遠ざけられる距離、募る想い
静かな朝。アオイは、宮廷の執務室前で告げられた言葉に、固まっていた。
「……オレ、任務外されるって、どういうことですか?」
言った相手は、ナヴィス・グレン。いつもの冷徹な目線を変えることなく、彼は淡々と告げる。
「正式には外交任務の一時休職。君に責任があるわけではない。ただし──感情が外交に干渉したのは事実だ」
「……レオニスの差し金ですね」
「それを私が肯定する必要はない。だが……彼は正しい面もある。君は当事者になりすぎた」
それはナヴィスのやり方だった。冷静で、非情で、それでもどこか真理を孕んでいた。
「しばらく静養にあてろ……命令だ」
その言葉を最後に、アオイは職務から外されることになった。
一方、その知らせを受けたセリは、謁見の間の窓辺に立っていた。
「……そう、外されたのね」
淡々と呟くその声の奥に、抑えきれない苛立ちと、得体の知れない焦燥があった。
(……なぜ、こんなにも気になるの?)
あの言葉が、胸に残っている。
「セリさんを、外交の道具としてじゃなくて、一人の人として大事にしたい」
不意に、心が熱を帯びる。
それを否定しようとした瞬間、扉が開いた。
「姫様ぁーっ! なんか今日、めちゃくちゃ機嫌悪くないですか?」
軽い調子で入ってきたのは、護衛騎士のフラン・ミストだった。
「べっつに? 普通よ」
「いやいや、眉間のしわすごいし。いつもなら、視線だけで人が倒れるくらいの威圧あるのに、今日は悩んでるOLって感じっスよ」
言いたい放題だが、フランには不思議と腹が立たない。
「アオイのことでしょ?」
「…………関係ない」
「……そっか。じゃあ、その関係ない人が任務外されて、姫様がここ三日ずっと書類に八つ当たりしてるのは、どういう関係?」
「…………」
「ね、姫様」
フランの言葉は、優しく、だが核心を突いていた。
「本当は、会いに行きたいんじゃないの?」
セリの手が、書類の上で止まる。
(行きたい。声が聞きたい。あの言葉の続きを……知りたい)
けれど、それは王女のすることじゃない。
そんなこと、分かってる……はずなのに。
風が窓を揺らす。けれど心の揺れは、それよりもずっと――大きかった。
城下の静かな宿舎。その一室で、アオイはぼんやりと天井を見つめていた。
(はぁ……マジで外されたんだな)
任務から距離を置かれて三日目。
毎日が暇で、やたらと時間が長い。
報告義務もなく、書類にも触れられず、言葉を交わすのは管理係の老騎士くらい。
「……退屈だな」
ぼそっと漏れた言葉は、本心の半分。
もう半分は──会えない寂しさだった。
(セリさん、元気かな。あれ以来、会ってもいないけど……)
あのとき見せた、彼女の微かな笑顔。
否定しながらも、目の奥には確かに、答えがあったような気がしていた。
「はぁ……」
そんなときだった。
――コン、コン。
ドアをノックする音。
「誰だ?」
そう尋ねると、返ってきたのは軽やかな声。
「外交使節のアオイ・ミナセさん、で合ってるよね? こんにちは〜。ちょっと、おじゃましまーすっ」
開いた扉から顔を覗かせたのは──
桃色の巻き髪、パステルカラーの軽装、そしてあどけない笑顔の少女。
「え……誰……?」
「わたし? あっ、自己紹介まだだったっけ!」
彼女はくるりと一回転してから、ふわっと礼をする。
「リリカ・ミュレリアですっ。隣国から来た使節団の一員で、見習い外交官やってまーす!」
「え、あ、はい……なんでここに?」
「うん、ちょっと君に興味があってね〜。異世界から来た言語天才って噂の彼に!」
人懐こい笑顔。だがその目は、アオイの反応を鋭く観察していた。
「それに……最近任務から外されたって聞いてさ。ちょっと慰問? 兼、視察? 的な?」
「……誰に頼まれて?」
「んー、それはナイショ♪ でも、安心して。敵じゃないよ?」
そう言いながら、部屋の中へずんずん入ってくるリリカ。
まるで、長年の知り合いのように距離が近い。
アオイは戸惑いつつも、何かを感じていた。
(この子……ただの見習いじゃない)
「じゃあ、しばらく仲良くしてね? アオイくん」
笑顔の裏に、甘くて危うい外交の匂いが混じっていた。
その頃──
執務室の一角で、セリスティアは報告書の一文に目を通し、ぴたりと手を止めた。
『本日、隣国使節リリカ・ミュレリア殿、休任中のミナセ殿を訪問』
「……リリカ・ミュレリア?」
その名を口に出した瞬間、胸がざわつく。
初めて聞く名前のはずなのに、なぜか心に小さな棘が刺さったような──
「……なんで、あの子が彼に?」
ページを閉じる手に、わずかに力が入っていた。