能なし王女
国王の五番目の子、それがユージェニーだ。
兄と姉が二人ずつおり、末っ子として生まれたユージェニーは、皆に愛され、大切に育てられるはずだった。
──いや、正確に言えば五歳までは確かに大切に育てられていた。
魔法史上主義のこの国で、貴族は誰もが多くの魔力を持って生まれてくる。
王族ともなれば、更にその上をいくことがほとんどだ。魔力はかなりの確率で遺伝する。
魔法を使うことは生活の一部であり、国の発展に欠かすことのできないものだ。
平民でもわずかながら魔力はあるが、ごく稀に多大な魔力を持つ者もいる。それはもう出世株だ。輝かしい将来が約束されたようなものである。
反対に、魔力を持たずに生まれる者もいる。通常五、六歳までに使えるようになるはずの簡単な魔法も使えないような子どもは、『能なし』と呼ばれ蔑まれる。その時点で親に捨てられることも、よくある話。
魔力を持たないということは、この国では生きていくのも困難なのだ。
ユージェニーは、魔力を一切持たない。
王族でありながら、『能なし』だった。
輝く金の髪に、紫水晶の如く高貴な色を宿した瞳。
王族が代々受け継いできた色を持ち、確かな血筋であるはずのユージェニーだが、五歳の誕生日に行われた魔力判定の結果、魔力がないと判明した。途端に、その生活は一変した。
ユージェニーは離宮の奥に隠され、まるではじめからいなかったかのように扱われて生きることとなった。侮蔑と憐れみの視線に囲まれながら。
「姫は本当に恵まれています。能なしなのに、王族に生まれたおかげで衣食住に困らないんですから。他のご兄弟のようにお勉強も公務もせず、私どものように労働もせず、毎日ぼんやり過ごすだけなのですから、本当にお幸せなこと」
そう言ったのは、侍女の一人だ。
確かにユージェニーは、飢えなどとは無縁だ。雨風に晒されることなく眠れる。学ぶことも働くこともしない。
侍女の言う通り、幸せなのだろう。『能なし』なのに、沢山のものを享受しているのだから。
『能なし』がどれほど罪深いか、本来ならばどれほど生活に苦労するものか、教えてくれたのも侍女だ。
ユージェニーのもとには、数人の決まった侍女以外の者が訪れることはない。もちろん、親兄弟も。
ただ一人、二つ歳上の姉だけがたまにやって来ては、ユージェニーを罵り蔑み、やがて満足して帰って行く。
何もすることがない日々の中、離宮のそばにある洗濯場の下女や、馬舎で馬の世話をする下男のお喋りを聞くのが退屈しのぎだった。
そのせいで、口調までも王族らしからぬものになっていったのだが。
そんな生活が十年も続いて、親の顔も忘れた頃。再び、国王と対面する機会が訪れた。
「『能なし』でも王家の血だな。見目は悪くない」
十年ぶりに顔を合わせた国王は、開口一番に言い放った。
驚きに何も言えずにいるユージェニーなど、お構いなしに話を進める。
「おまえは魔法伯クライヴに嫁ぐことになった。その顔と体で奴を籠絡し、屋敷に留まり続けさせろ。それがおまえの役目だ」
全く訳がわからなかった。
詳しい説明もなく、言いたいことだけ言った国王は、ユージェニーを目に入れておくのも嫌だったのか、「明日にはここを出て行け」と告げるとすぐに下がらせた。
その後、姉が嬉々として離宮までやって来て、色々と教えてくれた。
クライヴ・マクミラン。歳は二十一。
平民でありながら莫大な魔力を持ち、数々の功績を上げて国に貢献した彼は、魔法伯の爵位を得た。
特に戦闘における魔法の能力は圧倒的で、どんな魔獣も難なく倒してきたという。
そこで王家がクライヴに命じたのは、魔法師団の一小隊を率いて、東の森に住まう悪竜を討伐すること。
恐ろしい悪竜は数百年も前から森の主となっており、何十年かに一度、気まぐれに人を襲うことで恐れられていた。
いつか甚大な被害を及ぼす前に、倒してしまえ──と。
そしてそれは、一年前に実行された。
