お茶会3
ブルーノとマリアが、はっと息を呑む。
クライヴが『能なし』と言葉にした途端に、ユーナの表情がかげった。そして涙を堪えるように顔を歪めて、俯いたまま。
────それは、つまり。
クライヴには見えていないからこそ、マリアは聞こえないからこそ、ブルーノが確認するしかない。
言い出しにくそうにしながらも、ブルーノは口を開いた。
「…………えっと…………ユーナ。もしかして、君は…………魔法が、使えない?」
びくりと怯えたようにユーナの肩が揺れ、下を向いたままに少しだけ首を縦にふる。
痛々しいほど悲痛なその姿に、ブルーノは唇を噛み締めた。
「えっ、なんです。まさか、ユーナは『能なし』ですか?」
無神経なクライヴのセリフに、ブルーノとマリアは共に主をきつく睨みつけた。どうせ見えていないからと、堂々としたものである。
ブルーノもマリアも、ユーナを好ましく思っている。
ユーナは素直で可愛らしいし、真面目で働き者だ。与えられたものは服でも食べ物でも教育でも何でも喜び、努力することも忘れない。
ユーナがちょっとした雑用にも一生懸命になるたび、些細なことで心底嬉しそうに笑うたび、これまでどんな生活をしていたんだろうと不憫になる。
ユーナがきちんと養育されていなかった原因は、その生い立ちのせいだとばかり思っていた。
しかしもしも、『能なし』だったとしたら────。
この国で『能なし』と呼ばれる者たちがどんな扱いを受けているのか、話に聞いたことがあるだけのブルーノだが、いざ目の前のユーナがそうであったと想像してみたら、酷い不快感が胸を占めた。
「クライヴ様! どうしてあなたはいつもそんな風にはっきりと嫌なことを言うんですか!」
「何怒ってるんですか、ブルーノ。俺、嫌なこと言いました?」
「クライヴ様のような天才魔法使いには、ユーナの気持ちはわからないでしょう!」
「あなたも優秀な魔法使いじゃないですか。そもそも人の気持ちなんて誰にもわかりませんよ」
「そういう話じゃないんですよ! 何でもはっきり口に出すのが問題なんですよ」
「……ユーナが『能なし』ってことですか? 一般的な呼び名がそうなんだから、そう言っただけです。他に何と呼べと言うんですか」
「だからそういう話じゃ……!」
「ただの呼び名でしかないでしょう。魔法が使えないだけで人の価値は決まりません。俺は攻撃魔法は得意ですが、魔力が多いせいか、繊細な力の調整が必要な生活魔法は苦手です。洗濯したら皺だらけになるし、埃を掃除するつもりで家具も吹き飛ばすし。マリアのようにはいきません。魔法以外で言うと、ブルーノのように料理をつくれません。ユーナができて俺ができないことだってあるでしょう。『能なし』なんて、全否定するつもりはないです。…………俺、嫌なこと言ってますか?」
困ったようにクライヴが首を傾げている。
この人は孤独な環境下で育ったからか、幼い頃から魔法の才能が開花して戦闘に明け暮れていたからか、それとも多くの貴族たちにもまれて苦労が多かったからなのか、どうも人として一般的な感覚がずれているようだ。
でも悪い人ではない。だからブルーノもマリアも、彼を慕っているのだ。
「…………いえ…………。僕もまったく、クライヴ様と同意見です」
そう答えてユーナに視線を移したブルーノは、ぎょっとして言葉を失った。
ユーナは泣いていた。
大粒の涙を零して、声も出せずに。
「ならいいです。魔法の指導が必要ないなら尚更、他の教育を徹底するだけです。ユーナ、しっかりブルーノに教えを乞うように」
能天気にクライヴがそんなことを言う。
ただでさえ人の心の機微に疎いクライヴは、目が見えないせいでそれが顕著になっている。
それでも健気にクライヴの言葉に頷いてみせるユーナを、マリアがそっと抱きしめた。
恐る恐るマリアの背中に手を回すユーナの様子が堪らなくて、ブルーノはその頭を優しく撫でた。
ユーナのことを受け入れている。例え魔力がなくても、彼女が恥じることも卑屈になることもないのだ。クライヴが言ったように、彼女自身にちゃんと価値がある。
そんな気持ちがユーナに伝わればいいと思った。
これまでユーナは、きっと心から信頼できる相手や安心できる居場所がなかったのだろう。
そしてそれは、目の前の主も同じ。
クライヴは現在の地位を築くまでに、相当な努力をしてきた人だ。クライヴと同じく魔法師団に所属していたブルーノは、間近でそれを見てきた。
クライヴは貴族ばかりの中で見下されながらも才能を発揮し、ブルーノを追い越して副団長にまで上り詰めた。
本来なら、とうの昔に団長になっているだけの圧倒的な実力があった。そうならなかった理由は、彼の身分のせい。本当に苦労の多い人だった。
やっと功績が認められるようになって爵位を賜り、魔法師団長まであと一歩のところだったのだ。
あの、悪竜との戦いさえなければ……。
あの悪夢のような戦いの後、建てられたこの屋敷には、クライヴをサポートするべく大勢の人間がやって来た。
でもその誰もが次々と呪いのように体に異変が現れるようになると、瞬く間に人々は去っていった。
クライヴは何も悪くないのに、悪竜に手を出したことや、体が不自由になったことをクライヴのせいにして、暴言を吐く人間までいたのだ。
あまりの仕打ち、手のひら返しに辟易した。
クライヴはブルーノとマリアのことを信頼してくれているだろう。家族のような存在だと言われて、とても誇らしく思う。
でもその一方で、どこか線を引いているようなところがある。
クライヴはきっと、ブルーノとマリアがいつか屋敷を出て行くことを恐れているのだ。
ブルーノはクライヴに誠心誠意仕えているし、これからもそうでありたいと思っている。
しかし、それが一生変わらないかと言われると、断言はできない。
ブルーノにも人並みに結婚願望はあるし、一応伯爵家の三男である。今のところ継ぐ爵位もないし好きにさせてもらっているものの、いつかどうにもならない事情で実家から帰って来いと言われたならば、従うしかない。
もともとクライヴを支え、屋敷で彼に仕えることは名誉とされていた。だから反対の声があがらなかったのだ。
けれど今となっては状況が変わってしまった。
屋敷の呪いのせいで、クライヴまでもが気味悪がられている。
そればかりか、実はクライヴが悪竜を魔法で閉じ込めているというのも真っ赤な嘘で、彼は悪竜に敗れ、その配下となっているのではないか……などというくだらない噂まで出回っている。
クライヴはブルーノの微妙な立ち位置を理解しているだろうし、だからこそブルーノも、クライヴに踏み込みすぎることはしない。
クライヴが、ブルーノとマリアが出て行くことを恐れるのは当然なのだ。
そしてブルーノはそれを完全に否定できない。その場しのぎでクライヴを安心させて、また裏切られたと彼を傷つけたくはない。
クライヴ自身も、線を引くことで自分を守っているのだろう。
そんなクライヴに対して、ユーナは幼いが故の素直さでまっすぐに向き合っている。
何の意図も企みもなく、純粋に自分を慕うユーナにだけは、クライヴも猜疑心なく心を傾け、受け入れている。
クライヴとユーナ。
二人が心を通わせ、絆を深めていく様は微笑ましく、心が温かくなる。
傷の舐め合いのような痛ましさを覗かせながらも、それは確かに癒えていく予感がした。