不自由で自由な結婚
「まぁまぁだな。悪くない。もっと寄越せ」
「……っ! リューくん!!」
見慣れた小さな黒い竜。
どこからともなく現れた悪竜は、テーブル代わりにしていた作業台にしゅるりと登ると、並べられたお皿の上のケーキを、次々と平らげてしまう。
「あっ! 駄目だよリューくん! 人のを盗っちゃ」
「ふん。俺様のためにつくったもんだろ。俺様が全部食って何が悪い」
「それはそうですけど……。黒竜様の分は、ちゃんととってありますよ。ほら、こちらに」
ブルーノがそう言って、切り分ける前のパウンドケーキを持って来る。大きなパウンドケーキを見て、悪竜は満足げだ。
台の上に置かれるなり、むしゃむしゃと夢中になって食べ始めてしまった。
ユージェニーは、さっぱり事態を飲み込めない。
「ケーキが、リューくんのため……?」
「俺を殺さない条件として悪竜が提示したのが、ブルーノのつくった甘いおやつなんです。腹いっぱいになるまで食わせろ、と」
さらっとクライヴが説明してくれた。
そうだった。悪竜が見返りなくクライヴを見逃すはずがないのだ。一年以上もクライヴに恨みを募らせ、陰険な嫌がらせまでしていたのだから。
しかし、要求は甘いおやつ。
「…………ふふ……あはは! リューくんは、ぶれないなぁ」
なんだかおかしくて、笑いが込み上げてきた。
笑いだしたら止まらなくて、けらけらと笑い続けていたら、つられたようにクライヴたちも笑った。
「俺も耳を疑いました。タチの悪い冗談か、死の間際の幻聴かと。ユーナが悪竜を餌付けしたんでしょう? あなたには本当に、驚かされてばかりです」
「あははは! 餌付けかぁ」
ひとしきり笑って、悪竜もケーキをぺろりと完食して。
ユージェニーはふと浮かんだ疑問を口にした。
「リューくん、どこに行ってたの?」
「王宮」
お皿を舐めながら放った悪竜の一言に、全員の顔面が蒼白となった。
「なっ…………ななな、何しに……。復讐ですか!?」
「当たり前だろ! クライヴのことは気に食わねぇが、自分で手出しもできずに命令だけして、失敗したらぜーんぶ責任をクライヴに押し付けて。その上今も安全な王宮でふんぞり返ってる国王ってのが、一番気に入らねぇからな!」
「こ……殺したんですか!?」
「おいおい、俺様が炎をひと吹きすりゃー即死だぜ? こっちは一年以上檻ん中だったってのに、そんな簡単に死なせてたまるか。王宮にいた全員を、ユージェニーが住んでたっていう離宮に無理矢理押し込めて、王宮を綺麗さっぱり焼き払ってやった!」
ぎゃははは、と悪竜が機嫌よく笑う。
顔色の悪い三人は、「離宮?」とユージェニーを確認するように見た。
「…………リューくん。離宮は王宮にいる人全員が入れるほど広くはないし、それに、その……。あんまりきれいじゃないよ?」
「だからだろうが! ぎゅうぎゅう詰めにして閉じ込めてある。どうだ? あんたを虐めてた奴らに仕返しできて、スカッとしたか?」
はは、と乾いた笑いがユージェニーの口から漏れた。クライヴと結婚し、新しい生活を手に入れた今となっては、もうどうでも良かったのだ。
ただ悪竜がユージェニーのために仕返しをしてくれたその気持ちは嬉しくて、ほんのり胸が温かくなる。
その一方、クライヴは頭を抱えている。
「最悪です。悪竜の解放に気付かれる前に動くはずが、まさかわざわざ知らせに行くなんて……! 完全に王家を敵にまわしました。今すぐ他国に逃亡する他ありません」
「寝言言ってんじゃねぇ。あんたは今から俺様と一緒に、王宮に行くんだよ!」
「は? どうしてよりによって俺が混乱の渦中に」
「決まってんだろうが! 王族をみんなまとめてぶっ殺して、クライヴが新しい国王になるんだよ。俺様が力を貸してやるかわりに、あんたは王として一生働け。そして俺様はその権力を使って、国中の甘いもんを食べ放題だ!!」
悪竜が声高らかに宣言し、クライヴは顔を引き攣らせた。
「絶対嫌です……! 人の上に立つ仕事は二度としたくないです。一日中屋敷に閉じこもって、静かに暮らしたい」
「しけたこと言うなよ! ようやく自由の身になったんだぞ? 俺様とあんたの力を合わせれば、世界征服も夢じゃない!」
未来の展望がアクティブすぎる悪竜と、不動のクライヴ。まるで正反対だ。
「いつの間にかクライヴ様が、根っからの引きこもりに……」
と、ブルーノが憐れみの目を向けている。
二人の主張が平行線のまま白熱する中、思い出したように悪竜がユージェニーを振り返った。
「なぁクライヴ。ユージェニーは元王女様だ。これまで散々虐げられてきたかわいそうな嫁を、相応しい地位に据えてやろうと思わねぇのか? あんたが王になれば、ユージェニーは王妃だ」
「王妃…………」
クライヴの顔つきが変わる。
