宰相候補、宣戦布告
王宮の中庭は、春の花が満ちるように彩られていた。
けれど、その空気はどこか張り詰めている――理由はただ一つ。
「初めまして。私はレオニス・ヴァレル。宰相候補の一人です。あなたが、異世界使節アオイ・ミナセ殿ですね?」
その声は、柔らかい敬語にも関わらず、まるで刃のように鋭かった。
姿勢も言葉も完璧。けれど、その瞳には明確な敵意が宿っている。
「……そうです。ミナセ・アオイです。ご挨拶、光栄です」
俺も丁寧に返す。形式だけは、ちゃんと押さえなきゃならない。
「セリスティア様より、何かと興味深い報告を聞いておりましてね。迷宮任務での活躍、素晴らしかったとか」
「いえ、まだ見習いの身ですから」
「謙虚ですね。だが、だからこそ警戒しなくてはならない。自覚のない才能ほど厄介なものはない」
笑ってはいるが、レオニスの言葉には刺がある。
明らかに、俺に対する牽制……いや、宣戦布告だ。
その時、後ろから現れたのはセリ本人だった。
「……レオニス。アオイに何を吹き込んでいるの?」
「いえ。ただの挨拶ですとも。……だが、外交とは言葉の使い方の勝負。彼がいかにして殿下の信頼を得ていくのか、非常に興味深い」
セリの目がわずかに揺れる。
その時、はっきり理解した。
――この人は本気だ。セリを政略の中心に据え、自分の未来の中に組み込もうとしている。
そして俺は、それに割り込む存在として、敵視されている。
「では、さっそく試してみましょうか。アオイ殿。明日の午後、紅茶の会に参加していただけますか?」
「紅茶……の会?」
「外交儀礼の一環で、各国の若手使節を招いての社交会です。殿下もご臨席予定でして」
それがどんな意味を持つか、すぐに分かった。
――これは試合の舞台だ。
言葉で探り合い、視線で測り合い、微笑みの裏に隠された意図を読み取る……つまりは、純然たる外交戦。
「もちろん、参加させていただきます」
逃げるつもりはなかった。
俺だって、ただの素人じゃない。言葉でぶつかるのなら、正面から受けて立つ。
「ふふ……楽しみにしておりますよ」
レオニスは、丁寧な微笑みを浮かべたまま、背を向けて去っていく。
そして、残されたセリは、静かに俺に告げた。
「……あなたを止めない。でも、無理はしないで。あの人は何もかも計算できる人だから」
「計算できないものもあるって、教えてやりたいんだ」
「例えば?」
「……気持ちとか。覚悟とか」
セリの目が一瞬だけ見開かれた。
けれどすぐに、彼女は小さく笑って呟く。
「……バカ。でも、少しだけ期待してる」
その声は、仮面をかぶった王女のものじゃなくて――
俺の隣にいてくれる、ただのセリの声だった。
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午後の陽光が差し込む、王宮南庭の特設会場――
整えられた円卓、金縁のカップ、上品な焼き菓子とともに、若き使節たちの「外交ティーパーティー」が始まった。
だが、ここに集う者たちは皆、笑顔の仮面をかぶった戦士だ。
言葉と態度で、相手の実力を測り合い、存在感を誇示し、微笑みながら潰しにくる。
「ふむ……この紅茶は香り高いが、わずかに渋みが残る。あえて産地を限定したのかもしれませんね」
そう呟いたのは――レオニス・ヴァレル。
カップを揺らす指すら完璧な、まさに貴族の教科書のような立ち振る舞い。
「さすがレオニス様、風味の違いまで言い当てるとは……!」
「本当にお詳しいのですね」
周囲の使節たちは、賛辞の言葉で彼を包む。
明らかに、この場の中心は彼だった。
「さて、アオイ殿。あなたはどう思いますか? このお茶について」
話題が、こちらに向けられる。
ここからが、駆け引きの本番だ。
俺はゆっくりカップを口に運び、香りを楽しむ。
ほんのわずかに苦味の残る、でもすっきりとした後味。
「少し驚きました。異国で飲む紅茶なのに、どこか懐かしい味がします。多分、記憶にある香りと似ているんだと思います」
「懐かしさ、ですか。それは分析ではなく、感情に基づいた感想ですね」
レオニスが冷たく笑う。
「外交官の言葉は、主観よりも論理性が重要です。感情を持ち出すのは、交渉上のリスクになりますよ」
「そうかもしれません。でも、感情がない言葉に、誰が心を動かされるんでしょうか」
俺は、はっきりと視線を返した。
「たとえば、ただの紅茶に、自分の記憶や想いを重ねること――それが相手との距離を縮める、一つの手段になると、俺は思います」
一瞬、会場の空気が静かになった。
レオニスの表情が僅かに曇る。だが、すぐに微笑みに戻る。
「……なるほど。理論を感情で補強する。凡人にしては、面白い視点ですね」
「ありがとう。でも、俺は最初から凡人のつもりなんてないです」
誰よりも異邦人で、誰よりも外側の存在――
だからこそ、誰にも囚われない言葉を使える。それが俺の武器だ。
やがて、ティーパーティーは幕を閉じ、参加者たちは次々に席を立っていく。
その時、セリが小声で俺に囁いた。
「……ちょっと、かっこよかった」
「え?」
「聞こえてないふりしてたけど、ちゃんと聞いてたの。あなたの言葉」
そう言って、彼女は紅茶の香りの中に微笑んだ。
それはまるで、今日の勝者を静かに認めるような――そんな笑顔だった。