真っ直ぐな恋と、冷酷な現実
春の風が、庭園の花々を揺らす。
その中心に立つのは、セリスティア。白いドレスの裾が微かに揺れている。
「……この庭、あなたが初めて来た日のこと、覚えてる?」
隣に立つアオイは、少し驚いた表情を見せた。
「うん。王宮に着いてすぐだったな。あの時は、セリさんめちゃくちゃ怖かった」
「当然でしょ。知らない世界から来た男に、いきなり外交官ですなんて言われたら、誰だって警戒するわ」
セリはくすりと微笑んだ。
その表情に、アオイの胸が少しだけ熱くなる。
「でも、今は……」
「今は?」
「……その時より、少しだけ近づけたって思ってる。セリさんと」
アオイの言葉に、セリの目がわずかに揺れた。
けれど返事はなく、静かに視線を逸らす。
「……近づきすぎると、外交は成立しないの。個人の感情が交渉を狂わせる」
「それでも」
アオイは、真正面から言った。
「オレは、セリさんに近づきたい。個人として、感情として……本気で、好きだから」
その一言に、セリの目が大きく見開かれた――が。
次の瞬間。
「……感情は、時として足枷になる。君もそろそろ気づくべきだ」
その声とともに、庭園に姿を現したのは――レオニス・ヴァレル。
冷ややかに笑いながら、彼は歩み寄る。
「……レオニス」
「話は聞かせてもらったよ、姫。君が感情で判断を誤らぬよう、助言するのも僕の役目だろう?」
レオニスの視線はアオイへと向けられる。その奥には、冷徹な静けさがあった。
「君は――外交の場に恋を持ち込む危険性を、本当に理解しているのか?」
アオイは一歩も引かなかった。
「危険かもしれない。でも、それでも人の気持ちは止まらない……オレは、セリさんが誰かの道具にされるのが嫌なんだ」
レオニスの目が細くなる。
「では、見せてもらおう。君の恋が、どこまで通じるか」
その場の空気が凍るように冷たくなる中、セリはただ立ち尽くしていた。
心の中で渦巻く、理性と感情――その狭間で。
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「恋という言葉で、外交官が動揺するとはね。やはり君は――使節として未熟だ」
レオニスの言葉は鋭く、切れ味のある刃のようだった。
だがアオイは、真っすぐに彼を見つめ返す。
「確かに、オレは経験も知識も足りない。けど……自分の気持ちを偽って、都合のいい人形になる方が未熟だろ」
「ふっ……面白い。だがね、アオイ・ミナセ」
レオニスの声音が低くなり、じり、と一歩前に出る。
「姫は――君の告白に答える立場にはない。彼女は王族であり、外交の象徴なのだ。感情など、そこには不要だ」
その言葉に、セリが小さく息を呑んだ。
――そう。わかっていた。
自分は、王国の顔であり、感情よりも理性が求められる存在。
けれど。
「……そういう役割ばかりが、セリさんを縛ってる。それが正しいって、あんたは思ってるのか?」
アオイの声が、静かに響く。
「オレは、セリさんを外交の道具としてじゃなくて、一人の人として大事にしたい。そう思ってる」
その瞬間、レオニスの目からわずかに表情が消えた。
「……君のような存在が、姫の心を揺らがせるのが、僕は何より厄介なんだよ」
その言葉には、初めて――感情が混じっていた。
「……まさか、レオニス……あなた……」
セリが呟いた言葉は、風にさらわれて消えた。
そして、レオニスはスッと背を向ける。
「姫。ご安心を。君の意思が揺れようとも、国の舵取りは僕が握っている……無駄な情熱に流されぬよう、どうか自制なさい」
そのまま去っていくレオニスの背中は、いつもより少し寂しそうに見えた。
残されたアオイとセリ。
言葉はなく、ただ風が吹く。
「……ねぇ、アオイ」
ぽつり、とセリが言う。
「もし、私が王女じゃなかったら……もっと簡単に好きとか言えたのかしらね」
アオイは笑った。
「うん。でも、セリさんが王女でも、オレは好きになったよ」
その一言に、セリの顔が、ふっと赤く染まった。
「……やっぱり、あなたって、ずるいわね」
そう言って、彼女はそっと微笑んだ。