呪われた屋敷
「はじめまして。あなたがクライヴね? わたくしが、今日からあなたの妻となる第三王女ユージェニーよ。どうぞよろしく」
真っ赤な唇に弧を描き、不遜な態度で目の前の男を見上げる。
魔法伯クライヴ・マクミラン。
濃紺の髪に、不健康そうな青白い肌。長い前髪の下の藍白の瞳は、どこを見ているのかわからない。目深にフードをかぶり、陰気な雰囲気を漂わせている。
しかめっ面の彼は、初対面だというのにろくに挨拶も返さずに言い放った。
「王女様、王宮に逃げ帰るなら今のうちですよ。あなたも聞き及んでいることと思いますが、この屋敷が呪われているというのは本当です。不自由な結婚生活をお望みでなければ、どうぞお帰りください。俺は別に、妻なんて求めていません」
◇◇◇
霧深い森の奥、まともに整備もされていないような、やっとなんとか馬車が一台通れるほどに細い道を進むと、その屋敷は現れる。
まだ建てられて一年ほどのはずなのに、どこか廃れたような、うらぶれたような佇まいである。鬱蒼と茂る木々に、今にも呑み込まれそうだ。
それは屋敷の主であり、国内最強の魔力を誇るクライヴの、今となっては落ちぶれたと噂されるその姿を反映しているかのようだった。
────呪われた屋敷。
そんな呼び名が、確かにしっくりくる。
呪われた屋敷の前に、こんな場所にはどうにも不釣り合いな豪奢な馬車。それも三台も連なって停まっている。馬車が運んで来た沢山のドレスや宝飾品は、主の意思を無視し、屋敷の中へと次々と運び込まれていく。
それを横目にクライヴと対峙しているのが、王女ユージェニーである。
まるで夜会にでも来たかのように豪華なドレスに身を包んだ少女。入念に化粧をし、派手な金髪は複雑に編み込まれている。胸元に大きな宝石の嵌ったネックレスを輝かせた彼女は、悠然とクライヴの前に立っている。やけに重そうな大きな鞄を下げて。
悪女然とした容貌ではあるが、内心はそうでもない。
(すごい量のドレスと宝石だな……。服なんて二着もあれば十分なのに。そもそもドレスなんて動きにくいし、一人で着たり脱いだりできないし。ましてや宝石なんて、価値もわからないよ)
そして対するクライヴであるが、当然ながらユージェニーの考えていることなど知る由もない。
「王族だなんて大層な身分の妻を寄越して、俺を縛りつけようという魂胆なんでしょうが、ご心配なく。もしもこの屋敷を捨てて逃げ出せば、真っ先に死ぬのは俺です。ここを離れたりはしませんよ」
(でも私なんかのために用意してくれたんだよな。感謝しないと。このクライヴって人と結婚するのが、私の役目! …………あれ?)
「王宮で贅沢な暮らしをしていたあなたのような人が、ここでの生活に耐えられるとは思えませんし。先に言っておきますけど、使用人は二人しかいませんよ」
(この人……目が、見えていない?)
「聞いていますか、王女様? そこにいるんですよね?」
クライヴが困ったように辺りを見回すが、真正面に立つユージェニーの姿をとらえることはない。やっぱり目が見えていないのだ。
(返事をしなくちゃ。こういう時は、えっと……はい、じゃないよな。うん、でもなくて)
「ええ、もちろん。聞こえていてよ。その耳障りな声がね!」
「………………はぁ……。そうですか」
焦って言葉のチョイスを間違えた気がする。クライヴのフードの下の顔は不機嫌そのもので、ぶつぶつと何か言っている。
「まったく……これだから王族貴族は……」
随分と嫌われてしまったようだ。
しかし言葉選びに関係なく、クライヴははじめからユージェニーを歓迎してはいない様子だった。ユージェニーとしては、言いつけ通りにクライヴとの結婚生活をなんとか維持していかなければならないと思っているが……。
──仕方がない。ユージェニーは『能なし』だ。
どこへ行っても、いらないものとして扱われるのは覚悟の上だ。
二人で睨み合っていると、そこへ明るい声が割って入ってきた。
「ようこそお越しくださいました、奥様」
見ると車椅子に乗った青年が、侍女らしき女性に車椅子を押されながら屋敷から出て来るところだった。
青年が爽やかに笑いかける。
「僕はこの屋敷で使用人をしております、ブルーノです。こっちが、侍女のマリア。どうぞよろしくお願い致します」
ブルーノが目配せすると、車椅子を押していた女性がぺこりと頭を下げた。にこにこと笑みを浮かべている。ブルーノと同様に、とても感じがいい。クライヴと大違いだ。
「クライヴ様は気がききませんからね。いつまで立ち話をしているつもりです? 奥様も長旅でお疲れでしょう。中へお入りください」
「ブルーノ、待ってください。俺は妻を迎えるつもりはないので、この人を奥様と呼ぶのはやめてください」
「まぁまぁ、せっかく来てくださったんですから。それもすごい美人ですよ。喜ぶべきじゃないですか」
「どうでもいいです。美人だろうが、どうせ見えませんし」
「そんなこと言わずに……。縁あってここへ来てくださったんですから、そんな風に邪険にするものではありませんよ。頭ごなしに拒絶せずとも、一旦落ち着いて話し合ってみてはどうです?」
ブルーノとマリアの笑顔の圧に、それが見えないはずのクライヴは、諦めたように小さく溜め息をついた。
「……まぁ……いいですけど。王女様に、覚悟があれば」
そう言うと、まっすぐに屋敷の扉の前まで歩いて行き、ユージェニーを振り返った。
「ご覧の通り、ブルーノは足が不自由です。俺は目が見えないし、マリアは耳が聞こえません。この屋敷に長く留まれば、呪いを受けて体のどこかに異変が起こります。あなたがそれでも構わないという酔狂な方でしたら、どうぞお入りください」