本音の鎖、嘘の契約
王宮の正庁──そこは、華やかな装飾とは裏腹に、冷たい空気が張り詰めていた。
玉座の間に並ぶのは、各国使節と王族たち。今日、この場で《ヴェルトリア王国》からの婚姻提案に関する第一次審議が行われる。
アオイ・ミナセも、その末席にいた。
場違いな重圧を感じながら、それでも彼は、前を向いていた。
なぜなら──彼女がいるからだ。
セリスティア・レイ・アールヴァン。王国第一王女。その姿は今日も、凛とした気品をまとっていた。
「本件に関して、第一王女セリスティア殿下の意見を伺いたい」
執政官の声が響く。空気が、一段と緊張した。
──だが、セリはすぐには口を開かなかった。
長い沈黙の後、彼女は静かに言葉を紡ぎ出した。
「私は、国益を第一に考えなければならない立場にあります。よって、ヴェルトリアとの提携は理に適っていると、頭では理解しています」
周囲が静かに頷く。けれど──
「ですが、私は今日ここで、私自身の意志も述べさせていただきます」
一瞬、場がざわついた。
セリの瞳が、まっすぐアオイの方を向く。
「誰かの決定をそのまま受け入れるだけの人生に、私は別れを告げたい。たとえ、それが不利益に繋がるとしても──それでも、私は私として、生きたいのです」
その言葉に、どよめきが起きる。
王たちが視線を交わし、側近たちがざわめき出す中、アオイは心を強くした。
(……言えよ、俺)
手のひらに力がこもる。震える足を押さえつけ、立ち上がる。
「アオイ・ミナセ、発言を許可していただけますか!」
その声は、明確な違反だった。
しかしセリの父、国王は静かに頷いた。
「許す。語れ、異界の使節よ」
アオイは一礼し、深く息を吸い込んだ。
「俺はこの国に召喚され、外交官として多くを学びました。言葉が交わされ、契約が交わされ、人と人が繋がる。それが外交だと教わった。でも──」
アオイはセリを見つめた。
「この気持ちは、条約じゃない。任務でも、構造でもない。俺がアオイ・ミナセとして、ひとりの人間として、セリスティア・レイ・アールヴァンに向き合いたいと思った、本音です!」
沈黙。
けれどその沈黙は、かつてないほど、強く温かかった。
====
「……君は、何を言っているのか分かっているのか?」
重々しい声が、王の玉座から響いた。
アオイはその威圧に気圧されることなく、まっすぐに国王の視線を受け止めた。
「はい。これは、外交官の発言ではありません。一介の人間として、セリスティア様と向き合いたいという――」
「暴挙だぞ、アオイ!」
叫んだのは、レオニスだった。
「この場でそのような感情論を持ち込むとは、もはや自国の信義すら疑われかねない。君の発言は外交の秩序を壊す愚行だ!」
「秩序? それは誰のための秩序なんだよ!」
アオイの声が、彼のそれを押し返す。
「俺はセリの人生を、誰かの秩序の駒にしたくないだけだ。それが外交官失格なら、俺は喜んで落第してやる!」
言い切った瞬間、玉座の間に再び沈黙が降りた。
──そして、その沈黙を破ったのは、セリスティアだった。
「……やめなさい、レオニス」
レオニスが驚いたように顔を上げる。
「姫、しかし……」
「彼は、何も壊していないわ。ただ、真っすぐに言っただけ。誰のためでもなく、私のために。だから、私も応える義務がある」
セリは一歩前に出た。
王の前に、そして全使節の前に立ち──凛とした声で告げた。
「私、セリスティア・レイ・アールヴァンは、この場において、ヴェルトリア王国からの婚姻提案を辞退いたします」
場内が、ざわめきに包まれた。
だが彼女は怯まず、さらに続けた。
「理由は明白です。これは国ではなく、私自身の決定です。私は、自らの意思で選びたい。誰と歩むかを、何の縛りもなく──それが、真の意味での未来の礎になると信じています」
その言葉は、静かに、しかし強く響いた。
やがて──国王がゆっくりと頷いた。
「……お前の決断、しかと受け取った」
場の空気が、変わった。
誰もが驚きつつも、ひとつの意思が貫かれた瞬間を目の当たりにしていた。
そして、最後にもう一人。
「やるじゃん、アオイ!」
場の空気を完全に壊す、ジークの軽快な声が響いた。
「お前、ほんとに告ったな! 姫様の前で、王の前で! 最高かよ!」
思わず吹き出しそうになった空気を、皆が飲み込む。
アオイとセリは、視線を交わした。
その目に、確かな絆が宿っていた。