立ち入り禁止の地下室
べつに幸せな結婚生活を夢みていたわけじゃない。
ただ、いてもいなくても同じ──むしろ、邪魔者でしかなかった『能なし』のユージェニーに、はじめて与えられた役目。ようやく自分にも価値があると言ってもらえた気がした。
期待に応えたくて、言われた通りにしなければならないと、そればかり考えていた。
けれど冷静に考え直してみれば、この屋敷にやって来た時点で、向き合うべきは国王や王妃の言いつけではなく、何を差し置いても夫となるクライヴである。
クライヴは最初からユージェニーを拒絶するようなことを言ったし、顔を隠していて陰気だし、感じが悪い。
でもユージェニーを馬鹿にしたり、罵ったりはしなかった。
ユージェニーのために部屋を快適に整えて準備をし、あたたかくておいしい食事を食べさせてくれた。
それはクライヴの指示ではなかったのかもしれない。
ブルーノとマリアは優しくて親切だ。二人が王家から嫁をよこすとの知らせを聞いて、主の思いとは関係なくやったことだとしても……。
そんな彼らの勝手を、クライヴは許している。
そして使用人という立場であるにも関わらず、ブルーノとマリアを『家族のような存在』だと言った。
クライヴもきっと、根は悪い人間ではないのだろう。
王族としての振る舞いよりも、もっと優先すべきことを、ユージェニーは見失っていた。
親切にしてもらえたら礼を言うべきだし、ごはんがおいしければ、素直にそう言えばよかった。そして悪いことをしたら、謝るのも当たり前だ。
正直に字が読み書きできないことも、食事のマナーがわからないことも伝えなければいけない。
そのためには、『能なし』であることをクライヴに知られるかもしれないけれど──。
ユージェニーのこれまでの言動は、彼らを見下し、蔑んでのものだと勘違いされている気がする。
自分がそうされるのは、慣れていても傷つくし、時に心が悲鳴をあげる。
そんな思いをクライヴたちにさせてしまったというのなら、ユージェニーの選択肢はひとつだけだ。
(…………あやまろう)
大丈夫。謝罪の仕方だけは、姉からしっかり教育されている。跪いて床に頭をこすりつければいいのだ。
それに離宮のかたくて冷たい床と違い、この屋敷には絨毯が敷き詰められている。頭を踏んづけられても、たぶんそんなに痛くない。
逃げるようにダイニングルームを出て、自室に篭っていたユージェニーは、ようやく立ち上がった。
部屋の隅に置いた、薄汚れた人形を抱えあげる。
あんまりいい思い出はなくても、この人形は自分の分身みたいに思っていた。なんとなく手放し難くて持って来てしまったけれど、やっぱりこの屋敷には相応しくない。
ユージェニーは、ここでこれから新しい人生を始めるのだ。
今度こそ、ちゃんと素直に正直に、クライヴたちと話し合おう。その結果受け入れてもらえなくても、それは仕方がない。
人形ともお別れだ。ブルーノにお願いして、捨ててもらおう。
決意を胸に、ユージェニーは人形を抱えたまま自室を出た。
まだクライヴは、ダイニングルームにいるかもしれない、と向かってみると、思った通りドアの向こうから、クライヴの声が漏れ聞こえてきた。
「だから期待するだけ無駄だと言ったでしょう。王女様なんて、我儘で傲慢だと相場が決まっています」
思い切り噂されていた。
しかもたぶん悪口。さすがにこのタイミングでは、ドアを開けられない。
「すごい偏見ですよ、クライヴ様。呪われた屋敷と知った上で来てくださるんですから、王女様というだけで毛嫌いしちゃ失礼ですよ。心優しい方かもしれないなーとか思いません?」
「思いませんよ。ブルーノは能天気すぎます。それに本当に心優しければ尚更、無闇に親切にしない方がいいです。呪いに耐えられなくなった時、出て行くと言いづらくなるでしょう」
「……なんていうか……クライヴ様って、優しいのに不器用なんですよね……」
「優しくないです。俺が嫌なんです。期待して心を開いて、結局捨てられるのが」
呟くように零したクライヴの声音は、なんだか切実だった。
クライヴが過去に実際に、傷つくような経験をしていたのだとしたら──。
ユージェニーにも、少しだけ理解できる気がした。
昨日まで向けられていた温かな感情が、突然憎悪にも似たものに変貌してしまったこと。これからも当たり前に続くと思っていたはずの日々を失い、裏切られたような気持ちになったことを、ユージェニーは知っている。
どうにかクライヴとわかり合えたらいい。
そう思うけれど──。
席を立ちこちらへ向かってくる足音が聞こえて、ユージェニーはそっとドアから離れた。
盗み聞きしていたことを知られたくはない。
クライヴの方も、ブルーノ相手だからこそ漏らした本音を、全く信用していないユージェニーに聞かれていたと知れば、不快に思うだろう。
振り返り、真っ先に目についたドアを開けて中へ飛び込む。見つからないよう、すぐさまドアを閉めれば、中は真っ暗だった。
何があるのかもわからないのに、何の気なしにそのまま足を数歩踏み出したのがいけなかった。
「うわっ……!?」
その先の床は平らではなく──ユージェニーは足を踏み外し、転げ落ちた。
そこには下へ降りる階段があったのだ。
数段落ちて体を打ち付け、ようやく気がついた。
一階から更に下への階段。
つまりここはクライヴの言っていた、絶対に立ち入ってはいけないという、地下室に繋がっている。