誰もが、これで悪竜を恐れる必要がなくなる、森を開拓することで国は更に発展する、と信じていた。
しかしクライヴは、悪竜を仕留め損ねた。
何百年と生きる化け物には、百年に一度の天才と呼ばれた人間でも、力が及ばなかったのだ。
共に戦った仲間は何人も命を落とし、そんな中でもクライヴは、命からがら悪竜を魔法の檻に閉じ込めた。そうして、ようやく戦いは決着した。
ところが話はここで終わらない。
もしも悪竜を外へ放てば、襲われたことと閉じ込められたことへの恨みと怒りから、間違いなく暴れ回り、大変な被害となるだろう。それこそ、国の危機だ。
けれども恐ろしい力を持つ悪竜を封じ込め続けるには、膨大な魔力を常に檻へと注ぎ込み続けなければならない。
その役割を担えるのは、クライヴしかいない。
彼は悪竜を封じた檻のそばを離れることが出来ず、そのためその場に速やかに屋敷が建てられた。悪竜が檻の中に閉じ込められているのと同様に、クライヴもまた、屋敷という檻から出られなくなったのだ。
「クライヴが逃げ出すことだけは、あってはならないのよ。王女が嫁ぐという名誉を与えれば、クライヴも国を守るために檻に魔力を注ぎ続けるでしょう? 『能なし』のおまえがはじめて役に立つのだから、喜びなさいよ」
姉はそう言って笑った。
たった一人で凄まじい力を持つ悪竜を閉じ込めておけるなんて、クライヴはなんて凄い人なんだろう。国を守る、英雄だ。
しかし姉の考えは違うようだった。
「クライヴは国一番の魔力の持ち主で、天才と呼ばれていたけど、その魔力を全て檻の維持に使っている今、他の魔法が一切使えないそうよ。簡単な生活魔法も使えないんじゃ、『能なし』と変わらないわ。おまえとお似合いね」
馬鹿にしたように語る姉の話を、黙って聞く。
昔相槌をうった際、「おまえの声は耳障りだから喋るな。喋り方も平民みたいでみっともない」と怒られて以来、いつもそうしている。
「その上、あの屋敷は悪竜に呪われているそうよ。どれだけ使用人を雇い入れても、呪いで体が不自由になってしまい、すぐにそれが耐えられないと言って、辞めて帰って来てしまうの! ただでさえおまえは魔法が使えないのに、呪いでこれ以上不自由な体になるなんて、なんて可哀想!」
そんな言葉とは裏腹に、姉は心底楽しそうにけらけらと笑い、「おまえは帰ることなど許されないんだから、一生不自由なまま生きることになるわね!」と言い残して出て行った。
翌日。十年ぶりにドレスを着せられ、年齢より大人びて見えるようにと濃い化粧を施され、馬車へと押し込まれた。
見送りには王妃が現れた。
ユージェニーに魔力がないと判明した当時、不貞疑惑をかけられたことから、王妃は誰よりその原因であるユージェニーを避けていた。
だから別れの挨拶に来てくれたことに心底驚いたけれど、王妃は何の感情もこもっていないような冷たい目をしていた。
「いいこと? ユージェニー。なんとしても屋敷でクライヴとの結婚生活を維持しなさい。あの男には、檻を守ってもらわなければ困るのだから。あなたの役目は、クライヴを満足させることよ。魔法が使えなくても、若い体を使えば容易なこと。そしてくれぐれも、王族として恥ずかしくない振る舞いをしなさい」
それだけ告げると、「行ってちょうだい」と御者に声をかけたため、馬車は走り出した。
結局ユージェニーは、十年ぶりに会った両親に、一言も話す機会を与えられなかった。
ユージェニーはわからない。
王族としての振る舞いとは、どんなものか。もう長らく、きちんとした教育を受けていない。
ユージェニーがそれまで接する機会のあった王族といえば、二つ年上の姉だけだった。
だから姉を真似ることにした。尊大な話し方、傲慢な態度、自信に満ちたように見える表情。うまくできるかは、わからなかったけれど。
それでも、能なしの自分にはじめて与えられた『役目』だ。言われた通りにやり遂げなければならない。
王家のため、国のため。
そして何より、自分に価値を見出すために。