揺れる姫心と、お節介な騎士
朝の陽が、王城のバルコニーを柔らかく照らしていた。
「姫様、そろそろ朝食のお時間ですよ~!」
扉越しに聞こえてきたのは、聞き慣れたフランの声。
セリスティアは鏡台の前で髪を梳かしながら、小さく返事をした。
「……今行くわ」
いつもの朝。いつもの支度。
けれど、心の中には小さなざわつきが残っていた。
(昨日のアオイの言葉……)
あまりにも直球で、率直すぎて。
でも、その言葉を思い出すと、不思議と胸が温かくなる。
化粧筆を止めて、セリは鏡越しに自分の顔を見つめる。
(私は、どうしたいの?)
答えは、まだ出せなかった。
「よう、姫様。今日はずいぶん寝坊だったじゃん?」
食堂に入ると、フランがからかうように笑って出迎えた。
セリは軽くため息をつきながら席につく。
「寝坊ではないわ。考え事をしていただけ」
「へぇ~? アオイくんのこと?」
その名前を聞いた瞬間、セリの手が止まった。
そして、鋭い視線が飛ぶ。
「……なんでそうなるの」
「だってさ、昨日のティーパーティーの後、姫様ずっと物思い顔してたし?」
「それは外交の件で――」
「はいはい、これは任務ってやつね」
茶化すような口調の奥に、フランなりの優しさがあった。
彼女はずっと、セリの変化に気づいていたのだ。
「……姫様、ひとつ聞いていい?」
「なに?」
「レオニス様とアオイくん、どっちの隣にいた方が……本当の自分でいられる?」
その問いは、まるで心の芯を突いてくるようだった。
「……それは……」
答えが出ないまま、口を閉ざすセリ。
その様子を見て、フランはふっと笑った。
「無理に答え出さなくていいよ。でもね、姫様」
彼女は優しく続けた。
「恋ってのは、理屈で片付けようとすると、必ず後悔する」
「……なにそれ、あなたに恋愛指南される筋合いなんて――」
「ないかもね。でも、あたしは姫様が、笑ってる方を応援したいだけ」
セリは黙ったまま、ナイフとフォークを握り直す。
その手が、ほんの少しだけ震えていた。
(私は……誰の隣で、笑っていたい?)
「お前さあ……最近、妙に真面目な顔すること多くね?」
ジークの声が、訓練場に響く木剣の打ち合いとともにアオイの耳に届いた。
「ん? そんなことないだろ」
「うそつけ。昨日のティーパーティーの後なんか、完全に悩める少年だったぞ」
アオイは苦笑しながら木剣を振り下ろす。
ジークとは親友だが、こいつの観察眼だけはやたら鋭い。
「……ちょっと考えてた。自分が今、どう動くべきかって」
「へぇ? それって外交官としてか? それとも男としてか?」
「……両方だな」
アオイは剣を止め、空を見上げた。
セリのこと。
レオニスのこと。
自分の気持ち。
「オレ、本気でセリさんが好きなんだ。だけど……それが職務の妨げになるならって思うと、踏み出すのが怖い」
「ふーん」
ジークは片手で木剣を肩に担いで言った。
「……バッカじゃねーの?」
「は?」
「妨げになるかもって思ってる時点で、もうブレーキ踏んでるんだよ。お前の本気がそんなもんだったら、姫様が振り向くわけねーじゃん」
その一言に、アオイは目を見開く。
「お前、俺の恋のこと、けっこう真剣に考えてくれてるんだな」
「……うっせ、気色わりぃ」
照れ隠しにそっぽを向くジーク。
だが、その言葉はアオイの胸にしっかり届いていた。
「ありがとな。オレ、もうブレーキ踏まないわ」
「その調子だ、外交バカ。姫様のハート、国境ごと越えて奪っちまえ」
木剣を打ち合わせる音が、再び高く響く。
その音に、アオイの決意が宿っていた。
一方、書斎で報告書をまとめていたレオニスは、報告官の一言に目を細めた。
「……アオイ・ミナセが、王女との距離をさらに縮めつつあると?」
「はい。使用人の間でも、姫様の機嫌が最近良いという話が……」
報告官が下がった後、レオニスはふっと笑う。
「……いいだろう、アオイ・ミナセ。君の真っ直ぐがどこまで通じるか……次の手を打たせてもらうよ」
その笑みは冷たく、静かに炎を灯していた。