ほんとは、伝えたかった
午後の王都は、日差しが和らぎ、春風が静かに吹いていた。
セリスティアは城のバルコニーから街並みを眺めていた。人々の賑わい、行き交う馬車、穏やかに広がる生活の音──そのすべてが、どこか遠く感じる。
「……あのとき、もう少しちゃんと話せばよかった」
思わず、ぽつりとこぼれた言葉に、隣で控えていたフランがふっと目を細める。
「なんだ、姫様でもあと悔しってするんだねぇ」
「……聞いてたの?」
「そりゃあね。姫様がアオイくんとふたりっきりで部屋に入ってたら、誰だって気にするでしょ。ジークに誘われて、ついな」
「はあ……アイツ、また余計なことを……」
「でも、いい顔してたよ? 姫様。あれはきっと、本気で誰かと向き合った顔だと思った」
セリはバツが悪そうに唇をかみしめる。
「……でも、私にはまだ、よく分からない。あの気持ちが恋なのか、ただの依存なのか」
「いいんじゃない? すぐに答えなんて出さなくて」
フランはにっこりと笑った。
「でも、会いたいって思ってるんでしょ? だったら──それだけで、もう十分じゃない?」
「……ッ」
心が、不意に揺れた。
そう。たしかに、そう思っていた。
(もう一度、会いたい)
あのまっすぐな目を、声を距離を──もう一度、確かめたくて仕方なかった。
だけど。
「……どうやって?」
「え?」
「どうやって、また会いに行くかが問題なのよ。私は王女。立場がある。下手に動けば何かあるって噂になる」
「あ〜、確かに……でも、逆に言えば任務なら?」
フランが悪戯っぽく笑う。
「外交視察の名目で、アオイくんにちょっとした調査を依頼すればいい。で、報告を口頭で聞きたいって言えば、堂々と会えるじゃん?」
「……あなた、悪い知恵だけは働くわね」
「誰のせいだと思ってんのさ、まったく。姫様が遠回しに命令出すたび、周囲が察して動くこの仕組み、苦労してんだからね?」
セリは思わず、くすっと笑ってしまった。
「……ありがとう、フラン。ほんの少しだけ、楽になったわ」
「へいへい。お姫様の恋路の後押しが私の仕事ですから」
そんな中、侍従のひとりが慌てた様子で駆け込んでくる。
「姫様! 大変です! リリカ様が、アオイ殿下をご訪問中とのこと!」
「……なっ……!」
セリの表情が、凍りつく。
(リリカ……また、アオイに……!?)
心の奥に、黒い何かがざわめいた。
「……っ、行くわ。アオイのところへ!」
立ち上がったその足取りは、どこか焦りと……ほんの少しの嫉妬を含んでいた。
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アオイの部屋は、妙な静けさに包まれていた。
椅子に座るリリカと、それを前に立つアオイ。ふたりの距離は、わずか数歩。それだけなのに──セリには、遠く思えた。
「……それで、どうして突然?」
アオイの問いかけに、リリカは小首をかしげる。
「ふふっ、用事なんてないよ? ただ、会いたくなっただけ」
その声は甘く、柔らかく、でも底の見えない何かを秘めていた。
「外交使節としてなら、もう少し事前に──」
「アオイくん。あなたって、いつも言葉に真っ直ぐだよね」
リリカが、席を立って彼に近づく。
「ねぇ、私と個人的に話してくれたことある? たまには、仕事じゃなくて……ひとりの男の子として、私と話してくれたっていいと思うんだけど?」
「……」
アオイが口を開こうとした、その瞬間。
「──その話、私も混ぜてくれるかしら?」
冷ややかな声が、部屋の空気を一変させた。
振り返るふたりの視線の先には、きっちりと制服を着こなしたセリスティアの姿。
「セ、セリスティア様!? その、ご訪問の予定は──」
「……任務中の使節と、突発的な接触があったと報告を受けたの。確認に来ただけよ」
その言葉は冷静で完璧で。けれど、リリカにはわかった。
(……ちょっと、怒ってる。いや、嫉妬かな?)
リリカは悪戯っぽく微笑むと、一歩引いて頭を下げた。
「そっか。じゃあ、私はこのへんで。アオイくん、またね」
「リリカ──」
「姫様、奪えるものなら、奪ってみてくださいね?」
意味深に囁いて、リリカは軽やかに退室した。
部屋に残されたのは、セリとアオイのふたり。
「……わざわざ来てくれて、ありがとう。ごめん、何か気を悪くさせた?」
「別に。仕事の一環よ……ええ、あくまで外交任務」
セリは背を向けたまま、そう言った。
「ほんとは、違うくせに」
ぽつりと、アオイが呟く。
「え?」
「会いに来てくれたんでしょ、俺に。理由はどうあれ、嬉しいよ」
セリの肩が、ぴくりと揺れた。
「……あなたって、ほんとずるい。何でもかんでも見抜いて」
「でも、ちゃんと見てたいんだ。あなたのことを」
その声が、セリの背中に届く。
ほんとは、言いたかった。
ほんとは、「リリカと話さないで」って、言いたかった。
でもそれは、王女としてあるまじき感情。
だから──
「これは任務よ。感情で動いたわけじゃない」
「……そっか。じゃあ、任務が終わったら、もう会いに来てくれない?」
アオイの言葉に、セリは息をのんだ。
答えられない。けれど──
「……考えておくわ」
それが、彼女の精一杯だった。
部屋を出たあと、誰にも見られない場所で、小さく呟く。
「ほんとは……伝えたかったのに」
恋は、まだ言葉にならないまま、胸に宿っていた。