人形の体
薄暗がりの中で目が覚めた。それも、湿った土の上で。
地面で眠りこけるなんて、はじめてのことだ。そのせいだろうか。体に妙な違和感がある。
起き上がってふと視線をずらしてみると、足元に濃い化粧をした女の死体が転がっていた。
「ぎゃああああ!」
悲鳴をあげて飛び退く。
が、よくよく見れば、死体には物凄く見覚えがあった。
ユージェニーご本人である。
「いやまさか……。そんなバカな」
「よお。やっと起きたか。もう朝だぜ」
呆れるような声に顔を上げると、檻の中の悪竜の赤い瞳と目が合った。
そうだ。地下室で倒れたんだった。
「よくもまぁそんなとこでぐっすり寝れるもんだな。たくましい王女様」
悪竜が更に何か言っているが、耳に入ってはこなかった。
今頃になって、クライヴの言葉が脳裏に蘇る。
『命が惜しければ、地下室には近寄るな』
と、いうことは────。
「私…………死んだのか」
「死んでねぇだろ。喋ってんじゃねぇか」
「いやだって…………コレ」
自分の死体を指さす。シュールなことこの上ない。
戸惑うユージェニーに、悪竜はさらりととんでもないことを言い出した。
「あんたの体を人形と入れ替えてやった」
「人形!!」
言われてみれば、視界がずいぶんと低い。
広げてみた手の平は、子どものように小さくて、腰まであるくすんだ灰色の長い髪は、傷んでボサボサだ。
それは、見慣れた自分の人形そのものだった。
「どうだ、驚いたか? 俺様はすごいだろう」
「うん、すごい! 魔法って、こんなこともできるのか……!」
「…………。あんた、ずっと思ってたが冷静だな。まぁ、話が早くて助かるが。言っておくが、人間ごときにこんな魔法は使えない。それがどういうことかわかるな?」
「……えっと……、ものすごく、すごいってこと?」
「そうだけどそうじゃねぇ! つまりあんたは、俺様の言うことを聞くしかないってことだろうが!!」
悪竜の大声が地下室に響きわたる。本当に元気な悪竜である。
姉から話を聞いた時は、恐ろしい化け物を想像していた。
けれど話をしてみれば、感情豊かでちっともこわくない。
そんな呑気なことを考えて、けれどふと足元を見遣れば、自分の抜け殻が目に入った。自らの体を見下ろすのは奇妙で、やはり薄気味悪い。
ユージェニーの立場を理解させるように、悪竜は地面をゆっくりと這い、黒光りする不気味な体を見せつける。
そして冷酷に告げた。
「そのきったねぇ人形から元の体に戻してほしければ、クライヴを殺せ」
ただの元気な竜なんかでは決してない。
ユージェニーの姿を簡単に変えてしまった悪しき竜は、真っ赤な瞳を鋭く細めている。
ようやくその恐ろしさが現実味を帯びてくる。
薄ら寒さを感じて、ユージェニーは微かに身震いをした。
◇◇◇
人形が動き回っていてはさすがに警戒されるため、人形に入ったユージェニーは、周りからは人間の子どもに見える。
更に余計なことを言わないように、悪竜以外の前では声が出ない。
子ども相手ならば尚更油断するだろうから、さっさとクライヴを殺して来い。
────と、悪竜に地下室から追い出された。
一階に上がってみれば、悪竜の言う通り、朝を迎えていた。
廊下の大きな窓から朝日がさんさんと降り注ぎ、屋敷内は妙に騒がしかった。
────そして。
「…………子どもですか」
「そうですねぇ。四、五歳くらいに見えます。そんな子どもが、たった一人でこんな森の奥までやって来て屋敷に入り込むなんて、ちょっと考えられないですよね」
「はぁ……。昨日から面倒なことが続きますね。王女様も、まだ見つかっていないんでしょう」
「申し訳ありません。僕とマリアで、森の中も捜してはみたんですが……」
ユージェニーはいったん自室へ戻ろうとしたところを、ちょうど通りかかったマリアに見つかり、あっさり捕まった。
その後応接室のような広めの部屋に連れて行かれ、ソファーにちょこんと座らされた。
そして現在、マリアに呼ばれてやって来たクライヴとブルーノも加わり、三人に囲まれているという状況である。
車椅子に座るブルーノは更に身を屈めて、小さいユージェニーに目線を合わせるようにして笑顔を見せた。
「君、名前は? どこから来たんだい?」
「……!」
ユージェニー、と答えようとして、やはり声にならなかった。
ブルーノが困った様子でクライヴを振り返る。
「うーん……。どうやら、喋れないようです」
「マリアと同じで、耳が聞こえないんですか」
「いえ、たぶん聞こえてはいます。そうだよね?」
ブルーノの問いに、勢いよく首を縦にふった。
「やっぱり。聞こえてるようです。この子は、声が出せなくなる呪いを受けたのでしょう」
「はぁ……。それで、何者なんでしょうね?」
面倒臭そうにクライヴがため息をついた。子ども相手でも、容赦のない愛想の悪さだ。
困り果てたように沈黙したクライヴとブルーノの横で、マリアが紙とペンを取り出した。何かを書いて、ブルーノへと渡す。
それを見たブルーノは、顔をしかめて「うわぁ」と声を漏らした。
「何ですか?」
「いや、マリアが……。この子は、ユージェニー王女の隠し子なんじゃないか、って」
「王女様の、子ども……?」
「この子、王女様と同じ、紫色の瞳なんですよね……。クライヴ様もよくご存知の通り、王族の特徴的な色です。それに昨日王女様は、大きな鞄をお持ちだったんです。なぜか従者に預けず、ご自身の手で運ばれていました。僕が手伝おうとしたのも嫌がられて、それがちょうど……この子が入りそうな大きさで……」
言いながら、自分の発言のまずさを噛み締めるように、ブルーノが頭を抱える。そうであって欲しくない、という感情がだだ漏れである。
「つまり王女様は、子どもを隠したままこの屋敷に連れてきたと?」
「恐らく……。こんな小さな子がここまで辿り着くなんて、誰かの手を借りないと不可能ですよ」
「仮に王女様が連れて来たとして、肝心の王女様は子どもを置いてどこへ行ったんでしょう?」
再び、部屋に沈黙が落ちる。
続いて、クライヴが全く配慮のない一言を言い放った。
「あなた、もしかして母親に捨てられたんですか?」