ふたりで見る景色
王都から半日、緩やかな丘を越えた先にある地方の小さな村――フェルアリス。
ここはかつて小麦の名産地として栄えていたが、近年は気候変動と魔物の被害で衰退傾向にある。今回の視察は、そうした村々への支援再編を検討する目的もあった。
「王女様が、直々に……!」
村の広場に集まった人々は、驚きと喜びの入り混じった表情で、セリスティアを迎えた。
「皆さん、今日は時間をいただきありがとうございます。おひとりおひとりの声を、できる限り聞かせてください」
セリは丁寧な言葉で挨拶を述べ、民の輪の中へと踏み込んでいく。
アオイは少し離れた位置で、それを見守っていた。
(すごいな、セリ。形式じゃない、本気の目だ)
王族という立場にありながら、民の話に耳を傾け、時に膝をついて目線を合わせる。その姿は、女王ではなく、ひとりの人間として誠実だった。
──いや、誠実すぎて不器用なほどに。
「姫様、休まれませんか? そろそろ──」
護衛のフランが声をかけるも、セリは首を横に振った。
「もう少しだけ……話したい方が、まだいますから」
「……まったく、無理するんだから。あの男、止めなさいよ?」
ぼやくフランの視線を感じて、アオイは苦笑しつつセリの元へ向かった。
「セリ、少しだけ休もう。俺が代わりに話を聞いておくから」
「……あなたが?」
「うん。言葉の壁もないし、聞く力はちょっと自信あるからさ」
少しだけ迷ってから、セリは小さく頷いた。
「では、あなたに任せるわ……一応、信じているつもりよ」
「その一応が大事なんだな、うん」
ふと、セリがくすりと笑った。
「なにか面白いこと言った?」
「いいえ。ただ……信頼って、こういう風に積み重ねていくのかも、って」
そう呟いたセリの横顔は、いつもよりずっと柔らかくて──アオイは思わず見とれていた。
やがて、日が傾き始めるころ。
アオイは村の少年と、土いじりをしながら話していた。
「……お姫さま、きれいだった! でも、こわい顔もしてた!」
「それはな、真剣な人の顔だ……かっこいいだろ?」
「んー……ちょっとだけ!」
その笑い声が、どこか遠くで聞こえたセリの心に、確かに届いていた。
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視察も終盤に差しかかった頃、村の小さな集会所で、突然の騒ぎが起きた。
「井戸の水が……!」
慌てて駆け込んできた少年が叫ぶ。話を聞けば、村の命綱である井戸の水が急に濁りはじめたというのだ。
「毒の可能性は低いが、魔素の変質かもしれん」
同行していた魔導官が即座に調査を開始する。セリスティアはすぐさま状況を整理し、指示を飛ばした。
「水の利用を中止、住民には応急の貯水を配布。魔導士班は魔素計測、アオイ、あなたは子どもたちの安全確認を」
「了解!」
短い言葉で意思を交わし、それぞれが動き出す。
──だがその直後だった。
「待ってください、セリ様!」
足元の地面がぐらりと揺れた。微かな地響きとともに、井戸のそばの地面が陥没を始めたのだ。
「っ……! 危ない!」
アオイが叫ぶよりも早く、セリは近くにいた少女をかばって跳び込んだ。
そして──足を取られ、地面ごと落ちかけた。
「セリッ!!」
アオイは、迷う暇もなかった。
伸ばした手が、セリの腕をつかむ。もう片方の手は、崩れた石壁を掴み必死に耐えた。
「だ、大丈夫……っ、離して……!」
「バカ言うな! 離すもんか!」
石くれが頭に当たり、痛みが走る。だが、離さない。絶対に。
「……信じて。絶対、落とさない」
その声に、セリは震える瞳で応える。
──アオイの腕を、もう片方の手で、ぎゅっと握り返した。
数秒後、騎士たちの手で引き上げられ、ふたりはなんとか無事だった。
広場に戻り、応急処置を受ける中──
セリがぽつりと言った。
「……ありがとう。私、また……あなたに助けられたわね」
「いや……こっちは、毎回ヒヤヒヤだよ」
冗談めかして言ったアオイに、セリはふっと息を吐いた。
「……少しだけ、分かった気がする。あなたが言ってた信頼って、こういうことかもって」
「……うん」
「私ね、ずっと人は信用しないって決めてたの。けど──」
アオイのほうを見て、ほんの少しだけ、笑った。
「あなたなら、信じてみてもいい……かもしれない」
それは、王女の仮面を脱ぎ捨てた少女の、本心だった。
そしてその瞬間、アオイは確信する。
この想いは、もう片想いなんかじゃない。
少しずつ、でも確かに──ふたりの心は、同じ景色を見始めていた。