笑顔の裏にあるもの
「……ねえ、アオイくん。ちょっと甘いものとか、好き?」
紅茶の香りがほのかに漂う城下のカフェ。アオイの前に座るリリカは、にこにこと笑いながら、小さなケーキを二つ指差した。
「え、まあ……嫌いじゃないけど」
「よかったぁ。外交官って言うとさ、なんかお堅い人ばっかりで、こういうの一緒に食べてくれる人、あんまりいないの」
リリカはくすくすと笑って、フォークでひと口。
その無邪気な仕草に、アオイはつい気を抜きそうになる。
(……危ないな、この子)
ただの友好的な使節──には見えない。
リリカ・ミュレリア。名前も顔も、三日前までは知らなかった。だが今は、こうして自分の目の前で、距離を詰めてきている。
「ねぇ、アオイくんってさ、ほんと面白いんだよね」
「何が?」
「反応。表情。言葉の選び方。ふふっ、見てるだけで、この人、本当に恋してるんだなぁって分かっちゃう」
……ズバリだった。
「えっ……な、なんでそう思う?」
「ん〜……カン? でも外交って、相手の空気読むのが大事でしょ? わたし、そういうの得意なんだ〜」
言いながら、リリカは頬杖をつき、アオイを真っ直ぐ見つめる。
「……相手、王女様でしょ? セリスティア・レイ・アールヴァン」
その名を出された瞬間、アオイの手が止まった。
「……なんで、知ってる?」
「調べた。って言うとちょっと怖い? でもね、気になる人のことって、知りたくなっちゃうんだよ。恋と同じで」
「……」
「でも困ったなぁ。わたし、好きになっちゃいそうなんだよね。アオイくんのこと」
あまりに自然な告白に、アオイは言葉を失った。
だが──彼女の目は笑っていない。探るような、試すような光が宿っていた。
(これは、試されてる……)
「リリカさん。ありがとう。でも──」
アオイは正面から見返し、はっきりと言葉を返した。
「オレ、誰か一人を、真剣に見てるんだ。だから、ごめん」
リリカの笑顔が、ほんの一瞬、止まった。
だがすぐに、柔らかい微笑みに戻る。
「……そっか。うん、ちゃんと言ってくれる人、好きだよ……ますます興味出ちゃうな」
声は優しいまま。でもそこに、宣戦布告の色が混ざっていた。
その夜、王城。
「姫様、今日……少し落ち着きませんね」
控えめに言ったフランに、セリは鋭く返す。
「落ち着いているわ。あなたの目がおかしいのよ」
「ふ〜ん。でも、リリカ・ミュレリア嬢とアオイくん、昼間カフェにいたって報告、もう回ってきてますけど」
……手が止まった。
「やっぱり、気になるんですね」
「べ、別に……!」
焦ったように言い返した声が、大きく響いてしまう。
「私が気にする義理なんてないし! それにあの男は、今は任務外! 外交とは関係ないわ!」
だがその言葉は、自分の中でさえ説得力を持たなかった。
……気になってしまう。
あの時、もう少し素直になれていたら──そう思ってしまう自分が、腹立たしい。
(どうして……こんなにも、胸がざわつくの……?)
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翌日。朝から城の外交事務棟はざわついていた。
「隣国代表、リリカ・ミュレリア嬢が姫との謁見を希望──?」
報告を受けたセリスティアは、軽く眉をひそめた。
「……またあの子?」
そう呟いた自分の声が、なぜか少し棘を帯びているのがわかった。
たかが見習い使節にいちいち反応するなんて、本来の彼女らしくない。
(落ち着いて。外交に感情を混ぜるなんて──)
……そう言い聞かせても、心の奥に引っかかるものがある。
彼女がアオイに近づいたこと。あの屈託のない笑顔。その裏にあるものが──妙に気に障る。
そして謁見の間。
「ご機嫌よう、姫様。ようやくお会いできましたね〜」
満面の笑顔で現れたリリカに、セリはあくまで冷静に応じる。
「わざわざの訪問、感謝いたします。ミュレリア嬢」
「うふふ。リリカでいいですよ? 姫様には、もっと近くに感じてほしいなぁって」
「……そう。では、リリカ嬢」
軽い牽制を含めたセリの言い回しにも、リリカは動じない。
「今日は、少し個人的なお願いがあって来たんです」
「個人的な?」
「はいっ。アオイくんの件です」
場がぴたりと凍った。
「……彼がどうかしましたか?」
「ん〜、すっごく真面目で、ちょっと天然で。見てると応援したくなっちゃうんですよね……恋、してるみたいですよ?」
リリカの目が、一瞬だけ鋭く光る。
「もちろん、それがどなたへの気持ちか、なんて、わたしは口にはしませんけど〜」
それは、明らかな挑発だった。
「……外交の場で、恋愛の話を持ち出すとは。貴女の国の教育方針が知れるわね」
セリの声は静かだったが、冷たく研ぎ澄まされていた。
「それに、彼は今、正式な使節として任務を外れている。貴女のような他国の者が、好き勝手に関わることは好ましくないわ」
リリカは、くすっと笑う。
「ごめんなさいね? わたしって、好きなものにまっすぐな性格だから」
「……まっすぐね」
セリは目を細めた。
「外交の世界で、まっすぐは、最も危険な矛に成り得るわよ」
そのやり取りを終えたあと、リリカは一礼し、踵を返して退室した。
セリはしばらく無言のまま、閉じた扉を見つめていた。
(あの子……やっぱり、ただの見習いじゃない)
無邪気さの仮面の裏にある、計算と企図。
そして、アオイに向けた視線の意味。
セリは、小さく息を吐いた。
「フラン」
「はいはい、聞こえてました。で、どうする?」
「……明日、アオイに会いに行くわ。理由は……そうね、現地報告の確認よ」
「はいはい。言い訳考えるのは得意ですね、姫様」
「うるさい」
セリは少しだけ頬を染めながら、窓の外を見た。
そこには、彼がいるはずだった空が、今日も変わらず広がっていた。
(アオイ……わたしは──)
ようやく、自分の心を直視する覚悟が芽生えはじめていた。