能なし王女の結婚
ユージェニーが再び現れたことを、マリアは快く思ってはいないようだ。
ブルーノの指示で、地下室に転がっていたせいで汚れたユージェニーのドレスを着替えさせてくれたものの、その間、マリアは一言も話さなかった。
黙々と、輿入れの荷物の中から、それまで着ていたのと同じくらい煌びやかなドレスを着せてくれた。
本当はユージェニーは、ユーナが着ていたような簡素な服が良かったけれど、そんなものは持っていない。
クライヴに話をしようとしてできなかったから、声をかけるのがなんだか怖くなってしまって、マリアにも話しかけられなかった。
けれど着替えが終わり、マリアに「ありがとう」と言ってみると、ちゃんと声になった。
マリアは頭を下げただけで、こわい顔のままだったけれど。
マリアが下がると、ユージェニーは自室で一人きりになった。
この部屋に入るのは久しぶりだが、あの日と同じ。部屋続きの衣装室には多くのドレスが整然とかけられ、ガラス張りの飾り棚には、輝く宝石類がお行儀よく並べられている。
二度と帰らぬと思われていたはずなのに、部屋は変わらず清潔に保たれていた。
輿入れと共に屋敷にやって来た荷物が我が物顔で居座っているこの部屋は、全てユージェニーの私物のはずなのに、少しだけ居心地が悪い。
マリアの絵が壁を彩る、あの狭いユーナの部屋が恋しかった。
しばらくぼんやりしていると、扉の向こうからブルーノの声がした。
「王女殿下。食事の準備が整いましたが、どうされますか?」
いつかと同じ。
ディナーのやり直しだ。
◇◇◇
ダイニングルームに入ると、はじめて屋敷に来たあの日の夜と同じように、クライヴが既に席についていた。
深く被ったフードも、暗い雰囲気も、何もかもが同じ。
違うのはブルーノとマリアで、笑顔で迎えてくれた彼らは今夜、浮かない顔だった。
(ユーナが死んだと思ってるからかな……。ここにいるよって、伝えたいけど)
三人が三人とも、心ここに在らずといった様子で、誰ともまともに目は合わない。
一度勝手にいなくなったとはいえ、ユージェニーの身分は紛れもなく王女。
仕方なしにもてなしているというこの空気感がいたたまれない。
重苦しい空気の中、ブルーノが椅子を引いてくれたので、ユージェニーは席についた。
「ありがとう」
礼を言ったら、ようやくブルーノと目が合った。
その目が、驚きに見開かれる。
「…………王女殿下、そのお顔は」
「顔?」
汚れたドレスと同様、ユージェニーの顔も土汚れていたため、マリアが濃い化粧を落とし、綺麗にしてくれた。
今はごく薄い化粧が施されているだけなので、ほぼ素顔だ。
「その……大変失礼ながら、殿下のお年はおいくつでいらっしゃいますか?」
「十五」
「十五!?」
ブルーノが素っ頓狂な声を上げた。
「あ……いや。そう、ですよね。第二王女が確か、十七歳……! うわぁ、そうだった! なんで今まで気づかなかったんだ……!!」
「ちょっと、どういうこと? ユーナちゃんは、どう見ても五歳くらいだったわ。まさか十歳の子どもが、子どもを産んだっていうの? それともユーナちゃんの母親は、ユージェニー王女じゃないってこと?」
「いや、僕に聞かれても……」
ブルーノはマリアに詰め寄られ、困った顔でこちらを見た。
「王女殿下が屋敷に連れて来たあの少女は、あなたとはどういう関係ですか?」
やっと話を聞いてくれたことに、ユージェニーはほっとした。
そして、口を開こうとして────。
「…………っ!」
なぜだか説明しようとした途端に、また口がきけなくなった。
ブルーノとマリアが、怪訝な顔をしているけれど、焦ってもどうにもならなくて。
消えていく言葉を何度追いかけても、しんとした室内に、ユージェニーの息遣いだけが虚しく響く。
そのまま時間だけが無駄に過ぎ去って、そこへクライヴがぽつりと呟いた。
「どうでもいいです」
感情のこもっていない、投げ捨てるような言い方だった。
「ユーナが誰の子でも、もうどうでもいい。彼女は『能なし』として生きてきて、そして俺たち三人分の呪いを何もかも引き受けて死にました。全て終わったことです」
クライヴの放った言葉が、ユージェニーの胸にずしりと沈む。
クライヴは「終わった」と切り捨てるように言ったけれど、ユーナの不在は、今も屋敷中に色濃く影を落としている。
フードに隠れて、クライヴの顔は見えない。
互いの目が見えるようになれば、話ができるようになれば、わかり合えると思っていた。
それなのに、ユージェニーとクライヴの間には、厚くて高い壁がそびえ立つ。
取り付く島もない冷淡さで、はっきりと拒絶されていると感じた。
ユーナと、ユージェニー。
中身は何も変わらないのに。
「…………それで? 王女様、あなたがここへ戻って来た理由は?」
「そ……れはもちろん、ここが私の住む場所だから……」
「好き好んで出て行ったのに? 今更、俺と結婚でもする気ですか? 」
「! 結婚、する……!」
一際大きな声で、ユージェニーはそう返した。
クライヴが結婚を話題にあげたのは、ユージェニーにとっては願ってもないことだ。
あの夜名前が書けなくて、結婚はいまだ成立していない。
ユーナとしてクライヴに、ずっと一緒にいると言った。
あの言葉に嘘偽りはない。
姿は変わったけれど、今だってクライヴとずっと一緒に暮らしたいと思っている。
そしてユージェニーは、結婚という手段でそれを叶えることができる。
王家のためでも、国のためでもない。
ユージェニー自身が、クライヴと結婚したいから。
「あなたがそれを望むなら、俺は構いませんよ。もともと王命で決まっていたことです。少し遅くなっただけで」
やっぱり感情のこもっていない声でクライヴはそう言って、ブルーノに婚姻証明書を準備させた。
マリアが字を教えてくれたから、ユージェニーはサインすることができる。
ユージェニーが先に緊張しながら慎重にサインをして、次にクライヴが、その下に美しい字で名前を綴った。
その直後、証明書に書いた文字が淡い光を放ち、溶けるようにすぅっと窓の向こうへ消えた。
これが証明書にかけられた魔法だとわかって、ユージェニーは少しだけどきどきした。
二人が夫婦になったことを知らせる魔法の光。
あの光は夜空を駆けて、王宮まで届くのだろうか。家族だった人たちは、二人の結婚に安堵するのだろうか。
もうユージェニーには、どうでもいいことだけど。
そうして呆気なく、クライヴとユージェニーは夫婦となった。
クライヴは俯いたまま何も言わない。ユージェニーも、夫となったクライヴに何を言えばいいのかわからない。
マリアは冷え切った目でユージェニーを睨んでいたし、ブルーノも婚姻証明書を片付ける時、眉をひそめていた。
べつに幸せな結婚生活を夢みていたわけじゃなかった。
ここに来た当初は確かに、そうだった。
でも本当の幸せを教えてもらって、毎日笑顔が溢れて、そんな日々がずっと続けばいいと思うようになった。
クライヴと一緒なら、それが叶うと思ってしまった。
『能なし』のくせに、高望みをしたからだろうか。
誰も喜ばない、祝われることのない結婚は、小さな針を飲み込んだように、胸に痛みだけを残した。




