素直になれないわたし
扉の前で、セリスティアは深呼吸をひとつ。
そして──ノックもせずに開けた。
「アオイ・ミナセ。少し話があるわ」
「えっ、うわっ!? セ、セリスティア様!? い、今ちょっと片付け……」
部屋の中は、書類と資料と、未整理の書簡が散乱していた。アオイは慌ててそれらをかき集め、半分床に落としながら立ち上がる。
「えっと、いらっしゃいませ? っていうのも変ですけど……」
「……部屋の整理が行き届いていないのは、外交使節として問題ね。あなた、本当に任務外になってるのかしら?」
「うぐっ……図星……」
セリは一歩だけ足を踏み入れた。だがそれ以上、進もうとはしなかった。距離を測るように、慎重にアオイを見つめてくる。
「今日は、その……報告を聞きに来たの。先日の視察任務、あなたの立場から見た感想を」
「視察って……もう報告書、ナヴィスさんに出しましたけど?」
「私には、まだ来ていないの」
ほんの一瞬、セリの視線が泳いだ。
アオイは気づいた。これは言い訳だ。
「セリスティア様。もしかして──」
「な、なによ」
「会いに来てくれたんですか?」
沈黙。
ほんの数秒が、やけに長く感じられる。
「勘違いしないで。あなたが他国の使節と軽薄に接していたという報告が入ったから、それが真実か確認に来ただけよ」
「あー、なるほど。リリカさんのことですね」
「名前を軽々しく出さないで……ああいうタイプは、信用に値しない」
「でも、外交って信頼が大事なんじゃ──」
「そういう建前を鵜呑みにしてるうちは、二流よ。彼女は、意図的にあなたを揺さぶってる。分からないの?」
セリの言葉に、アオイは目を丸くした。
「……なんで、そんなに詳しいんです?」
「……」
また、少しの沈黙。
「……私も、少しだけ見てたから。あなたのこと。最近ずっと」
小さく、かすれるような声だった。
「あなたが誰といて、何をして、何を話したか。知りたいと思ってしまったのよ。外交官としての興味だと、最初は思った。でも……」
言葉が続かない。
セリは顔を背け、ほんの少しだけ頬を赤らめた。
「だけど結局、私はあなたとまともに話すことすら、できなくなってた……っ」
かすかな震えを帯びたその声に、アオイは静かに言った。
「セリスティア様」
「……なに」
「俺も、ずっと、あなたのことだけを見てました」
その言葉に、セリはゆっくりとこちらを見た。
その瞳に宿っていたのは、氷のような知性でも、王女としての威厳でもなかった。
ただ──一人の少女の、隠しきれない想い。
「でも、まだ今のセリスティア様に、本気でぶつかっていいのか、分からなかった」
「……何それ」
「だって……あなた、まだ逃げてるでしょう?」
まっすぐに。やさしく。
でも、言葉には確かな芯があった。
セリは、何も言えず、ただその場に立ち尽くす。
(こんなにも──まっすぐに見られたのは、初めて……)
心の奥が、少しずつ、熱くなるのを感じた。
空気が、静かだった。
どこか張りつめていて、それでいてどこかやわらかい、まるで春の曇り空のような──そんな時間。
「セリスティア様、さっきの続き……聞かせてもらえませんか?」
アオイの声は、優しかった。
問い詰めるようでも、甘やかすようでもなく──ただ、まっすぐだった。
セリはほんの少しだけ、視線を落とす。
「私は……あなたが軽薄だから、警戒してたわけじゃない」
「え?」
「違うの。むしろ、あなたが……本気でぶつかってくるからよ」
自分でも何を言っているのか、分からなかった。けれど、止まらなかった。
「これまで、私は誰かと本音で向き合うなんてこと、してこなかった。してはならないと、教えられてきた……でもあなたは、私が言葉で覆い隠した気持ちを、平気でめくりあげてくる」
セリはゆっくりと顔を上げ、アオイと目を合わせた。
「怖かったの。あなたといると、自分が崩れていく気がして……」
「それは──悪いことですか?」
アオイは一歩、彼女に近づいた。
「俺は、本気で話せる相手ができたのが嬉しいです。言葉は道具じゃない。心を伝えるためのものですから」
「……そんなふうに言えるなんて、やっぱりバカね」
セリはそっぽを向いて、けれど小さく笑った。
その笑顔は──とても、やわらかくて。
「でも……ほんの少しだけ、信じてみたくなったわ。あなたの、言葉を」
アオイの胸が、ほんの少し熱くなる。
「信じてくれるなら、俺は──絶対に裏切りません」
「……じゃあ、証明して。私のそばで、これからも」
それは、王女の命令ではなかった。
一人の少女が、一歩だけ心を開いた、かすかな願い。
アオイは、まっすぐにうなずいた。
「はい。あなたが、セリスティアでいてくれるなら、俺もアオイとして、そばにいます」
その瞬間、扉の影に隠れていたジークが思わず叫んだ。
「おいコラーッ!! いまの完全にフラグだったろ!? くそっ、録音しとけばよかった!!」
「な、なにしてるのよあなたは!?!?!?」
「え? だって心配だったし? 姫様がバカになる時って案外いい顔するからさー」
ジークのちゃらけた笑い声に、場の空気が一気に崩れる。
「お前って本当にタイミング最悪なんだよなぁ……」
「照れるなよアオイ〜! 青春じゃん青春! うっわ、くそ羨ましいわ!」
呆れたように、けれどどこか安心したように、セリは小さくため息をついた。
(……まだうまく言葉にできない。だけど今だけは、少しだけ)
(この気持ちを、大切にしてもいいと思えた)