが重なるたび、咲の胸の奥がぽつりぽつりと熱を帯びていくのがわかった。


 研修が終わり、会議室を出たあと。外はまだ夕暮れにもなっていなかったが、空には鈍い雲が広がっていた。


「……よかったら、少し歩きませんか?」

 彼のその言葉に、咲は少しだけ迷った。けれど、うなずいた。

 その「はい」は、静かだけれど、確かな返事だった。


 駅までの道すがら、他愛もない話をした。会社のこと、研修のこと、好きな食べ物や映画のこと。どれも深くは踏み込まない。けれど、そのどれもが、咲にとってはひどく愛おしかった。


「伊藤さんって、結婚とか……されてないんですよね?」

 それは、唐突だったかもしれない。けれど咲は、言葉を止められなかった。


 蓮は少しだけ驚いたように目を見開いたが、すぐに穏やかな表情で答えた。

「してません。……というか、恋人も今はいませんよ」

「そう、なんですね……」

 それ以上、何も言えなかった。だが、咲の中で何かが小さく灯ったのは間違いなかった。


 それは期待とか、希望とか、そんなはっきりしたものではなかった。ただ、日々を“無難”に過ごしてきた咲にとって、“もう一度偶然が起きた”ことが、確かに意味を持ちはじめていた。


「咲さんは?」

「……え?」

「恋人、いるんですか?」

 彼は正面を見たまま、何気ない口調でそう言った。咲は少しだけ頬を赤らめた。


「いません。長いこと」

「そっか……」

 蓮はそれ以上、何も言わなかった。ただ、それだけの会話が、咲には十分だった。


 駅に着き、人の流れに押されながらも、二人は自然と足を止めた。


「また、どこかで偶然……あるかもしれませんね」

 咲が言うと、蓮は少しだけ微笑んだ。

「次は、偶然じゃなくてもいいかもしれません」

 そう言って、彼は歩き出した。


 咲はその背中を目で追いながら、ふと、思った。

 この人と何かが始まっても、いいのかもしれない――そう、初めて“能動的に”思えた瞬間だった。


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