不快感全開だった表情が引き締まった。藍白の瞳の奥に、覚悟の光が灯る。
クライヴはまっすぐにユージェニーを見つめている。
「あなたは、玉座に関心がありますか? あなたのためならば、俺は」
「ないよ。クライヴと一緒ならどこへでも行くけど、できたら私も静かに暮らしたいな」
返事を聞いたクライヴは、すぐさま立ち上がった。
「却下です。俺は王にはなりません。亡命しましょう。ブルーノ、マリア。出発の準備を手伝ってください」
「なんっっっでだよ!!!」
吠える悪竜を、ブルーノが宥める。
「まぁまぁ、黒竜様。僕でよければ、甘いおやつを毎日たくさん作って差し上げますよ」
「言ったな? 一生だぞ?」
「い…………一生? …………いやー……うーん……。そうだなぁ……、マリアが、クライヴ様に仕えているうちは構いませんけど」
「私は一生クライヴ様にお仕えする覚悟はできているわよ! 可愛い奥様のお世話を、これからきっちりするんだから!」
「どうしてブルーノの身の振り方が、マリアと関係しているんですか?」
きょとんとして問いかけたクライヴを、悪竜がうんざりしたように睨みつけた。
「おい、クライヴ。冗談だろ? あんた今までこいつらのそばで何見てたんだ。そんなモン、ブルーノがマリアに惚れてるからに決まってんだろうが」
「そうなんですか」
「やめてもらえませんかね、人の淡い恋心をそうやって勝手に暴露するの!」
顔を赤くして文句を言いながら、ブルーノは車椅子を引っ張り出してきた。壊れてしまっているため、魔法を使って修理を始める。
マリアは最低限の荷物を素早く見極め、次々と鞄に詰めていく。
「よし、直った。乗ってください、奥様」
「ありがとう!」
ブルーノに言われるがまま、車椅子に乗った。
ユージェニーの足は動くけれどうまく歩けないので、この先の長距離移動を考えれば、車椅子がある方が何かと便利だ。
その横で、悪竜がクライヴの体をよじ登り、肩の上に落ち着いた。
「おいクライヴ、離宮に閉じ込めた奴らはどうすんだよ」
「知りませんよ。あなたのやったことなら、並の人間ではどうにもできないでしょう。好きにしてください。俺も王家にはほとほと愛想が尽きました。大事な妻を虐げていた王家なんて、滅べばいい」
「へーえ。ふーん。どの口が言ってんだか。ユージェニーはあんたに冷たくされたっつって、毎夜俺様のとこに来て泣いてたなぁ」
「! なっ……、う、ぐっ……。……償います。俺の人生をかけて。二度と泣かせたりしません。幸せにします、必ず」
「まったく、調子のいいこと言いやがって。口にしたからにはあんた、もしユージェニーを泣かせたら今度こそぶっ殺してやるからな」
「あなたは俺の妻の何なんですか」
「さあなぁ。そういやユージェニーに、あなたは私のはじめてだ、好きだって告白されたっけなぁ」
「はぁ!? どっ……どういう意味ですか、それ! 本当ですか!?」
焦ったクライヴがユージェニーの右肩を掴んで詰め寄った。ユージェニーの肩が、びくりと跳ねる。
「わっ……ごめん、クライヴ。何? 右側で話されると、あんまり聞こえなくて。何の話? なんだか盛り上がってたよね! クライヴとリューくんが仲良くしてて、すっごくうれしい!」
「………………………………」
満面の笑みを向けられ、クライヴが押し黙った。悪竜はげらげらと愉快そうに笑う。
そこへ鞄を下げたマリアが戻って来た。
「こちらも準備が整いましたよー!」
「では、出発しましょうか。夜になる前に、森を抜けたいですからね。クライヴ様、奥様、どちらに向かいますか?」
ブルーノの問いに、ユージェニーは曖昧に笑う。離宮から出たことがなかったので、よその国はおろか、自国のことさえわからないのだ。
クライヴもまた、考え込むように顎に手を当てた。
「まぁどうせまた山の奥や森の中に居を構えるならば、どこへ行っても同じでしょう。あそこに珍しい色の鳥が飛んでいるので、ついて行ってみますか?」
いっそ投げやりなほど適当に、クライヴが空を指さす。遠くのものがぼやけて、ユージェニーの目にはその鳥がよく見えない。
ユージェニーの体は、あちこちが少しずつ不自由だ。
でも、どこへでも行ける。大切な人たちが、一緒に隣を歩いてくれる。それはなんて自由で贅沢なことだろう。
ぼんやりと遠くの空を見つめていると、クライヴがユージェニーの車椅子を押して、歩き始めた。
「せっかくなら、あなたの見たいもの、やりたいことを探しに行きましょうか。あなたが望むのならば、どこへでもお供しますよ。ユージェニー」
行く先には、まだ見ぬ世界が広がっている。
後ろでふっと笑う気配がして振り仰ぐと、クライヴの笑顔。
この先ずっと同じ景色を並んで見ていくことになるであろう夫に、ユージェニーも笑顔を返した。




