王女の意志、少女の選択
夕暮れの王宮中庭。陽光の名残が、石畳に淡く伸びていた。
セリスティア・レイ・アールヴァンは、一人佇んでいた。今日の騒ぎの余韻がまだ肌に残る。
──それでも、後悔はなかった。
あの場で、彼女は王女ではなく、自分を選んだのだ。
「……ずいぶんと静かだね、セリ」
後ろからかけられた声に、セリは静かに振り向く。
アオイ・ミナセ。自分の人生を大きく揺さぶった、異世界からの少年。
「あなたが来るのは分かっていたわ。こんな時、誰よりも不器用なあなたが、黙っているわけないもの」
「……図星か」
アオイは苦笑しながらも、まっすぐに彼女に近づく。距離は、もう誰にも阻めない。
「セリ。俺、もう使節とか任務とかどうでもよくてさ。お前と話したくて、ここに来た」
「それは……外交的には問題発言ね」
「うん、知ってる。でも俺として、言いたいことがあるんだ」
アオイの声は、柔らかく、けれど確かだった。
「この世界に来て、俺はたくさんの理屈や原則を学んだ。でも、あんたと出会って……心がついていけなくなった」
セリは言葉を挟まない。彼の声を、ただ、聞いていた。
「最初は憧れだった。本当に、きれいで、賢くて、完璧で。でも、知るうちに気づいたんだ。あんたは、完璧なんかじゃなくて……ただ、誰よりも傷つかないようにしてたんだって」
アオイの目が、真正面からセリを捉える。
「俺は、そのままのあんたが好きだよ。傷だらけでも、怒ってても、強がってても……それが、セリスティア・レイ・アールヴァンだって、思うから」
その言葉に、セリの唇が微かに揺れた。
「あなたって……ほんと、外交に向いてないわね」
「うん。ぜんっぜん、向いてない」
それでも笑い合える、その時間が、何より愛おしかった。
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セリスティアは静かに息を吐いた。
冷たい夜気が肌を撫でる中、彼女の瞳だけは温かく、迷いがなかった。
「……私ね、ずっと思ってたの。王女である限り、私の好きなんて誰にも必要とされないって」
「……」
「でも、あなたは言ってくれた。好きは外交じゃなく、信頼の延長だって……あの言葉、ずるいくらい真っすぐだった」
アオイは言葉を挟まず、ただ彼女の声を待った。
「……私は、あなたといると、自分でいられる。冷静でいようとしても、崩されて……バカみたいに顔が熱くなるの」
「うん、そういうセリ……好きだよ」
「黙りなさい、バカ」
セリがそっぽを向くが、その頬はほのかに朱に染まっていた。
「私は、セリスティア・レイ・アールヴァン。王女としての務めも、誇りも、捨てるつもりはないわ。でも……それと同じくらい、あなたと生きたいという気持ちも、本当なの」
その瞬間、アオイの目が大きく見開かれる。
言葉ではなく、ただ真っすぐに──彼は、彼女の手を取った。
温もりが、確かにそこにあった。
「……ありがとう、セリ」
「礼を言われる筋合いはないわ。私が勝手に決めたことよ」
ツンとすました態度の裏に、甘えるような声が混じっていた。
アオイはそっと微笑んで、少しだけ身を屈める。
そして、囁くように言った。
「じゃあ、勝手に、俺の恋人になってくれる?」
セリの瞳が見開かれる。
一拍、二拍──そののち。
「……バカ」
ぽつりと呟き、彼女は小さく頷いた。
その仕草は、王女としてではなく──ひとりの少女として。
中庭の夜風が、二人の間を優しく撫でていった。
それはまるで、長い外交戦の終わりを祝う、静かな勝利の風だった。