恋路を読む者
――王城の南庭、朝の光が優しく射し込む中。
アオイは、やや緊張した面持ちで歩いていた。
今日は、近隣諸国の使節団との合同茶会。その準備に各国代表が揃う場でもある。
(セリスティアさんと、昨日あんな話をした後だけに……変に意識しないようにしないと)
けれど、そんな思考はあっさりと吹き飛ぶことになる。
「やあ、初めまして……君が異世界から来た外交官か」
その声は、静かで、落ち着いていて――しかし、妙に心の奥をくすぐるような響きがあった。
振り向けば、そこに立っていたのは長身で細身、銀縁の眼鏡をかけた青年。完璧に整えられた衣服と、隙のない笑み。
第一印象は完璧な理知。
「僕はレオニス・ヴァレル。宰相家の次期当主であり……セリスティア様の幼なじみでもある」
その言葉に、アオイの背筋が自然と伸びた。
「……アオイ・ミナセです。外交見習いとして、こちらに滞在しています」
「うん、君のことは少しばかり聞いているよ。言語適応能力と交渉感覚は天才的だとか。まるで、設定が偏ったゲームのキャラみたいにね」
微笑みながら、レオニスは一歩アオイに近づいた。
「ただし――恋路においては、凡人以下だともね?」
「……!」
静かな語り口のまま、レオニスの目が鋭さを帯びる。
「君はきっと、セリスティア様に惹かれている。そして彼女も、少しずつ君に心を開いている……違うかい?」
アオイは言葉に詰まる。返せるはずの反論が、妙な正確さで封じられていた。
「でもね、アオイくん。外交とは、戦争とは違うが、同じく分析と構造で支配される世界だ」
レオニスは、花壇の白薔薇に視線を向けながら続けた。
「セリスティア様は私にとって、理想国家を創る最後の鍵。恋愛感情などという曖昧な感情で、彼女の人生を惑わすことは許されない」
「……それが、あなたの愛し方ですか?」
アオイが、静かに反撃を返す。
「彼女を手に入れたいんじゃない。彼女にふさわしい構造を作る? そんなの、本人の気持ちを見ていないだけだ」
「フッ、理想論だね。だが面白い」
レオニスはまるで楽しんでいるように微笑む。
「では証明してみてくれ、アオイくん。彼女の理性を揺るがせるほどの、君なりの外交を――」
その瞬間、ティーパーティーの開始を告げる鐘が鳴った。
今日という舞台が、恋と外交の戦場に変わる合図だった。
王城の庭園。色とりどりの花が咲き誇り、噴水の音が穏やかに響いている。
各国の使節がテーブルを囲む中、その中心に座すのは第一王女セリスティア・レイ・アールヴァン。
左右には、それぞれ一人ずつ――アオイとレオニスが並ぶ、奇妙な配置だった。
(……なんでこんな席順に)
アオイは心の中で突っ込んだが、内心を表に出さず、紅茶に口をつける。
その横で、レオニスは優雅な手つきで会話の主導権を握っていた。
「おや、王女殿下。先日お話しされていたリヴァーン商会との交渉、進展はありましたか?」
「ええ、彼らは予想よりも譲歩の姿勢を見せました。南方の関税引き下げが決め手となったようです」
「さすがです。やはりセリスティア様ほどの方が、今の王国には必要不可欠ですね」
見事な持ち上げと議論の展開。
だが、そこには慣れた構造があった。セリも、その論調に違和感を覚えていた。
(……いつも通り。でも、何かが引っかかる)
一方、黙っていたアオイがふと口を開く。
「けど、それって……南方の関税を引き下げた分、北部の自治領には負担がかかるってことですよね?」
レオニスの手が、一瞬だけ止まった。
「……確かに。だがそれも、王国全体の安定を考えれば――」
「全体の安定って、誰が決めるんですか?」
アオイの声は、柔らかく、それでいて真っ直ぐだった。
「北部の人たちが『納得してる』って思える外交じゃなきゃ、それって安定じゃないと思うんです」
セリの目が見開かれた。
その言葉に、どこか心がざわついた。
レオニスは、笑みを崩さず言う。
「ずいぶん感情的な論理だ。だが……悪くない」
「感情は、外交の敵じゃない。相手を信じる材料にもなる……少なくとも、オレはそう信じたい」
静まり返った空気。
誰もが思わず、セリスティアを見た。
彼女はほんの少し――ほんの一瞬だけ、口元をほころばせた。
「……あなたの言葉は、時に私の理屈を破壊するのよ、アオイ」
「え?」
「ふふ、なんでもないわ」
そんなセリの柔らかな笑顔を、レオニスはじっと見つめていた。
(やはり、君の心は動いている……それでも、私は諦めない)
茶会の終わりを告げる鐘が、再び庭園に響いた。